記憶

 その日もLDSの最新機器を使いデュエルの測定を行っていた。スタンダードのデュエリストとそれぞれの次元のデュエリストの召喚反応は明らかに異なっている。その違いを知るための研究だ。
 いつものように零児がラボに入って来たのに気付いた研究員たちは一斉に零児の方に向いた。
「申し訳ございません、思うように解析が進まず……」
「そろそろ限界だろう。方法を変えた方が良いのではないか?」
 隼はこめかみを押えながら壁にもたれかかっていた。これ以上は体に負担がかかり過ぎる。そう零児は判断したものの研究員たちはまだ試していない方法をやりきるまで諦めきれず隼に話しかけた。
「黒咲隼、もう限界か?」
 研究者の声で見られている事を思い出した隼は我に返った。
「まだ平気だ」
 そう気丈に振る舞うも声にいつものようなハリは無い。これ以上は危険だと判断した零児は研究の中止を決めた。
「残念ながらこの実験では成果を得られなかった。以上だ」
「俺はまだ……」
 そう言いながら零児を睨みつけた隼は目の前が徐々に暗くなっていきそのまま倒れこんだ。
医療班に運ばれるのを研究者たちは不安そうに見送った。零児も表情にこそ出さなかったものの焦りを感じていた。そこまで体力の消費が激しかったとは誰にも予想がつかなかったうえにいつも隼は弱音の一つ吐かないで無茶をしていた。詳しいことは調べないと分からないが多分過労だろう。きつく言わないといけない、そう思いながらラボを後にした。

 検査の結果特に異状は見つからなかった。胸をなでおろし病室に向かった。体に問題が無くても隼はデュエルの具現化や人をカードにするという無茶を続けていた。何が起こっても不思議ではない。目が覚めてから一通り検査したらもう退院出来るらしい。夢の中でくらい幸せな時を過ごしていたらいいものを苦しそうな顔と何かうわごとを言っている。ハートランドの事を思い出しているのか。

 ここで彼に倒れられたら計画に支障が出る。部下たちの前ではそういう建前だが実際に彼が必要なのは自分だと分かっていた。一人で戦う姿は自分とよく被る。彼の前では大企業の社長ではない素の赤馬零児でいる事が出来た。
「あまり心配させないでくれ」
乱れた髪を整えてから零児は病室を出た。
仕事がひと段落した零児が病室を訪ねると隼は未だに目を覚ましてはいなかった。体は正常だ、心が休まれば自然と目を覚ますだろう。時間が許す限り隼の傍にいようと椅子に腰かけた。まだ安心は出来ないがこれを機に隼にもっと自分の事を大切にするよう言える。自分が誰かを大切に思うように自分も大切に思われているという事を知って欲しかった。崖っぷちでまるで生き急いでいるようにも見えて不安は尽きない。

 何かが崩れ去る夢を見た隼は飛び起きた。夢だと気付き安心したものの見覚えのない天井を不審に思い左右を見るとやはり見覚えのない部屋である。物音がする方を見ると赤い眼鏡をかけた男が近づいてきたのに気付いた隼はベッド柵を強く握りしめた。
「そんなにすぐに起き上って大丈夫なのか?」
 眼鏡の奥の鋭い瞳に捉えられ一瞬動けなくなった。
「ここはどこだ?」
「病院だ。疲れているのだろう、もうしばらく横になっていたらいい。医師を呼んでくる」
 何故自分がここに居るのか分からず怪訝な顔をして周囲を見回す姿に嫌な予感がした零児は表情を押し殺しながら尋ねた。
「君は途中で倒れたんだ、覚えていないのか?」
「俺が倒れた?それに病院?」
 身体に痛みは無くにわかには信じられないが病院の独特の匂いと雰囲気に納得せざるをえなかった。
「それよりお前は誰だ」
「何の冗談だ?……まさか自分が誰か分からないなんて言わないだろうな?」
「分からない訳ないだろう。俺は……俺は誰だ?」
 嫌な予感が的中した零児はちょっと待ってろと言いながら手鏡を持ってきた。
「これで確認してみろ」
「あ、ありがとう」
 先程のような殺気は無いもののよそよそしい隼に零児は最悪の事態のこそ避けれたもののその最悪の一歩手前な事に気付いた。記憶喪失は彼が彼であることの喪失である。隼は自分の顔をまじまじと見ながら目を閉じたり鏡と自分の動きが連動していることをしきりに確かめていた。何度試しても予想通りの動きしかしない鏡に映った姿にとうとう諦めがついたのか現実を受け入れだした。
「これが俺」
「そうだ。体に異常は見つからなかった。疲れで記憶が混乱しているだけだろう。もうすぐ医者が来る少し休め」
「ご親切にどうも。ところであなたは俺の知り合いか何かで?」
「ああ、ちょっとした縁でな。気にするな」
 何かしなくちゃいけない事がある。自分が誰かも思い出せないのに何か大事なことがあったはずだという事が脳を占めていた。それが何か思い出せず悩んでいる間に医者が到着した。医師と入れ替わるように零児は病室を出て、医師が出て行くのと同時に零児が戻って来た。
「今焦ってもしょうがない。落ち着くまで気にせずゆっくりすればいい。君は忘れているだろうが君と私の仲だ。こういうときに頼ってもらえたら嬉しい」
 ただの疲労が記憶喪失の原因ならそのうち戻るだろう。しかしカードに封印と言った無理がたたっての元に戻らないタイプの記憶喪失なら今後の事を考えなくてはならない。今までの記憶が消えるという事は今までの関係はもう望めないという事だ。しなくてはならない事の多さに零児は途方に暮れる暇もなかった。
 
