傷ついた羽根を癒す夜明け

死ぬ夢を見た。
とある日を境に、私は何度となく死ぬ夢を見てきた。
死ぬ夢を見る度に、なんだか彼に呼ばれているような気がしてならなかった。
もう充分、生きたのだと。
こっちに来ても良いのだと。
そんな声が聞こえた気がした。
だから私は死のうとした。目覚めるとロープを手に取って首を括ってみたり、手首の内側に包丁を当ててみたり。
死にたい。死のう。そう思っているのに。
いつだって死に切れない。死のう死のうと思うのに、死ねないのは何故なのだろう。
まだ、やり残したことがあるから?
無意識に死を遠ざけているのだろうか。
大切なものはいつだって、手に入れた瞬間に失うことが約束されているのに。


今日も太宰は夢を見た。
死ぬ夢だ。
焦点の定まっていない生気の欠けた目で天井を見上げる。敷き布団の上に仰向けになったまま、ぼーっとしていた。
カーテンの隙間から覗く景色はまだ薄暗い。時刻は朝の時間帯だったけれど、まだ日は完全に上がり切っていなかった。
両手を布団から出してみる。何かを掴むように天井へ向けて伸ばす。意味もなく手を握って開く。そっと手を下ろすと力なく手の平で目元を抑えた。
遠目から見たら泣いているようにも見えるだろう。

この日、太宰が見た夢は自分が死ぬ夢ではない。
自分じゃない誰かが死ぬ夢だ。
嫌な予感がする。例えようのない恐怖が足のつま先から上へと伝い、心臓を壊死させるかのごとく侵食し喉を塞ぐ。
上手く呼吸が出来ない。息を吸おうとすれば、嗚咽みたいな情けない音がした。

太宰の夢の中で、芥川龍之介が死んだ。



その日はとても寒かった。
雪でも降るのではないかと思うくらい。
空はどんよりと暗く、吹き荒ぶ風はカマイタチみたいにピリピリと肌を痛めつける。
中也はお気に入りの外套に身を包みながら、帽子が飛んでいかないよう手で押さえながら港町を歩いていた。
平日の昼の横浜。
クリスマス、年末年始、連休を過ぎた観光地はどことなく活気を失って元気がないように見えた。寒いなか公園のベンチで愛犬と共に休息を取る老人とか、暇な学生のカップルが手を繋いで歩くのを尻目に、中也は海を見遣った。
都会の海は濁っていて汚い。どことなく波が高く荒い気がした。
水平線が遠い。
黙って、じっと海を眺めていたら携帯電話が鳴った。ポケットから引っ張り出してサブディスプレイを確認する。
覚えのない番号だった。
「……はい」
通話ボタンを押して電話に出る。
『もしもし中也?私だけれど――』
プツッ!
即座に電話を切ると、中也は携帯電話をしまおうとした。ポケットに捩じ込もうとして、再び着信音が鳴った。
サブディスプレイにはさっきと同じ番号があった。チッ、と舌打ちをしながらも中也は電話に出た。
『酷いじゃないか……!突然切るなんて』
「なにかの間違いですので切りますね」
わざとらしい敬語を述べて、中也はもう一度電話を切ろうとした。耳から離したところで、
『ちょっと待って!!』
スピーカーから声がした。ここで思い切って電話を切ってしまえばいいのに。それが出来ないのが中原中也という男である。
はあっと溜め息を吐いてから、スピーカーに耳を当てた。
「んだよ、太宰……用事があんならとっとと言えよ」
海沿いの柵に両肘を乗せて寄り掛かかる。頭上でカモメが鳴く声がした。
『中也、いまひとり?』
「ああ。だからどうした?」
電話をしながら、太宰に対する苛つきを抑え込む為に中也は空いている方の手で煙草を探った。ケースを取り出すと中から一本だけ引っ張り出した。それを口に咥えてケースを戻す。
『芥川君はどうしてるのかと思って』
「芥川?」
ケースと入れ違いにジッポーライターを取り出す。風が強かったせいで、火をつけるのに少し手こずってしまった。
「あいつなら休みだけど」
先端に火がついたのを確認すると、ライターをしまって煙草を摘む。煙を吐き出す。一瞬だけ目の前の水平線が曇って遠退いた気がした。
『休み?』
「ああ」
フィルターを唇に挟んで煙を吸い込む。肺に至るまでを心地良い熱気に焼かれる。
「つい先日の任務でしくじっちまったみたいでよ。大人しく病院のベッドで世話になってるみたいだぜ」
まるで言葉が形になって宙を舞っていくように、白い煙が風に乗って漂う。
沈黙。
少しの間、中也は太宰から返ってくる言葉を待った。煙草を咥えて煙を吸って吐く。その一連の動作を終えても尚、太宰は黙っていた。
もしかしたら電波障害か何かだろうか。そう思って、中也は電話を肩と耳で挟んで固定しながら用心深く問い掛けた。
「どうした?何か言えよ?」
空いた手で携帯灰皿を取り出す。レザーのケースに灰を落とすと、中に吸い殻を捩じ込んだ。ポケットにしまおうとしたタイミングで、ようやく電話の向こうから声がした。
『……そうか。芥川君、入院してるんだ……』
やけに気の抜けた声だった。言葉の後に「ふうっ」と息を吐く音がした。
「一服してんのか?」
『ん?ああ……』
「珍しいな。なんかあったのか?」
さらっとした口調で中也が尋ねる。少しだけ強い風が吹いた。中也は帽子を手でおさえると、寒さから身を守るように外套のあわせを引っ張った。
『ねぇ、中也……』
「あ?」
『芥川君に会いたいのだけれど』
目の前で灰色の海が音を立てて騒めく。雲の隙間から覗いた僅かな太陽の日差しが、波の表面に光の粒子を散らした。
なんだかそれがやけに眩しく感じた。
中也は目を細めると小さく溜め息を吐いた。



