シンデレラニューイヤー

今年も無事に一年が終わる。
一年が終われば新しい一年が始まる。
終わりが来れば始まりが訪れる。
特別なことじゃない。何事も同じだ。
ただひとつだけ、それを特別なことだと思ってしまうのは――


「一年の最後の日だからって、何をそんなに騒ぐ必要があるのかねぇ」
そんなふうにぼやきながら、太宰はテーブルに頬杖をついた。退屈そうにして視線の先で流れるテレビの画面を眺める。
テレビに映るのは正月特番の類い。
太宰は半ばうんざりしていた。
膝に掛かっていた掛け布団を肩まで引き上げると、すっぽりとこたつに身を委ねた。
寒くなってくると、太宰はこたつを引っ張り出して、こうやってやることもなくごろごろしていた。
別にテレビが観たい訳ではない。
ただ単にやることがないから、BGM代わりにテレビをつけてぼうっとしているのだ。
そんな太宰の姿を台所で眺めながら、芥川はインスタントのコーヒーをドリップしていた。ドリップコーヒーなんて、だれが淹れたってそれなりに美味しく仕上がるようになっている。
それでも、少しでも太宰に美味しいと思って貰いたい。声には出さないが心の中で、芥川は「美味しくなりますように」と願いを込めながらお湯を注いだ。
コーヒーのバッグを流しの三角コーナーに投げ捨てて、ミルクと砂糖を投下する。太宰が好きな味について、いつの間にか体が覚えてしまったようだ。程よい分量で手を止めると、ティースプーンでそれをかき混ぜた。
「……お待たせしました」
太宰の背後から近寄って、テーブルにコーヒーを置いた。ミルクティ色をしたコーヒーの水面を一瞥して、太宰はカップを手に取った。
太宰がカップに口付ける。この瞬間、いつも芥川はドキドキした。
薄い唇をコーヒーが濡らす。包帯越しに、喉仏が小さく上下した。
「うん、美味しい」
よくできました、と言って太宰は頭を撫でてくれた。それが嬉しくて、芥川は頬を染めるとぎこちなく目を伏せた。

今日は12月31日。
一年の最後の日。大晦日だ。
太宰に拾って貰ってから、芥川は初めてこの日を迎えた。
いつも通り、自分の家に帰宅したら布団に潜って眠りにつこうと思っていたのに、仕事帰りに太宰からお呼びが掛かったのだ。
『今夜、うちに来なさい』
まさかそんなふうに声が掛かると思っていなかったからびっくりした。「良いのですか?」と聞き返すと、
『私の言う事が聞けないのか?』
と返ってきたので急いで首を振った。
大好きな太宰とふたりきり。
暖かい部屋でのんびりと過ごす。
仕事以外に一緒に居られることは少ないから、芥川からしたらなんだか特別な気がしてならなかった。
太宰は仕事においてはストイックで厳しい側面があるが、プライベートとなると違ってくる。歳相応の少年の一面を見せ付けられてしまうと、ますます芥川は太宰から目が離せなくなってしまう。

