涙のつづき




 ふと通り過ぎた自販機の物陰に、ひとつ上のみょうじ先輩の見慣れた背中があった。思わずびくついてしまってから、けれどすぐにその様子がどこかおかしいことに気付く。ぴんと伸びているはずの背筋は縮こまって、そこからはいつものからりとした明るさは感じられない。
 声をかけようかと息を吸い込んで、そのまま止めた。何を言えばいいかわからなかったから。どうしたんですかなんてのはあまりに無神経に感じられて、心配であることは事実でも、かける言葉が上手く見つけられない。
 ……そうだ、それに。もしかしたら誰かに見つかること自体、みょうじ先輩は嫌がるかもしれない。放っておきたくないとは思っていて、でもそれが先輩にとって最善かがわからなくて。

 ──息を呑んだ。そうして迷っている一瞬でみょうじ先輩が振り返って、ばちり、視線がぶつかって、その目からはまさに水滴がこぼれ落ちていくところだったから。


「……あ、」


 ざっと血の気が引いたような感覚に襲われて、みょうじ先輩のまわりの景色が白く色褪せていく。先輩の戸惑ったような声よりも、自分の呼吸音がやたらと耳に響いて、思考回路がぐちゃぐちゃに縺れはじめていた。

 そうしている間にも、またひとつ、またひとつとみょうじ先輩の瞳からは涙がこぼれていく。目を見開いたまま固まっている先輩は口元を覆っていて、その手の甲もじっとりと濡れていた。昼下がりの光を照り返すそれを、どうすることもできずに見つめていた。


「ご、めん、ね」


 アスファルトが擦れる音で、沈黙が破れた。そして、どうしてだか謝った先輩は俺の横をすり抜けていこうとする。──何か言うよりも、考えるよりも先に身体が動いて、その腕をたしかに掴んでいた。


「……あ、の……」


 無意識だった。それでも、気付いてからも離すという選択肢が生まれることはなくて、戸惑うみょうじ先輩を少し引き寄せる。ほんの、少しだけ。
 俺に何かできるとか、そんなことは思っていなかった。どうして泣いているのかも皆目検討もつかない。かける言葉も何一つ見つかっていなかった。ただ、それでも。一人にしたくないと思って、もしも俺にでもできることがあるのなら、と。


「すいません、……迷惑なら、振り解いてください」
「……伏黒くん」
「……でも、」


 今、一人になってほしくないんです。情けなくも少し震えてしまった声は、それでもきっとみょうじ先輩に届いていた。涙に濡れた瞳の奥があたたかく光ったのが、自惚れではないことを願う。


20210326
女の子の涙に弱い恵くん




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