まだ、太宰がマフィアにいた頃。
太宰は芥川の教育に手を焼いていた。
芥川の持つ異能はかなり強力なものである。太宰が今まで見てきたどんな異能と比べても、芥川はずば抜けていた。
それなのに、いっこうに芥川は成長しない。
馬鹿のひとつ覚えに、異能を使って敵を八つ裂きにして殺すことしか出来ない。
猪突猛進に敵に突っ込んでいく。だから、いつも芥川は怪我が絶えなかった。
ただでさえ、脆弱な体をしているというのに。任務を終える度に、必ずといっていい程に芥川はぼろぼろに傷付いてくる。

今回もまた然り。

太宰は重たい気持ちを引きずりながら、病院の廊下を闊歩した。靴裏が廊下を打ち鳴らすカツカツという音が、やけに耳障りに感じた。
芥川が入院している病室の前までくると、機械的に扉を開いた。そのまま中へ足を踏み入れる。無人の病床を横切って、一番奥のカーテンで仕切られた空間へ真っ直ぐに突き進んだ。
真っ白なカーテンを掴んで引っ張る。
シャッとカーテンレールが滑る。
ベッドの上で芥川はうつ伏せに寝転がっていた。真っ白なシーツと掛け布団から覗く肌は、同調してしまうのではないかと思わせるくらいに青白かった。
『……太宰さん』
透けるように白い肌に、不気味に際立つ黒目。大きくて丸い目が太宰を捉えた。
『やあ……。気分はどうだい?』
申し訳なさそうに芥川は目を伏せた。シーツに散らばる髪。サイドの長い部分の髪がシーツと同化するみたいに、毛先に向かうにつれて白くなっている。
そんな光景を見納めながら、太宰は近くにあった丸椅子を引っ張ってくると腰を下ろした。
太宰の様子を、芥川はただ静かに見守っていた。
目が合うと、太宰は無表情のまま告げる。
『訊いているのだから答えなさい』
『……あ、その』
困ったように芥川は視線を動かした。軽く身じろぎをする。体に繋がれていた点滴の管が揺れた。
管に伝って太宰は目線を動かした。管の先に繋がれた輸液のバッグを見遣ってから、太宰は小さく息を吐いた。
『……失敗か』
小さく呟かれた声に、芥川は振り向かずにはいられなかった。気まずい雰囲気のまま、頭だけを動かして太宰を見詰める。
太宰は目を合わせようとしなかった。
芥川のなかに不安が募る。沈黙が流れる。
『ごめんなさい……』
小さい声で謝罪の言葉を口にする。静かな病室に弱々しい声が木霊した。
やがて、太宰はゆっくりと立ち上がった。芥川の体を覆っていた掛け布団を掴む。
バサッと布団が捲られる。病室の窓から差し込む日差しが、舞い散る埃の粒子をキラキラと照らした。
芥川の背には包帯がぐるぐるに巻かれていた。それだけではない。腕や肩、額といったあらゆる箇所に絆創膏やガーゼか貼り付けられていた。
思わず太宰は息を呑んだ。