「芥川君」
名前を呼ばれて顔を上げる。すると、太宰は座っていた位置を詰めて、こたつ布団を捲った。隣に来るよう、目線だけで促される。
おずおずと芥川は隙間に体を滑り込ませた。男が二人、並ぶには少しばかり狭いように感じられた。
しかし、太宰は構うことなくコーヒーを啜る。太宰の様子をちらちらと伺いながら、芥川も自分の分のコーヒーカップを両手で包んだ。そっと口元へ寄せてから、口に含んだ。
静かだった。
ただ、テレビから流れるバラエティ番組の陽気な笑い声だけが、部屋の中に響いていた。
太宰は真っ直ぐに前を見ていた。見ていたけれど、その目には多分なにも映っていない。
「……もうすぐ今年も終わりか」
名残惜しそうに呟いて瞬きをする。
明滅するテレビの明かりを反射して、太宰の眼球がチカチカと光っていた。
なんだか泣いているようにも見えた。
涙を流すことを諦めているように感じた。
ほかほかと湯気の立つコーヒー。芥川はカップをテーブルに置くと、入れ違いにテレビのリモコンを手に取った。
そして、
プツッ!
テレビの電源を切ってしまった。
太宰はパチリと大きく瞬きをすると、そのままゆっくりと芥川を見た。芥川はリモコンを握り締めたまま、太宰を見上げていた。
「なに?」
「…………」
芥川は何か言おうとした。言おうとして躊躇していた。リモコンをギュッと握って胸元に押し当てると、意を決して唇を動かした。
「……無理に、気持ちを合わせる必要はないと思います」
BGMを失った部屋。コーヒーの香りと、無駄な静寂が部屋を満たしていた。
カチカチと時計の針が動く。ちょうど、秒針が12の数字を跨いだところだった。
「へぇ……」
太宰が笑った。口の端を釣り上げて、口元が柔らかく弧を描いた。
「面白いことを言うね」
「つまらないものに関心を向けていたら、気持ちが滅入るだけです……」
「ならば何に関心を持てば良い?」
何かを試すかのような口調だった。
にんまりとした笑みを浮かべて、太宰は盛られていた蜜柑をひとつ手に取った。自然な流れで皮を剥いていく手元を見遣ってから、芥川はもう一度、太宰を見詰め直した。
「……僕を見てください」
我ながらなんて恥ずかしいことを言っているのだろう。言ったら最後、言葉を飲み込むことは出来ないのに。
案の定、太宰はぽかんとした顔で芥川を見ていた。負けじと芥川は顔を真っ赤にしたまま目を逸らすことなく言葉を続けた。
「どうせつまらぬものを見るなら、まだここに生身として存在している僕の方が、幾分か貴方を満足させられます……」
「どうやって私を満足させてくれるんだい?」
「それは……」
答えに窮してしまった。おろおろと目を泳がせている間に、太宰は蜜柑の皮を剥き終わったようだった。
ぺりっと蜜柑を一粒だけ引き剥がす。
「はい、時間切れ」
そう言って、蜜柑の粒を芥川の口へ押し込んだ。油断し切っていた芥川の唇の隙間からするりと蜜柑が侵入してくる。
「!?」
芥川はすぐさま蜜柑を吐き出そうとした。が、せっかく太宰が剥いてくれた蜜柑を粗末に扱うのは如何なものかと思った。
仕方がなくそのまま蜜柑を咀嚼した。思い切って噛んでみると、口の中に果汁が溢れた。甘酸っぱくて口の中がピリピリした。
「……ぅ」
嫌いなものを口に入れていると、不思議と涙が溢れてくるものだ。ぎゅっと目を瞑って、芥川は蜜柑を嚥下した。
そんな芥川の姿を見て、太宰は愉快そうに微笑んだ。もう一粒、蜜柑を剥がして芥川の口へ運ぶ。涙目になりながらも、芥川はうっすらと唇を開いた。またもや蜜柑が口に差し入れられる。
嫌々ながらも受け入れて、芥川は蜜柑を噛み潰した。こくり、と喉が動くのを見て更に一粒。途中で太宰も蜜柑を何粒か食べた為、同じことを6回ほど繰り返された。