 記憶が元に戻るまで入院出来ると思っていたのにまるで追い出されるような形で退院の運びとなり隼は零児の使いだという人に連れられて高層ビルの一室に通された。
「気分はどうだ?」
「ああ…えっと…ありがとうございます」
 喋り出してから親切にしてもらっているのに名前すら知らない事を思い出したし歯切れが悪くなった。
「赤馬零児だ。聞き覚えは無いか?」
「すみません」
「そうか。心労がたたったのだろう。敬語を使う必要もない。以前の君はもっとフランクだった。もちろん強要はしないが歯がゆい」
「分かりまし…分かった。色々助かった。一つ聞きたい事があるんだが俺は何か大切な事を忘れているような気がして…その記憶喪失だから全部忘れているのは当たり前なんだが心当たりはないか?」
「残念ながら検討もつかない。まあ大切なことならそのうち思い出すだろう。今思い出せないという事はそれ以上に体が休憩を必要としているわけだ」
 嘘をつくのは慣れている。零児は小さな携帯を渡した。
「記憶の無い状態で外を出歩くのは危険だ。私の番号と部下の番号を入れておいた。用事があれば言いつけるといい」
「部下とはここまで送ってくれたあの背の高い人の事か?」
 先程まで居たのに気付いたら消えていた。どことなく冷たい雰囲気をまとっていた。自分を送り届けるのは不本意だと隠そうともしていなかった。
「あの人は社長の命令でと言っていたがもしかして」
 まとっている雰囲気は大人のそれと同じだが見た目は自分と同じように学生をしている位の年だろう。御曹司ならともかく社長となると話は変わってくる。
「レオコーポレーション。それが私の会社だ。自分で言うのもなんだかそれなりの会社でね気兼ねなく頼ってくれたらいい」
「あの、記憶を無くしたっていっても何も出来ない訳じゃないし、早く家に帰らないと家族だって心配するだろうし……」
 零児の方を見ると一瞬目を逸らされた。
「今日は疲れているだろう、考え過ぎてまた倒れられたら困る。詳しいことはまた明日説明する」
 
 隼は零児に付いてくるよう言われるまま階段を登り、自分の部屋だという隠れた一室に通された。社長の友達がいる人生なんて想像もつかない。自分の部屋だと言われてもまるでホテルの一室のようにぴんと来ない。外から見たこの建は高層マンションに見えなかったし外の景色を見ると大都会の真ん中でたとえマンションでもそうやすやすと住めるような立地ではない。訳が分からなかった。零児は用があるからと部屋から出て行き一人になると余計広さが気になった。
 自分の手がかりになりそうなものは一つもない。一人暮らしなら少しの間連絡が取れなくても家族や知り合いは心配しないものなのか。
一人悶々としていてもしょうがない、外の風にでもあたろうと思い部屋のドアを開けようとしたけれど開かなかった。逆に押してるのかそれとも実は引き戸か、どう押してもピクリともしない。普通部屋に入れないよう鍵をするものなのにこれじゃ出れないように閉じ込められているようだ。携帯が音を立てた。
「もしもし」
「今外に出ようとしていたようだが何か用があるのか?」
「いや特にありませんが…それより何で出ようとしていたのが分かったんです?」
「アラームが鳴ったからだ。記憶喪失とは面倒くさいものだな」
「あの、すみませんが俺の事知っているなら少し教えてもらえませんか?」
 電話の向こうの彼は大きくため息を付きながら言った。
「用事が無いならこれで失礼する。君の事は社長の許可が出たら話そう。もう勝手に外に出ようとしないでくれよ、面倒だ」
 そう言うだけ言って電話は切れた。記憶を失う前の自分はいったい彼に何をしたのだろうか。あんまりな態度に不快感より疑問の方が先に出た。