失敗した。
大切だと思いたいもの。守りたいと思うものはいつだって、失うことが約束されている。
そんなこと、分かっているつもりだったのに。

『……壊れてしまったら終わりなのにね』
そう呟いた太宰の顔を芥川は不思議そうな顔で眺めていた。
太宰のそんな顔を初めて見た。泣きそうな顔をしていた。


どんなに酷い仕打ちをしても、どんなに拒絶をしても、芥川はそばにいてくれた。
太宰から離れることなく。むしろ、太宰が酷くすればするほどに、芥川は磁力を増して離れなかった。
それを鬱陶しいと思うこともあった。
そう思うと、ますます酷く遠ざけたくなった。
うざったい――中也に抱くのとは別の感情で、太宰は芥川を面倒に思うことがあった。
いつまで経っても成長しない。
敵を八つ裂きにすることだけが芥川に与えられた異能の全てではないと、散々に言い聞かせてきたのに。一度だって、芥川がまともに従ったことはなかった。
本当は傷付けたくない。傷付いて欲しくない。
そんなことくらい、口に出さなくても察して欲しい。

芥川と距離を置くようになってから、少しばかり気持ちが晴れた。
肩から重荷を下ろした心地がした。
けれど、下ろした筈の重荷の紐が外套の裾に引っ掛かっているみたいに、ずるずると何かを引き摺っているような気がしてならなかった。
そんな居心地の悪さを感じる度に、太宰は仕方なく振り返って重荷の様子を見に行くことになった。
芥川と離れてから4年。
片時だって、太宰が目を離したことは一度だってなかった。