芥川は黙ってされるがままだった。嫌いな蜜柑を無理に食べさせられて気持ちが悪くなった。最後の粒を口に転がしていたら、太宰の手が顔に伸びてきた。
何か良からぬ悪戯をされるのかと思い身構えたが、太宰はやんわりと頬に触れただけだった。形の良い指先が頬を撫でる。それから、親指が蜜柑の汁で濡れた唇を撫でた。
「芥川君」
「は、はひ……」
蜜柑を口の中で転がしながら芥川は返事をした。
「自分で言ったことには責任を持って貰わないと困るよ」
太宰の親指が唇の隙間に引っ掛かる。親指の爪が上唇を捲った。
太宰の顔が近付いてくる。頭を傾けると茶髪が揺れて、蜜柑の甘酸っぱい匂いがした。
じっと目を見詰めたまま、瞬きすることなく近付いてくる。この目に捕らえられてしまうと身動きが取れなくなってしまう。呼吸を忘れてしまう。
言葉に出されて指示された訳ではないのに、従わないといけない気持ちにさせる。
「……ん」
ふわり、と唇が重なった。芥川の唇を労わるように、優しく唇を啄まれた。そんなふうに何度か唇を啄ばんでから、太宰は顔の角度を変えた。
顎がぶつからないように慎重に、唇と唇を隙間なく重ねる。ぴったりと重なると、芥川の顎を掴んで都合の良いように動かした。
ぬるっとした舌が滑り込んでくる。
太宰の舌も蜜柑の味がした。
「ぁ……、んふ、ぅ……」
まだ、口の中に残っていた蜜柑の残骸を太宰の舌が掬い上げる。ぺちゃっという音が耳の内側から響いて、それと同時に甘ったるいものが喉を濡らす。
蜜柑の汁が混ざった唾液の味。
蜜柑なんて嫌いな筈なのに、それはとても甘美で美味しく感じた。もっと欲しくて、芥川の方からも身を乗り出した。
がちっと歯がぶつかった。
あからさまに太宰が眉を顰める。
「……余計なことはするな」
一瞬、唇が離れたタイミングでそう言われて、芥川は肩を竦めた。
「ご、ごめんなさ……、んむっ!」
謝罪の言葉を全て言い終わらないうちに唇を貪られる。座高の関係で太宰の方が芥川より頭の位置が上にある。上を向いている芥川の口の中には絶えず、だらだらと唾液が滴り落ちてきた。
こくこくと喉を鳴らして飲み下していたら、いつの間にか口の中から蜜柑が消えていた。
「ん、は……ぁ」
太宰が口を離す。
芥川は顔を真っ赤にして、とろんとした目で太宰を見上げた。
これといって何の感情も込められていないような目で、太宰は芥川を見ていた。その眼差しが怖くて、芥川は小さく身震いをした。
「何度しても上手にならないね、君」
「……ごめんなさい」
キスをするのは好きだ。けれど、「好き」の気持ちが強すぎていつも急いてしまうのだ。
――太宰さんがもっと欲しい。太宰さんともっと触れ合いたい。
そう思うのはいけないことなのだろうか?
「まあいいや」
溜め息まじりにそう言って、太宰は芥川の肩を掴んだ。薄っぺらくて、少し力を込めたら簡単に折れてしまいそうなくらい華奢な肩だ。
とんっと軽く押すと、芥川は床に肘をついた。
そのまま、太宰が上から覆い被さる。
「どうせ一年の終わりだからって何も無い……」
太宰の口調からは諦めのようなものが取れた。
何か声を掛けるべきか否か、芥川は考えた。けれど、太宰に対してなんて声を掛けたら良いか分からなかった。
余計なことを言って怒らせてしまったら嫌だ。これ以上、駄目な奴だと思われたくなかった。
だから、代わりに芥川は太宰の髪を撫でた。顔にかかる髪を指先で梳いて、太宰がしてくれたのと同じように、親指を使って唇を撫でた。
カチカチ、と時計の針の音がする。そろそろ12時を跨ぐ頃だろうか。
お伽話では魔法が解ける時間だ。
ここが現実世界であるなら、一年を終えて新しい一年への門出の扉が開かれる時だ。
「何も無くても、ひとりではないです……」