 何かおかしい。一つ疑い始めると連鎖的に疑問が出てきた。普通記憶喪失の人がいたらパーソナルデータを伝えようとするものじゃないのか?名前とここに住んでいた事位しかyく考えたら知らない。大体こんな檻のような部屋に住んでいるといのはあまりに不自然ではないのか?もしかしたら何かに巻き込まれて監禁されているのかも…そう思うと空調の利いた部屋も一気に寒く感じた。

 もう誰が味方か敵かも分からない。ただ病院に運ばれていたり色々検査されたのを考えれば今すぐ命の危険にさらされる事はないだろうが、状況は急に変わる可能性もある。思い出せない自分の正体にイライラし部屋の中を歩き回った。思い出せたら状況は一変するのに…しかし何度鏡を見ても部屋の中をうろうろしても思い出しさえすれば状況は一変するのに…思い出せない。思い出せそうな手がかりも無い。
 冷蔵庫を開けるとレトルトと飲み物ばかりで自炊をしていた様子はない。何か食べたら落ち着くかと思ったが食欲より先に疲労の方が出てきた。零児の言っていた疲労というのは本当なのかもしれない。それとも病院で出された怪しい薬の副作用かベットに横になる気になれずソファーに横になった。
チャイムの音で隼は目が覚めた。動く気にもなれずじっとしていると再びチャイムが鳴った。インターホンには零児の姿が映っている。怪しんでいるのに感づかれるのはまずい。何事も無かったかのように受話器をあげた。
「はい」
「私だ、赤馬零児だ。入らせてもらっていいか?」
「もちろんだ」
 そう言い受話器を置いた。ドアは先程とは違いすっと開いた。
「失礼する」
 そう言いながら入った零児は慣れた手つきでテーブルに弁当を置いた。
「そろそろ何か食べる気になったか?病院では箸が進まなかったらしいじゃないか」
 自分の事をどこまで聞いているのだろうか。チェーン店のような雰囲気の弁当だが見たことの無いロゴだ。人間関係だけじゃなくてこういう知識も無くしてしまったのかと思うと先が思いやられた。
「これに見覚えがあるのか?」
「いや、無い。俺はこれが好きだったのか?」
「好きかどうかは分からないが珍しいものじゃないからな。凝ったものよりこういうものの方が食べやすいかと思ってな」
 隼が委縮するのを防ぐための気遣いも今の隼には怪しく感じられた。それに明日来ると言っておきながらどうしてまた来たのか。聞きたい事は山のようにあったが怪しまれないためには普通に振る舞わないといけない。そう考えるとどう話しかけたらいいのか分からず食欲があるわけでもないのに箸が進んだ。そんな様子を黙って見ている零児はあまり箸が進んでいない。
「食べないと体力も戻らないからな。少しは元気が戻ったようで安心した」
「ああ、本調子という訳じゃないが体の方は寝たら大分楽になった」
「それを聞けて安心した。ところで外に出ようとしたらしいじゃないか。何か思い出したのか?」
「いや、何も思い出せない。外に出たら思い出せるかと思ったんだが扉が開かず出れなかった」
「ここは普通の部屋としても生活できるが外敵から身を守るためにも使える、まあ色々な仕組みがある部屋さ」
 納得出来るわけはないが納得した演技をしたが零児を騙しきれるわけはなかった。以前の隼ならそんな真似は無駄だと分かりしないだろうにそういうところがもう隼ではない、そう思い知らせているようで零児はたまらなかった★
「そんな演技じゃ私は騙せないぞ。何別に監禁しようという訳じゃない。ただそんな状態の君を外に出したら危ないからな」
「危ない?外に出ただけで?」
 戦時中じゃあるまいに、外に出ただけで危険なものか。それに演技も通用する相手ではなさそうだ。不信感を隠した隼の雰囲気は記憶を失う前の彼と違わなかった。
「そもそも何で俺はそんな部屋に住んでいるんだ?俺は……何か大大切なことを忘れているような……」
身体が楽になるにつれ思い出せない何か重要な事が頭を支配してきた。自分が助け船を出せる問題ではないが苦しむ姿は見たいものではない。自然と思い出せるまでゆっくりと過ごして欲しかったがそう言う訳にはいかないようだ。例え自分の事が思い出せなくとも仲間の事はどこか片隅に残っている隼の変わらない部分に安心した零児はケータイを取り出して渡した。
「君がそこまで思い詰めているとは知らなかった。一度に色々説明したところで混乱させるだけだと思ったから黙っていたが逆効果だったようだな」
「これが君だ」