中也から聞きつけた情報を頼りに、太宰は病院へと向かった。
エントランスを抜けると入院棟へと向かう。
過去に何度となく足を運んだことのある病院だった。
4年前と変わらない。
変わったことといえば、美人で若い看護師が増えたことくらいだろうか。太宰は看護師とすれ違うと柔らかく微笑んで手を振った。あまり歳の変わらないような若い看護師のひとりが頬を染めてそそくさと立ち去って行った。
そんなイベントに心を和まされながら、太宰は目的の場所へと向かった。
広々とした廊下の窓から覗く空は暗い。
分厚い雲に覆われた太陽は、まだ昼間だというのにすっかりおやすみモードだ。
そんな太陽を羨ましいとか思いつつ足を進める。
目当ての病室の前まで辿り着く。
迷いなく、太宰は扉を開いた。
扉の隙間から飛び込んでくる風景。
ベッドの上で芥川は座って本を読んでいた。
ノックもなしに開かれた扉を見遣って、芥川はみるみるうちに目を丸くした。
「……太宰さん?」
芥川の声を聞くや否や、太宰は無意識に床を蹴っていた。芥川は怪我をしているかもしれないのに、構わず飛び付くと思い切り抱き締めた。
腕の中にすっぽりと収まる小さな体。
骨ばっていて硬い。決して抱き心地が良いとはいえない体だ。それなのに、ぴったりくっついた部分から伝わってくる低い体温を、心地良いと思ってしまうのはどうしてなのだろう。
「だ、太宰さん……!あ、あの……」
突然のことに、太宰の腕の中で芥川は狼狽えていた。読んでいた本が手から滑り落ちる。ベッドの下に落っこちて、ページがバラバラに乱れた。
芥川の後ろ頭を押さえつける。頭の形を確かめるみたいに髪に手を差し入れると、肩のあたりに頭を押し付けた。
「……今日が何の日か、ようやく思い出したよ」
「え?」
「大切なことの筈なのに、どうして忘れていたのだろう……」
呟きながら、太宰はそっと体を離した。
芥川の細い肩をしっかりと掴みながら距離を取って見詰め合う。芥川の目はただどこまでも真っ黒で、濁りのない色をしていた。
芥川は何も言わず、ただ太宰を見詰めていた。何か声を掛けようかと逡巡しているようだった。やがて、芥川の手が太宰の頬に触れた。
右の頬に触れるとそこに掛かる髪をふわりと撫でた。骸骨みたいな細くて白いゴツゴツした指の親指が、太宰の目元をなぞった。
「如何して泣いているのですか?」
芥川に言われて初めて、太宰は自分が泣いているのだと気が付いた。ハッとして瞬きをする。ツツッと頬を温かいものが伝った。
芥川はそれを指先で拭い取ってやりながら、目を逸らすことなく太宰を見ていた。
同時に髪を撫でてくれる芥川の手に、懐かしかった思い出が蘇った。
太宰の唇が震える。
「……今日は、織田作の命日だったのだよ」
僅かに芥川が目を瞠った。
「また、私は死に損ねてしまったね」
困ったように笑い飛ばす。そんな太宰を見詰める芥川の眼差しが鋭くなった。
「其の様なことを報告する為に、僕のところへ赴いたのですか?」
芥川の眼差しには明らかに嫉妬の色が込められていた。その色を感じる取る度に、太宰は背筋が痺れた。心臓がギュッと掴まれて、下腹部のあたりがズクンと疼き出す。
「君だって同じだよ、芥川君」
芥川の肩を掴む手に力がこもる。指が食い込むくらい強く肩を掴んだ。
「生きていたって何も意味はない……。君も私も同じだ」
「…………」
芥川の目に悲しげな影がちらついた。
「ならば、なぜ貴方は生きているのですか?」
「口答えするのか?随分と偉いご身分になったものだね」
はっ、と吐き捨てて嘲笑する。
「君が殺してくれるとでもいうのかい?」
「……貴方が望むのならば」
「へぇ」
太宰の瞳から光が消えた。それは4年前に芥川が散々に対面してきた――黒い時代の太宰の表情そのものだった。
「やってみろよ」
ニッと口元が弧を描く。その口角に煽られて、芥川は手を伸ばした。
ガッと包帯が巻かれた太宰の首を両手で掴む。勢い余って床に倒れ込む太宰。もつれ合う様に、芥川はベッドから降りると太宰の上に馬乗りになった。
そのまま、ギリギリと首を絞める。
親指が喉仏を圧迫し気道が狭まる。
太宰は表情ひとつ変えることなく、ただ芥川を見上げていた。底なし沼みたいな光のない目に、芥川の姿をぼんやりと映して。
芥川は何かを堪えるように歯を食いしばっていた。腕に繋がっていた点滴の管が、体を大きく動かしたせいで弾け飛んでいた。
細くて華奢な肢体を包む薄っぺらい入院着。その下から覗く包帯とガーゼ。
まるでそれは、ひび割れたガラス細工が砕け散ってしまわないように、接着剤やテープで繋ぎ止めているように思えてならなかった。
(……ああ、このまま死ねるのかな)
そんなふうに思って、太宰はそっと目を瞑ろうとした。
その時、頬のあたりに何かが落ちた。
生温い。
ぽたっと落ちてくる雫に眉根に寄せる。途端に首を締めていた手の力が緩まった。
酸素が巡ったことで意識が明瞭になる。
芥川は泣いていた。
瞬きをすることなく、丸い目からぽたぽたと涙の雫を滴らせて。その雫はあまりにも綺麗な形をしていた。
病院の照明を反射させて輝く。
太宰はそっと手を伸ばすと、落ちてきた雫を手の平で受け止めた。そのまま意味もなく手を開いたり閉じたりする。
すると、芥川の片手が太宰の手を握った。
握った手を引っ張って、頬へ当てる。すりすりと頬擦りをしながら、芥川は泣きじゃくった。
「……意味なんて、なくていい」
芥川は涙を拭うことなく告げる。
「生きていてさえくれれば、それだけで充分です」
「私は死にたかったのだけれど」
ふるふる、と芥川はかぶりを振った。
駄々をこねる子供みたいな顔をする芥川を見上げながら、太宰はクスッと笑みを零した。
芥川の頬に当てられていた手を動かす。濡れた頬を指先で撫ででやった。
「随分と我儘になったものだね」
ごめんね、と言って体を起こす。
芥川の体を抱き締める。おずおずと芥川も太宰の背に腕をまわして抱き着いた。