今まで、芥川にとって一年を終えることは何ら特別なことではなかった。
一年を終えて新しい一年が始まる。
まるでそれは終わりの見えない生き地獄を無限ループしている心地だった。また一年、熱さに焼かれ、寒さに凍え、飢えに苦しみ、生きる気力を失う。失っても失っても、いつか訪れるであろう希望に託して。一日一日の命を繋いでいく。
それが当たり前だと思っていた。
けれど、これから先は違う。
太宰に拾って貰って初めて迎えるこの瞬間。
今までの人生を清算し、新しく生きる決意を抱いて。

太宰は真っ直ぐに見詰めたまま、目を凝らしていた。芥川の丸い大きな黒い目を、用心深く覗き込んだまま、静止していた。
やがて、何かを悟ったように、目を閉じると柔らかく微笑んだ。
「……ふふ」
優しい声だった。小さく笑ってから、太宰は芥川を抱き締めた。やんわりと腕を絡めて、そのまま芥川を床に押し倒す。
「太宰さん……」
肩に埋まる太宰の頭。後ろ頭へ芥川はそっと手を添えた。
応えるように腕の力が強くなる。
若干の苦しさを感じながらも、芥川は黙っていた。
しばらくの間、そうして抱き合っていた。ぴったりとくっついた体の、胸元から心臓が鼓動を刻む音が聞こえた。
(……僕だけじゃない)
太宰の心臓もドキドキしていた。それが嬉しくて、芥川は太宰の頭へ顔を擦り付けた。
どさくさに紛れて髪の匂いを嗅ぐ。シャンプーの良い匂いに混ざって、蜜柑の残り香が香った気がした。
「んぅ」
そんなふうにしていたら、首の付け根のあたりにチリッとした痛みが走った。
芥川が体を捩らせる。
「だ、太宰さん……なにを……?」
おそるおそる声を掛ける。太宰は「ん?」と言って顔を上げた。
「良い拾い物をした、と思ってね」
「……え?」
もう一度、太宰は唇を首筋へ寄せると、筋が浮かんだ色白のそこを舐め上げた。べろっと舐めてから歯を立てる。
「い、痛い……!」
ぎりっと歯が食い込んでくる。芥川の薄い眉が苦痛に跳ね上がった。
太宰は口を離すと満足そうな笑みを見せた。それから、抱き締めていた腕を解くと、色を持った手付きで芥川の体を撫で下ろした。
肩から胸、胸から肋のあたりを撫でて、腰をさすると、下肢の衣服へ手を掛けた。
「あっ、や……!」
咄嗟に芥川は太宰の手を掴もうとしたが寝巻きに着替えていた為、スウェットのゴムを引っ張られてしまうと簡単に中心を暴かれてしまった。
こたつ布団に遮られてしまい、どうなっているのか見えない。太宰の手がそこへ触れると、その箇所がこたつの熱で焼かれているみたいに熱くなった。
「ぅや……やだ、こんなところで……」
弱々しく首を振る。宥めるように太宰の唇が額に押し当てられた。
「私を満足させてくれるんだろ?」
ニッと不敵に微笑む太宰。人を騙す時のようであり、欲しい獲物を手に入れた時のようでもあるその顔に、芥川は腰の奥がきゅんっとなった。
「たまにはこういうのもいいじゃないか……」
どことなく、太宰にも余裕がないように見えた。良く見てみると、前髪の隙間から覗く額にうっすらと汗が浮かんでいた。
「芥川君」
「……はい」
太宰の手が芥川の手を掴んでこたつの中へと誘導していく。
「自分でしてみて?」
「へ!?」
「いつも自分がしているみたいにやってみなさい……私もするから……」
流れのままに、芥川は自分のものに触れた。どうしたら良いか分からず、太宰を見詰める。宣言通り、太宰も手を動かして下半身を寛げていた。
ゆっくりと太宰の手が動く。それに倣って、芥川も手を動かした。
くちくち、とふたりぶんの水音が響く。
こたつに下半身を突っ込んだままで、上は一切乱れていない。ましてや今は、日付けが変わった直後であり、新しい一年が真っさらの状態で始まったばかりである。
それなのに、こんな淫らな行為に耽るなんて。
なんだか背徳的に思えてきた。背徳的だと思えば思うほどに、興奮が掻き立てられてしまう。
「……ぁう」
芥川の口から声が漏れる。空いている方の手で口元を押さえようとしたら、太宰の手が手首を握った。
何も言わずに太宰が唇を塞ぐ。
「ん、ん……」
ちろちろと舌と舌を舐め合う。キスをしていたら気持ち良くなってきた。だんだんと、手の動きが大胆なものになっていく。
「んん〜!……ッ!?」
舌を吸い上げられて甘噛みされてしまうと、芥川は我慢できずに達してしまった。
痙攣して痺れた芥川の舌を絡め取ってから、後を追って太宰も果てた。
唇が離れると、芥川は大きく息を吸い込んだ。はあはあ、と呼吸を荒げて、薄い胸が上下した。
「だ、ざいさ……」
「なに?」
「満足できましたか……?」
「そうだねぇ……」
思わせぶりに太宰が言う。泳がせた視線の先――とっくに日付を跨いだ時計が、ただ黙ってふたりを見下ろしていた。
「まだまだ夜は長いからね……」
太宰の手が髪を撫でる。早くその言葉の続きを聞きたくて、芥川はその手に擦り寄った。


特別なことじゃない。何も。
ただ、ひとつだけ今日を特別だと思ってしまうのは、終わりも始まりも貴方と共に居られる幸せを知ってしまったから。
貴方に終わり、貴方に始まる。
それがこんなに幸福なことだなんて思わなかった。


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