一刻千秋




「ねえ。駅前のタピオカ飲みたかった、ってなまえ、ここに書くこと?」
「野薔薇ちゃんこそ。新作のリップ試しとけばよかった、ってなに」


 顔を上げて目を合わせて、同時に吹き出した。賑やかな声の響く野薔薇ちゃんの部屋、ふたりの手元でかさかさと音を立てる便箋。机に無造作に投げ出された二枚の封筒には、それぞれの筆跡で“遺書”と記されていた。

 呪術師には、遺書をしたためている人も多いのだという。正直ピンと来なかったけれど、確かに。いつ死んだっておかしくはない身の上だ。一応書いといた方がいいよ〜なんて先生に言われたことも手伝って、少し戸惑いながらシャープペンシルを握ったのが、数ヶ月前の初夏のことだった。

 そういえば遺書なんて書いたね、そんな話になったのはある秋の昼下がり。どんなこと書いたっけ、しょうもないことしか書いてない気がする。そんな会話の流れで、私たちはふたりでこっそり持ち寄って、まるでタイムカプセルでも掘り起こすみたいにそれを読み合っていた。


「遺書にしては、今からできそうなことばっかり」


 笑い混じりにそうこぼすと、「そうね」と便箋をめくる野薔薇ちゃんの手が止まる。そして「そうよ」と言い直すから、首を傾げた。


「これ、やりましょ、今から」
「え、今から?」
「そう。せっかくだし」


 一瞬、面食らったけれど。想像して、どきどきと胸が躍り始める。「いいね、それ」と返すと、野薔薇ちゃんはとびきり嬉しそうに笑った。


・・・




 まずは、駅前のタピオカ。それから、新しくできた──といっても、書いた時点の話であるから、もうすっかり馴染み始めた店だったけれど──クレープ屋さん。私は野薔薇ちゃんの、野薔薇ちゃんは私の書いた便箋たちを、それぞれバッグに忍ばせて街を歩いた。時折取り出しては、まるで地図をたしかめるようにふたりで覗き込む。

 遺書であることを忘れていた。まるで元より予定表かしおりであったみたいに、「次は百貨店ね」「地下から行ったほうが早いんじゃない?」「このお店、あのビルに入ってたわよ」なんて、じゅんばんに道筋を辿って、ピンクの蛍光マーカーを引いていく。“やりたいこと”をひとつずつ達成していくのが楽しくて仕方なくて、ちょうどお給料日が近かったこともあり、ほとんどの行がピンク色に染められていた。


 秋の日はつるべ落とし。そんな言葉を思い浮かべて、そして両手にいろんな紙袋を提げながら、あっという間に暮れていく街をふたりで見つめる。晩ごはんは寮で食べることに決めて、止まらないお喋りと一緒に電車に飛び乗った。


「楽しかったねぇ」
「もうサイコー。完璧なデートコースだったわね」
「野薔薇ちゃんの遺書、クオリティすごかった」
「ありがと。でもなまえのもなかなかだったわよ」
「ほんと? ありがとう。んー、でもまあ、皆には内緒だね」
「あー、そうねー。遺書開けたこと知られたら、ちょっとめんどくさそうだし」
「伏黒くんとか」
「そう、伏黒とか」


 すっかり日は暮れていた。気付くと私たちは高専の前にいて、「本当にここ同じ東京かしら」と、私も飽きるくらい思ったことを野薔薇ちゃんが言う。まったくだ。電車の窓から覗いたあのネオンたちを思い浮かべながら、目の前の呪術高等専門学校を見上げる。


 帰ってきた。


 ショルダーバッグが途端に重たくなったような心地がした。そうして、そこに居座っているものが、希望に満ちた地図ではないことに気付く。予定表でもない。しおりでもない。ピンク色に埋められてもなお、それは、遺書だった。遺書であることを思い出した。


「野薔薇ちゃん」
「ん?」
「また遊ぼうね」
「……ええ」
「今度は晩ごはんも外で食べよう」
「そうね」
「春服、買いに行こう」
「気が早い」
「あとは、」
「こんなことで泣いてんじゃないわよ」


 目元に当てられた柔らかな感触は、野薔薇ちゃんのお気に入りのコロンの香りがした。溢れかけた涙がじわりと吸い込まれて、それがハンカチであるとわかった。ああ、せっかくまだ泣いてなかったのに。自分の手でハンカチを押さえると、野薔薇ちゃんの手は離れていく。


「……本当に、また遊んでくれる?」
「当たり前でしょ」


 初夏、戸惑いと非現実を覚えながら遺書を綴った私は、私たちはもうここにはいなかった。晩秋、遺書と戯れるには、私たちはたくさんの死に触れすぎていた。

 軽く背中を叩かれて、ぱん、と軽い音があたりにこだました。


「ていうかなまえこそ、絶対また付き合いなさいよね。絶対」
「……うん」


 不思議だ。野薔薇ちゃんの強い語気が、絶対なんて言葉が、死の恐怖に冷えかけていた心を引き戻していく。すごいなぁ、野薔薇ちゃんは。強くて可愛くて、それから憧れで。


 ──そうだ、きっと新しい遺書を綴らないといけない。次はもう、見せることのないように。もう、見せてもらうことのないように。そんな遺書を作って、お互いにずっと、机の奥にしまい込んでおくんだ。


20200305
最新刊を読んでからだと少し辛い




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