死ぬ夢を見た。
織田作の命日に。芥川君が死ぬ夢を。
だから私は君が死んでしまうのではないかと怖くなった。君がいなくなってしまうのではないかと。
少し目を離した隙に、私の知らないところで君がいなくなる。君が死んだら、私は一体どうしたら良いのだろう。
答えなんて誰にも分からない。
誰だって、生きる意味なんてなくても生きているのだから。
大切なものを失っても、人は生きなければならないのだから。
ただ、少しだけ願いたいのは、こんなちっぽけな存在にも「生きていて欲しい」と願ってくれる誰かがいること。
必ずしも、その人の為に生きたいとは思わないけれど、それでも居ないよりは居てくれた方が居心地が良いに決まっている。
きっと、私にとってのそれは君だった。
織田作、芥川君――
私に「生きろ」と言ってくれて、ありがとう。




数日後。
芥川は退院した。
すっかり顔見知りになってしまった看護師長から激励を受けながら、芥川は病室を後にした。
エントランスのあたりで待ち伏せていた中也が軽く手を挙げた。
中也の姿を見ると、なんだか気持ちが和んだ。芥川は小走りに中也へと駆け寄った。
「すみません、中原さん。わざわざご足労頂き……」
「気にしなくていいぜ。それより、あまり無理しなくていいからな」
「……はい」
自分よりも頭いっこぶんとちょっと小さい背丈の中也を見下ろす。
自動ドアを潜ると、そのまま横浜の街を歩いた。数日前に太宰が病室に押し寄せて来た時と比べて、良く晴れていた。
芥川が入院していた間にどんなことがあったのか。中也は丁寧に説明してくれた。その言葉に耳を傾けながら、芥川は太宰のことを考えていた。
あの日、芥川のところへ顔を出して以来、太宰には会っていない。声も聞いていない。
当たり前といえば当たり前のことであるが、どうしても気になってしまった。
(太宰さんに会いたい……)
芥川の気持ちが塞ぎ込んでいるのを悟ってか、中也は口を動かしながらも思考を巡らせた。
「……少し寄り道してくか?」

緑が豊かな外人墓地。日本にありながらも、インターナショナルスクールが設立されているこの土地にはいっそう異国情緒が漂っていた。
慣れ親しんだ横浜の地ではあるが、いつも芥川はここへ足を運ぶ度に緊張した。
外国人の少女とすれ違った。なんの気なしに目が合った。
ふと、中也が足を止めた。それに倣って芥川も立ち止まる。
目の前へ視線を投げる。思わず、芥川は目を瞠った。
木の枝が落とす影を体に受けて、太宰がそこに立っていた。まるで待ち伏せでもしていたみたいに、砂色の外套に手を突っ込んでこちらを見据えていた。
中也は大袈裟に溜め息を吐くと、半歩うしろにいた芥川の手を掴んだ。
ぐいっと引いて前へ押し出す。芥川は目を丸くして中也を振り向いた。
「退院祝いだ」
ぶっきらぼうに中也はそう告げた。
心地良い風が吹く。中也は帽子を押さえつけたまま、柔らかく微笑んだ。
その微笑みに促されて、芥川はゆっくりと前を向いた。
見間違いなんかじゃなかった。
愛しい人。大好きな人。
その姿に安堵を覚えると、芥川は太宰へ向けて歩き出した。


