カラメルソースをすこしだけ




 周りに、いや……主に硝子先輩に乗せられて、あの夏油先輩と二人っきりで買い出しにきていた私は、思ってもない窮地に陥っていた。

 あの、というのは。何を隠そう、夏油先輩は私の片想いの相手だった。右も左もわからない入学当時から、非術師の家庭出身の私を気にかけてくれていた先輩。私の成長の妨げにならない塩梅で手助けしてくれて、いつだって柔らかく優しい笑顔を向けてくれて、とびきり頼りになるのだ。
 そんな先輩に片想いして早数ヶ月、ちょっとずつちょっとずつアピールして、なんとなく距離を縮めちゃったりして、いつかはこの想いを伝えたりなんかしちゃって……! ──と、思っていた。そう、私と夏油先輩の恋路は始まったばかりで、まだ踏み荒らされていいほど整備されてはいないというのに。


「えっ、もしかして彼氏?」


 特大の爆弾をぶち込んでくれたのは、駅前でばったり会った中学の同級生だった。
 ──終わった。頼むから訊かないでくれと目配せしたものの、たいして仲良くもなかった相手、それもちゃらついた男子にそんなものは通じやしない。終わりました。私の恋路、たったいま木っ端微塵になりました。絶望の底に突き落とされながら、それでも出来るだけ明るく返してやろうと口角を引き上げ始めたところで。空気を震わせたのは、私と爆弾魔どちらでもなかった。


「さあね?」


 ……さあね?

 それはまろやかな夏油先輩の声だった。さ、さあね? ……とは? えっと、否定、されたわけではない? いやいや自分にとって都合の良いことを考えるな私。
 さあね、つまりそれは極限までぼかした回答だ。拙い脳みそをフル回転させて──夏油先輩は関係性に嘘をつくことなく、かつ私に恥をかかせない返答をしてくれたのだろう、そんな結論を導き出す。臨機応変すぎる。それでいて女の子を傷つけない言葉選び。どうしよう、夏油先輩のことがもっと好きになってしまった。

 と、街の喧騒の中にぽっかりと空いた穴のような沈黙は、時間にして十秒ほどで収まることになる。やたらと声のでかい同級生は、さらに声のでかい友人とおぼしき人物を見つけて走り去っていったからだ。
 ……いや、本当にデリカシーのないやつだったな! 夏油先輩とは大違いである。そう、私がさらに好きになってしまったというだけで、恋路が砕け散ったことに変わりはないのだ。ああどうしよう。うまく一からやり直せるだろうか。いややり直すしかない。今からの第一声、どれだけ気にしていない風を装えるかが勝負だな、なんて考えながら俯くのをやめた。


「せんぱ……い」


 先輩ごめんなさい、びっくりしましたよねエヘヘ……なんて、おどけて言ってやろうとしていたのだ。けれど顔を上げた先、そこにいた夏油先輩の視線が、思っていたものと全く、全くもって違っていた。

 甘い、と思った。視線から味なんてするはずない。感じ取れるはずはない。それでも思った。切れ長な目の奥に潜む瞳は、甘ったるさが焦げ付きそうな色を宿して私を見つめている。言葉が止まって中途半端に開いた口を、閉じてやることすら忘れていた。


「で、どうだい」


 え、と開きっぱなしの唇から漏れて、そこで慌てて口を噤んだ。見たことのない表情だ。優しく、それでいて涼やかに私を見守る夏油先輩は、そこにはいないような気がした。鼓動が激しくなる。体温が上がってゆく。都合の良いことを考えるなと、今度は私は私を注意してはくれなかった。


「イエスなのか、ノーなのか。君次第なんだけど」


20200207



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