 ネットの新聞に何度も鏡で見た顔と自分の名前が載っていた。食い入るように記事を読むと俺はどうやらLDSという大手デュエル塾所属の選手でMCSという大会に出場経験があるらしい。らしい、と思う位にはまた別次元の話のような気がしてくる。そもそもデュエルの塾とは何だ?まるで違う星に迷い込んだような気持ちになった。少し放心状態の隼を見てまだ時期早すぎだったと理解した零児は自分が思っていたより焦っていることに気付いた。
「そういう反応だと思ったから言わないでおいたんだ。まだ続きが知りたいか?」
「知りたいが知りたくないというところだな」
 ネットに自分が載っているというのだけでも驚きなのに頭が付いていかない。悪い夢だと思いたいがこれが夢ではないことは散々分かっていた。そうは言っても人間は適応能力がある。
「少し借りていいか?」
 頷いたのを使っていいと理解した隼はデュエル塾で検索すると様々なページがヒットした。知らなくても不思議じゃない小規模なものではなくありふれたもののようだ。自分の名前で検索してみると先程と似たような記事がいくつも出てくる。
「そういう事だ」
「俺がLDS所属のデュエリスト黒咲隼という事は理解した、はずだ」
 隼の言葉に零児は頷いた。
「そして俺はそのLDSを運営しているレオコーポレーションの社長という訳だ」
「業界最大手のグローバル企業の事も忘れているなんて俺は思っていた以上に色々忘れているらしいな。もしかすると 横断歩道の渡り方も忘れているかもしれないな」
「そのうち思い出すさ」
 他のサイトも見てみたが目新しい情報は無かった。
「それはそうとどうして一介の塾生と社長が知り合いなんだ?」
 中々聞けなかったものも今なら聞ける、そう感じた隼は勢いをつけて聞いた。
「とある事情があってな」
 実は異次元の侵略を、そう言ったところで今の隼には意味がないだろう。無駄に混乱させても仕方がないと判断した零児はこれ以上は今言うつもりはないというように箸を進めた。はぐらかされたのが分かった隼はタイミングを間違えたのかと考えた。
「俺の両親は息子が記憶喪失でも何も言ってこないんだな、両親とは不仲という訳か?」
「君の親か…」
 両親だけじゃない。学校や友達や、とりあえず知り合いに片っ端から連絡を取りたかった。何が切っ掛けで記憶が戻るか分からない以上試せるものは試したかったが零児は遠くを見るような目をしたまま顔を横に振った。
「君の親の話は聞いた事がないな」
「一度も?もしかして俺に親はいないとか?」
 それなら入院して真っ先に駆けつけそうな親が来ないのやこんな妙な部屋で一人暮らしをしているというのも納得がいく。しかし零児は首を振りながら否定した。
「そこまでは知らない。君から聞いた事が無いというだけだ」
 今までの彼なら零児の前で親の話などしなかった。今までの彼と同じところがある分ギャップがつらかった。
「そうか。では入塾書類かそういった類の書類から両親の事を調べてもらえないか?もしかしたら連絡を取れずに心配をしているかもしれない」
 記憶を失っていても頭の回転が悪くなったわけではない。ここを理詰めで納得させることも出来るがそれをしたところで彼は納得しないだろ。
「君を混乱させたくなかったからまだ暫く言うつもりは無かったんだがやはり君は聡い★新聞では生徒と書いてあるが本当は正式な生徒ではない」
「じゃあ何だというんだ?」
「とある敵を共通にした戦友というのが一番しっくりくる」
 そう言い食べ終わると立ち上がった。
「思い出せばすべて笑い話になるだろうが君の混乱した顔を見る趣味は無いし君も落ち着く時間が必要だろう」
 そう言い残し帰ろうとする零児を慌てて引き止める。
「ちょっと待ってくれ。今帰られたら余計に混乱する。携帯か財布知らないか?部屋を探したものの見つからなくて倒れたときに落としたんじゃないかと思うんだが…」
「そういう報告は受けていない」
 もう用はないな、言葉に出さずとも無言の圧力で食い下がれなくなった。
「これ以上は明日説明させてくれ。君も混乱していると思うが私にも整理する時間が欲しい」
 少し疲れた表情をする零児に何も言えずに隼は送り出した。それから一日零児からの連絡はなく、やはりまだ本調子じゃないのか早々と眠ってしまった。
 朝日と共に目が覚めても現実は何も変わっていない。取りあえず身支度をした。以前から使っている部屋らしいから自分で使いやすくされているだろうに他人の部屋を使っているみたいな違和感がある。冷蔵庫を開けても昨日と変わっているわけはない。全体的に生活感がない、それがこの部屋に対する隼の感想だった。生活感が無いというより長居するつもりは無かったんじゃないかと思うような暮らしぶりだ。

