暫時
零児のプライベートルームに足を踏み入れた隼はその広さに目を細めた。高級感のあふれるソファーにテーブル、大型テレビが置いてあり改めてLDSの大きさを目の当たりにして立ち止まった隼を零児はいつもの風格で迎え入れた。「呼び出して悪かった。これを受け取ってもらいたくてな」
そう言いながら隼に近付いた零児はカードを差し出した。
「これはあの時の」
零児の部下、中島が隼に渡そうとしたカードがそこにはあった。一度断っているものを二度までも、とため息をつきながら手をふり断った。
「何度言われてもこれは受け取らない。俺にお前の助けは必要ない」
「中島が隼に何と言ったのか知らないが…」
そう言い間をおいてから続けた。
「私は隼が弱いからこれを渡そうとした訳じゃない、君の力でこれの力を、可能性を最大限に引き出して欲しい。この 結果次第で新たな可能性が開ける。こんな事を頼めるのは君しかいないからな。君の腕が必要なんだ」
寡黙に見えるがここぞという時は一番効果的な言葉を投げかけてくる零児に隼はかなわない、そう感じ差し出されたカードを無言で受け取ろうとした瞬間ノックの音が響いた。ここに居る姿を見られては都合が悪い、そう思い隼の表情は一瞬で普段の張りつめた表情に戻った。
「兄様失礼します、零羅です」
普段のオドオドした姿からは想像出来ないような明るく弾んだ声が耳に届いた。零児も普段社長として振る舞っているときとは違う優しさの籠った声で返事をした。
「入れ。どうした?」
「あ、黒咲さんいらっしゃい」
すっと部屋に入った零羅は隼を見つけるとペコりと頭を下げて零児の元に近付いた。
「兄様今夜は空いてるの?」
零児が頷くのを確認すると零羅は回れ右をし来たときのようにすっと帰ろうとした。
「俺はもう帰る所だ」
隼は慌てて零児を止めようとしたが、それより早くお辞儀をしながら零羅は出て行った。
「折角来たのにどうして追い返すような真似をする」
「追い返してなどいない。零羅は自分で空気を読んで出て行っただけだ。それに本当に大切な用があったのならまず言ってから帰るだろう」
零羅がすぐに帰った事を何とでもないように扱った事に、自分が失ってしまったものを何とでもないように考える零児に、八つ当たりだと分かっているが隼は憤りを抑える事が出来なかった。
「まあどっちにしてももう関係ない。これで失礼する」
「もう帰っていいとは言っていないが」
眉をひそめながら言った零児に他に何があるのかと怪訝な顔で聞いた。
「お前は今あるものをもう少し大切にしろ。いつまでもその幸せが続いていくとでも思っているわけではないだろ?」
「大切なものを大切に思わなければこんな戦いに挑んだりするものか。だけど優先順位は大切だ。ほら今みたいにお前はすぐ逃げようとするからな」
赤い眼鏡の奥から真っ直ぐに隼を見つめる赤馬の視線の強さに隼は顔をそむけた。
「お前はすぐにそういう言い方をする」
このように言いくるめられたのは初めてではない。普段から大勢の人の上に君臨するトップの眼光に上手く言葉を続ける事が出来なかった。
「今日の所は分かったから早く零羅の所に行ってやれ。あれだけ懐いてるのに可哀想だ」
「言われるまでもない。私は青い鳥を逃がすほど間抜けじゃないんでね。それより今夜暇か?」
赤馬零児を利用して瑠璃を取り返すという計画が余儀なく変更になり今出来る事、特に夜に出来る事なんてそうは無いこと位知っているだろうにわざわざ確認してくる辺り何かある、そう分かっても完全に赤馬のペースに乗せられ逆らう気力も無くしていた隼は頷いた。
「ああ何も無いが」
「それならここで夕食も食べていけばいい」
「結構だ。そこまではお前の世話にはならない」
取引したと言えど今まで自分の力で数々の困難を乗り越えてきた隼には人の世話になる生活は負担になっていた。そう言ったもののまるで隼の返事を聞かなかったかのように零児は電話をかけた。
「ああ零羅、さっきは済まなかったもう用は済んだ。また来てくれないか?今夜は一緒に食べよう。隼も一緒だ」
いい返事を貰えたのだろう、零児は一言二言話をしてから電話を切った。振り返った零児に隼は非難の目を向けた。
「俺の話を聞いていたのか?それにいきなりだと夕飯の用意だって」
「私が何の用意もなく思い付きでしゃべる訳ないだろう?零羅を大切にしろと言ったのは隼だろう、それに私も隼が居た方が楽しいしな」
隼の意見を聞いたようで結局自分の思い通りに事を進めるのは今に始まった事ではない。ソファーに座った零児は隣に座るようぽんぽんと叩き促した。突っ立っていても疲れるだけ、そう隼は自分に言い訳をしながらソファーに座り目をつぶった。
「こうなったら誘ったことを後悔させてやる」
「ムキにならずに素直に奢られろ。ここに敵はいない、今位ゆっくり羽を休めろ」
零児の低い声が隼の心に沁みた。ギリギリの生活に慣れたとはいえ疲れない訳ではない。昔を思い出し意識が遠のきそうになった隼の耳元で零児は囁いた。
「俺は青い鳥を逃がす気はないが飛び込んできた鳥を逃がす気もさらさら無いんでね」
慌てて零児を押しのけてた隼の顔は真っ赤になっていた。
「お前というやつは…」
可笑しそうに笑う零児は笑いながら言った。
「まあ落ち着け。そろそろ零羅も来る頃だ」
二人ともこの穏やかな時間が長くない事は分かっていた。せめて今夜位、口には出さないものの二人は同じ思いを抱きながら時計の刻む音を肌で感じていた。
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