成り行きで太宰の家に行くことになった。
そして、どうしてか一緒にお風呂に入ることになった。
外はまだ明るい。
昼間だというのに、湯船にお湯を張って一緒につかる。
太宰に背を預ける形で、芥川はちょこんと浴槽に座り込んでいた。背後から太宰が抱き締める。大きくて形の良い手が、芥川の体を愛撫した。
「君ってさ……。良く怪我をする癖に不思議と傷痕とかは残らないよね」
太宰が手を動かす。ちゃぷっとお湯が跳ねた。
「いつも白くて綺麗な肌をしているよ」
「……そうでしょうか?」
「ああ」
芥川の脇腹を滑った手が肋を辿る。骨の形を探るみたいな手の動きに、芥川はぞくりとした。
太宰が顎を芥川の肩口へ乗せる。ねとっと湿った感触が首筋を伝う。
「ぅ、や……太宰さん……?」
太宰が頭を傾けて芥川の首筋を舐めていた。ぬろーっと舐め上げて、その箇所にチュッと吸い付く。歯を立てられると、火傷したみたいにチリッと痛んだ。
「だからね、つい傷付けたくなってしまうのだよ」
「ん……」
白い肌に咲いた紅い華。満足そうに太宰はその箇所を撫でた。
「どうせすぐに消えてしまうのに……」
その言葉には哀愁が漂っていた。
おそるおそる芥川は手を動かした。そっと太宰の頭に触れる。濡れた髪を撫でてやったら、太宰は少しだけ驚いた顔をした。
小さく微笑むと芥川の手に擦り寄る。猫が飼い主の手にすりすりするみたいに、やたらと甘える仕草を取ってみせた。
そんなふうに甘えられてしまうと失礼ながらにキュンとした。太宰のことを「かわいい」と思ってしまった。
芥川の方からも肩に埋まる太宰の頭に頬を擦り付けた。
そっと太宰が顔を上げる。見詰め合うとどちらからともなく唇を重ねた。
唇が触れる。ふわりと触れ合ってから、ちゅうっと吸い付く。遠慮がちに芥川が啄むと、それより強い力で吸引された。
ちゅうちゅうと啄ばみ合っていたら、唇の隙間から舌が滑り込んできた。ぬるぬるとした熱く湿った感触。大好きな人の味が口の中に広がった。
「は、……んふ」
芥川は必死になって舌を舐めた。飴を欲しがる子供みたいに太宰の舌にしゃぶりつく。
体を愛撫する太宰の手に熱がこもる。大胆な動きで芥川の腹部を撫でると、その下にあった中心をギュッと握り込んだ。
「ひゃう……」
緩く芯を持ち始めていたそれが敏感に反応する。太宰の手の平の感触を感じ取った途端に、急速に熱がこもり始めた。
「感度が良いのは相変わらずだね……」
「ん、ごめ……なさ……」
恥ずかしい。
ちょっと触れて貰っただけでこんなふうに反応してしまう自分の体が憎らしかった。
強弱をつけて握られる。指先が先端を撫でて窪みをくすぐる。とろりと溢れてきた先走りをお湯に溶かしながら、太宰はもう片方の手で芥川の胸を弄った。
小さなその粒を摘んで引っ張る。芥川は苦しそうに眉を寄せると、嫌々と身悶えした。
「い、痛いです……!」
痛い、と言われると余計に煽られてしまう。更に強い力で太宰は乳首を抓った。
「や……やぁ……」
弱々しく声を漏らして芥川は首を振った。じたばたと暴れられるとお湯が跳ねて鬱陶しい。
鎮めるように太宰は目の前にあった首の付け根に食らいついた。がぶり、と歯が食い込んでいく。
「ぅ……ひぅ、……い、いたい……」
芥川は泣きそうな声を上げた。怯えるような反応を取っておきながら、太宰の手の中のそれはしっかりと硬度を増していく。
噛み付くのをやめると、太宰は小さな耳を唇で挟み込んだ。耳の裏側へ歯を立ててやりながら、耳の硬い部分を歯を使って引っ掻く。
がりっという音が耳の中に響く。芥川の体がゾワゾワと痺れた。
「んや……、や……!も、う……でちゃ……」
あと少しで達する手前で太宰は手を引いた。芥川の前を解放してやると、耳から口を離した。
「……ぅ?」
不安そうな顔で芥川は太宰を見た。あまりにも怯えたような顔をしているから、ちゅっと唇を啄んでやった。
「ぬるくなってきたからね。続きはあっちでしようか……」
ざばっと太宰が立ち上がる。中途半端な状態で投げ出されてしまった芥川は、顔を真っ赤にしたままもぞもぞと立ち上がった。

