てんびん、ぐらり




※アニメ23話じゅじゅさんぽネタ





「ただの道案内だった……」


 痛そうに頭を押さえてそう言う虎杖くんと、明らかにお怒りの恵くんを交互に見てから、なんとか「そっか……」と一言返すのが精一杯だった。恵くんの怒りオーラが、自分の恋人ながらかなり怖くて。

 数分前に「伏黒が逆ナンされてる!」なんて言葉を合図に、フォーメーションを組んで意気揚々とからかいにいった三人は、すっかりまたそれぞれ元の気怠げな表情に戻っていた。


「やめろよ本っ当に、恥ずかしい」
「悪かったって」
「ま、まあまあ恵くん……」


 恵くんを宥めようと立ち上がると、私のほうに向けられた恵くんの目線は、鋭さを抑えていくらか優しさを取り戻してくれたような気がした。わりと怒りっぽいところはあるけど、八つ当たりとかそういうことはしないんだよな、恵くん。


「でもさぁ、なまえ」


 そこで私の名前を呼んだのは、私と入れ替わりでベンチに座った五条先生。振り返って首を傾げてみせると、「なんで来なかったの?」なんて訊かれて、「ん?」と訊き返してしまった。


「気にならなかったわけ? 恵の逆ナン」
「逆ナンじゃないですって」


 私が答える前に、恵くんの明らかに怒気を含んだ声が飛んできて。でもそれを五条先生は軽く笑って躱す。……逆ナン、かあ。いや、結果として別に逆ナンではなかったわけだけど。


「あー、それ私も思った。なまえさん、彼女なら気になるもんじゃないんです? 伏黒が逆ナンにホイホイついていかないか」
「だっ……から、逆ナンじゃねぇっつってんだろ」


 野薔薇ちゃんも便乗するみたいに言って、また恵くんが額に青筋を立てている。「うっさいわね、細かい男は嫌われるわよ」なんて返されてさらに怒っている恵くんが、今更ながら不憫に見えてきた。

 全く気にならなかったわけじゃない。でもみんなの動きが素早すぎてついていけなかったのと、加担して恵くんに怒られるのがちょっぴり怖かったのと、それから。なにより、恵くんが逆ナンでどうこうなることが──野薔薇ちゃんの言葉を借りれば、ホイホイついていくような──そんなことは、起こり得ないと思ったから、ただ座って待っていただけの話だった。

 やいやいと喧嘩を続ける恵くんと野薔薇ちゃんに、とりあえずいちばん大きな理由でも伝えておこうと「いや、あのね」と声を張ると、意外にもふたりの口喧嘩はすぐに止んだ。


「恵くんが逆ナンでどうこうなるとか、そんな心配、私は全然してなかったから……」


 だから、気になる以前の問題っていうか。そこまで言い切ったところで、野薔薇ちゃんはその丸い目をさらにまんまるに見開いて、その横で恵くんも固まっているように見える。いまだに頭を押さえる虎杖くんもこちらを見てぱちくりと目を瞬かせ、後ろにいる五条先生は「大胆だね〜」なんて囃し立ててくるから、きょろきょろとみんなを見比べることしかできなかった。
 ほどなくして、野薔薇ちゃんが「さすがね」なんて腕を組んで頷く。


「これが本妻の余裕ってやつね」


 ……ほんさい。ほんさい、とは……? 頭の中にハテナをたくさん浮かべながらも思わず恵くんの方を見ると、ちょうど私を見ていた恵くんとばちりと視線がぶつかる。…………本妻。

 いやいやなにそれ、そう思いつつも勝手に顔に熱が集まって、視線の先にいる恵くんもみるみる赤くなるから、きっとおんなじで──
 かしゃ、かしゃ、なんて。突然そこで、安っぽいシャッター音が響く。慌ててそちらに目を遣ると、いつの間にか立ち上がっていた五条先生がスマホを構えていて、「二人とも真っ赤〜!」なんて爆笑しているから、状況についていけず目が回りそうだった。もう引っ込みがつかないくらいに身体も熱くなっていく。するといきなり腕を引かれて、よろめきながらも確かに小さな舌打ちを聞いた。


「っ、逃げんぞ」


 その主は思った通りに恵くんで、ずかずかと大股で歩き出すそのさまに戸惑いながらも慌てて足を動かした。みんなの声は、街の喧騒に溶けて聞き分けられなかった。
 そのうち小走りをはじめた恵くんと、ふたりでアスファルトを蹴って駆ける。生温い風を切る感触が妙に心地よくて、別にみんな追ってきてないよ、なんて野暮なことを言うのはやめた。


「……なまえさん、本当に、何にも気にならなかったんですか」


 少しして恵くんは小走りの速度を緩めて、歩いているのか走っているのか、その狭間みたいな速度になって。でもまだ、ふたりで逃げ続けていた。


「ま、まあ……もし本当に逆ナンでも、心配はいらないかなって」
「なんで」
「……なんで? えっ、いや、恵くんはその、誠実なので……?」
「…………あー……クソ、だから…………」


 しばらく掴まれていた手首がぱっと離れて、でもそれは一瞬。無造作に開いていた手を握られて、その汗ばんだ感触にどきりと心臓が跳ねた。


「……逆なら、俺は、……気に、してた」


 ──恵くんは逃げるのをやめない。ずかずかと歩き続けて、それに拒む理由もなくついていく。
 斜め上に見えるその耳は赤いような気がして、あれ、どういう、意味だろう。まだ噛み砕いていないのに、その言葉を都合よく飲み込んだ頭は心臓を騒がせる。粗雑に握られた手はもっと汗ばんで、指の間に指を潜り込まされてしまえば、触れあう部分すべてが溶け落ちてしまいそうになる。




20210320
副題「嫉妬してほしかったとか言えるわけがねぇ恵くんの話」



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