 昨日のようにインターホンが鳴った。零児かと思いカメラを見ると零児ではない、フードをかぶった小さな男の子が立っていた。この子も知り合いなのだろうか?
「もしもし?」
「…赤馬零児の使いで来ました。入っていいですか?」
 また覚えていない誰かに嫌われていたらどうしようかと身構えたが拍子抜けする位淡々とした様子で敵意は感じられない。小学生くらいの子だろう、零児の弟か、そう考えながら扉を開けた。
「すまない、君の事もまだ思い出せていないが知り合いなんだろうか?」
「聞いてます。零羅と言います。これから兄様の所に案内しますね」
「彼の所に?」
 そう言うと頷いて歩き出した。名前から多分兄弟なのだろうが彼からは零児のような雰囲気は感じられずどこかオドオドとした感じすらする。
 階段を降り終わるのと電話を切るのと同時だった。
「ありがとう零羅」
「じゃあ……」
そう言って零羅は帰って行った。本当はもう少し彼と話をしたかったが気が付いたらもう大分先まで行ってしまっていた。
「もう少し早く呼びに行くつもりだったんだが立て込んでしまって。これから朝食なんだが一緒に行かないか?」
「世話になりっぱなしで済まない」
 零羅に届けさせればよかったのにあえて外食を誘うという事は何か意図があるのだろう。それに昨日の約束通り色々と話を聞かせてもらいたかった。零児は上から服を羽織って変装をし、まるで散歩にでもいくような身軽さで外へ出た。