濡れた体のまま敷き布団に寝転がる。
待ったをかけられて痺れる芥川の体を雑に慣らしてから、太宰は少し強引に体を繋げた。
芥川の足首を掴んで肩に担ぎながら、ゆっくりと身を乗り出す。
まだ切っ先の部分しか埋め込んでいないのに、芥川は勝手に達してしまった。
ぴゅるっと跳ねた粘液が太宰の顔まで飛び散った。
「あ……やだ、ごめんなさ……」
何食わぬ顔で太宰はそれを指先で拭うと汚れた箇所をぺろりと舐めた。芥川の顔がますますカーッと赤くなった。
「うぅ……汚い、です……」
「汚くなんてないよ」
ついでに太宰は肩に担いでいた脚の太腿に唇を押し当てた。チュッと吸って痕を残すと、その箇所を愛おしそうに唇で撫でた。
「いつだって君は綺麗だよ……」
なんだかやけに、今日は太宰が優しい気がする。優しくされると嬉しいけれど、どうしたら良いか分からなくなる。
耳まで真っ赤にして、芥川は大きな目で太宰を見詰めた。
体の中を太宰の熱が侵食してくる。太宰の形に体が拓かれていく。
いつもこの時。
余裕のない太宰の顔を見上げるのが芥川は好きだった。
芥川にとって完璧である筈の存在の太宰が、人間らしく欲に溺れる。その姿を見られるのは自分だけの特別だと芥川は感じていた。
「……ん」
内臓がせり上がってくるかのような圧迫感。太宰が抱える孤独とか、寂しさとか、そういうのを一身に受け止めているような心地がした。
不思議と苦しくなかった。
それよりも大好きな人と体を繋げられることの嬉しさの方が勝った。
「……動いていい?」
「はい……」
覆い被さる太宰の体に腕を絡めて抱き着く。小刻みに震える芥川の唇を優しく啄んでやりながら、太宰はゆっくりと腰を振った。
「はぅ……!あ、ん……」
達したばかりだというのに、体の内側の気持ち良いところを刺激されてしまうとたちまち熱がぶり返してしまう。
芥川の中が、大好きな人の熱を拾おうと疼き出す。きゅうっと内壁が収縮する。太宰の額に汗か滲んだ。
「……えっちだなぁ、芥川君」
「んんぅ」
困ったように表情を崩して芥川はしがみついた。途端に律動が激しくなった。
ガクガクと腰が揺れる。その度に太宰の腹部に擦れる自身が快感を拾ってしまう。
「あ、ぅ……や、やぁ……!」
膝を擦り合わせたくても、太宰の体を挟み込んでいるから出来ない。もどかしい。
「だざ、ぃさ……」
「なに?」
「き、きす……した、ぃ……」
「いいよ」
はむっと唇に噛み付かれる。腫れてしまうのではないかと思うほどに強く吸い上げられた。
れろれろと舌が絡まる。唾液がまじわるぷちゅぷちゅという音と、体の中を掻き回されるぐちゅぐちゅという水音の両方が響く。
太宰の手が芥川を握る。再び濡れそぼっていたそれを握り込んで上下に動かす。芥川の舌がぴりりと痙攣した。
「ッ、〜〜!!」
たまらず芥川が達する。それにつられて太宰も芥川の中に欲を吐き出した。
「……は」
唇を離して息を吸い込む。
息苦しいけれど離れているのが勿体無く感じた。名残惜しそうに唇が重なる。


夢を見る。
私が死ぬ夢だ。
私が死ぬ時、いつも私はひとりだった。
嫌だ。ひとりで死ぬのは嫌だ。
生きていたい。


「……芥川君」
力なく、太宰は芥川の体に身を預けた。
ぎゅっと強く抱き締める。
「好きだよ……」
その重み全身で受け止めながら、芥川は天井を見上げていた。
太宰の後ろ頭を撫でて、芥川は掠れた声を絞り出した。
「僕だって……」

いつの間にかカーテンから覗く外の景色は薄暗くなっていた。
奇しくもそれは、夕暮れというよりは夜明けのそれに良く似た色をしていた。


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