 零児は少し古びたビルの一階にある喫茶店を指さして言った。
「あそこだ」
 いかにも地域に根付いた喫茶店だ。変装する前の服装もそうだが零児は案外庶民派なのかもしれない。ドアを開けるとマスターらしき年配の男性がカウンターでコーヒーカップを磨いていた。零児達が来たのに気付き彼は手を止め頭を下げた。店と同じくらい使い込まれた椅子に腰を下ろすと丁度よいタイミングで彼が来た。難しそうな経済新聞を零児に私微笑んだ。
「いらっしゃいませ。いつものでよろしいでしょうか?」
「頼む」
 隼の方もどうかと視線を送って来た。彼も俺の事を知っているのだろうが、メニューを覚えてるわけもなかった。
「彼にもいつものを」
 取りあえずメニューを見せてもらおうとした隼より先に零児が答えた。マスターが奥に消えたのを確認してから小声で聞いた。
「ここにはよく来たのか?」
「たまに、な。それより何か見覚えはないか?」
「すまない……」
 外に出て思い出したがっていた自分にさりげなく思い出せるよう零児なりに気を使ってくれているのだろう。その思いは嬉しかったが店内にもマスターにも覚えは無かった。
「ありがとう」
 零児はチラッとこっちを見たが何も言わずに新聞に再び目を落とした。トースとの焼き具合は丁度よくコーヒーも香りが際立っている。ここでどのような会話をしながらモーニングをしていたのだろうか。白く湯気の立つコーヒーを口に含んだ。
一休みすると喫茶店を出た。
「少し辺りを見てみるか?思い出すきっかけになるかもしれない」
「いや大丈夫だ」
 あまり付きあわせるのも気が引けるし、それよりも聞きたい事の方が多かった。それに考えていた以上に自分に真剣に向き合ってくれているのを感じた。そう分かる分こちらも誠実に対応しないといけない。
「昨日は疑って悪かった」
「気にするな。何も疑問に思わない方がおかしい」
「俺はもう大丈夫だ。取り乱したりしない。だから本当の事を教えてくれ」
「もし君が記憶を取り戻さなかったなら、今までの事は忘れて幸せで平穏な人生が送れるかもしれない。本当の事を聞いたらもう元には戻れないだろう。それでもいいのなら付いてきてくれ」
 確かに記憶喪失のいち学生として暮らした方が楽だろう。本当のことを知った所で記憶を思い出せる確証もない。しかし本当のことを知りたい気持ちに変わりはないし零児もどことなく思い出して欲しそうだった。
 固く閉ざされた部屋に入ると先の見えないエスカレーターに乗った。目を開けるとそこには大量のモニターがありまるでSFの世界から出てきたようだ。人は居ないが機械は作動している。一瞬あっけにとられた隼も気を引き締めた。
「まるで地球防衛軍だな」
「そんなたいそうなものじゃないさ。この街を守るための前線基地といったところだ」
「違いが分からないな。俺は落ち着いている、落ち着いているが理解が追いつかない。この機械は何のためにあるんだ?」
「ここで色々な召喚反応を図っている。異次元の人が攻めて来ても一発で分かるようにな」

 そう言いながら零児は融合次元、エクシーズ次元、シンクロ次元の説明を噛み砕きながらゆっくりと伝えた。隼の目的がアカデミアに囚われた仲間を救うという事を、エクシーズ出身という事は除いて。もし彼が記憶を思い出さないのなら自分がエクシーズ次元出身というのは知らない方が幸せだろうという判断からであった。幸いにもその事実を知っている人は少ない。
「信じろというほうが無理な話だ。けれどもう侵略は始まっている。もうあまり時間は残されていない」
「そうか、分かった。俺はその防衛軍の一員という訳か」
 零児が頷き沈黙が訪れた。確かに知らなかったら平和に暮らせていたかもしれない、しかし本能的にそれはダメだと感じた。
「LDSはデュエル関連の企業だろう?どうしてこういう事をする。こういう事は警察や軍に任せたりするものじゃないのか?それとも委任されてるのか?」
「私が私のやり方でこの街を守ろうとしているだけだ。思っていたのと違ったか?今ならすべて忘れてどこか遠いところで暮らすという選択肢もあるぞ?君が居なくても私がこの街を守るという事は変わらないしな」
「今更逃げたりしないさ。怖くないと言ったら嘘になるし実感がわいたわけでもない。だけど俺はここに居たんだろ?目的は思い出せないが何か目的があったはずだ。それならここにいるべきだ」
 そう言う隼の瞳には曇りも迷いも無かった。記憶を無くしても変わらない隼のそういう所に安心している自分に気付いた。
「記憶を無くした状態の君を外に出したくない理由は分かったか?いくらセキュリティーを張り巡らした場所でも相手は規格外だ。ここの一員というのはそれだけで狙われるのに十分だ」
「ああ、そんな得体のしれない集団に襲われたらひとたまりもない。無茶はしないと約束するさ」
 思えば零児はチームの一員に接するそれ以上によくしてくれている気がする。彼の言う親友というのは本当だったのだろう。

 カツカツというヒールの音が響く。エスカレーターから赤い服を着た女性と中島が降りた。
「こんな所に居たのですか零児さん。探しましたよ。また彼にかまっていたのですか。記憶を取り戻したならともかく今の彼はただの一般人、いや情報漏えいのリスクがある以上一般人以上に」
 まだ続きそうな話を零児は切り上げた。
「俺の決定に問題でも?中島はどう考えている?」
「いやそう言う訳じゃ……確かに彼を無くすのは戦力的にも痛手ですが……」
「なら問題ないだろう」
二人のやりとりを渋そうな顔をしながら見ていた日美香は時計を見ながら言った。
「零児さんそろそろよろしいですか?例の買収の件で…」
「分かりました。すぐに行きます」
 零児は変装を解いた。今の彼は社長の顔をしている。
「部屋に戻っていてくれ終わったらまた行く」
「分かった」
 
 それから隼は異次元関係の仕事をしている時の零児と行動を共にするようになった。何となく周りの様子から察するに自分が好かれていた存在らしい。嫌がらせをされるわけではなく、遠回りに避けられているというか関わりたくないというか、腫物扱いであった。しかし零児はそんな様子を気にするまでもなく自分の仕事をこなしていた。

「お疲れ様」
 軽く息を吐きながら社長室の椅子に腰を下ろした零児に向かって言った。
「君も塾でよくやってくれているらしいじゃないか。皆のモチベーションが上がればそれだけ全体のレベルが上がる」
「いや駄目だ、もっと急がないと」
「落ち着け。理論的じゃない。君が大切なことを諦めないように俺も今の計画を諦めるつもりはない。それに」
 独り言のようにつぶやく
「君も諦めたくない」
 好意感じた。彼の俺を見る目は今のオレを見ているのではなく以前の俺を見ているのだろう。以前の俺は彼にとって何だったのか、知りたいような知りたくないような、今一つ踏みこめずにいた。

 その日零児は商談で会社をあけていた。特にすることもない隼はいつものようにパソコンで情報収集をしていた。黒咲隼と検索しても出てくるのはMCSの話だけだ。もしかして偽名という可能性を考えて画像検索もしてみたけれど出てこない。零児曰く一目置かれるような腕前のデュエリストだったらしく、他の塾生を相手にデュエルしてもそれは分かる。それが例え講師でも例外ではない。
 それなら何故今まで名前が載るような公式大会に出ず隠れていたのか。それに何故零児は自分が混乱すると分かったのだろう?記憶喪失にはいくつか種類があって人を忘れても箸の持ち方や時計の読み方といったそういったものは別の記憶として保存されており社会生活が営めるはずだ。確かに俺は箸の持ち方や時計の読み方計算に漢字は思い出せるのに塾やLDSといった事が思い出せない?
 
……もしかすると思い出せないのではなくある一定の期間まで知らなかったのではないのか?そう考えると今までの疑問がまとまって一つの答えが導き出された。俺は異次元人だ…そうたどり着いた瞬間頭の中で何かがはじけた。
そうだ、俺は黒咲隼。囚われた妹を救い出すためこの次元に来たのだった……周りの景色が一気に見覚えのあるものに変わった。

 その日の夜、隼は中央公園で佇んでいた。誰にも行き先は言わなかったがその気になれば監視カメラで一発で分かるだろう。
「こんな所にいたのか」
 曇りのない星空を眺めていると零児が現れた。いつもの見慣れた姿だ。失礼する、そう言いながら隣に座った。
「ちょっと外の空気を吸いたくなって。前から聞こうと思っていたんだが、俺が記憶喪失になって寂しかったか?」
「寂しくはないさ、今でもここに居るし……というのは強がりか。そういえば最近以前色々調べているらしいじゃないか。故郷に帰りたいのか?」
 顏こそ見えないが声で何となく寂しそうな事が伝わって来た。いつも澄ました顔をしている感じがするが案外表情豊かだ。
「もし寂しくないと言われていたら帰りたいと言ってたかもしれないな」
 隼は立ち上がって大きく伸びをした。
「約束を忘れたのか?俺はお前との約束を果たすまでは帰らないさ」
 そう言いながら零児の顔を見た。零児が目を見開き立ち上がった。
「ただいま、零児」
「いつから思い出していた?」
「ついさっきさ。一気に連鎖的に。寂しかったか?」
「しつこいぞ」
 零児はズレた眼鏡を戻しながら顔をそむけた。
「俺は寂しかった。きっと俺に良くしてくれてただろう人の事を何も思い出せずそれに…」
 二人はLDSに帰りだした。
「もうこんなのはこりごりだ」

 永遠に続くかに思えた長い沈黙も目の前にレオコーポレーションが見え終わりを告げた。昼間よりずっと暗いが存在感はある。
「ただいま」
 二人はゆっくりと自分たちの居場所へ戻って行った。


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