白くきらめく街並みで




※卒業後設定




 夜風がつめたい。けれど澄んだ冬の夜はうつくしくて、マフラーに口元をうずめながら街をながめていた。


「送っていきます」


 ざわざわ、みんなが思い思いに話しているその場所で、伏黒くんの声がゆらめく寒さに乗って通りぬけていく。ひときわ目立って、きれいに。頬を撫でられたような心地がして、顔を上げれば微妙な距離で視線がまじわるから、わずかに首を傾げた。


「……わ、わたし、を?」
「そうです」


 呪術高専を卒業してしばらく、同期はいつしかお酒が飲める歳になっていた。集まりたいねなんて話になって、色々と繋がりの深かったひとつ下の後輩も呼ぶか、みたいな意見も出て──そうして忙しいなか、なんとか久しぶりに懐かしい顔ぶれを揃えた飲み会になったのが今日のことだった。ちなみに、パンダくんはテレビ電話で参加していた。 


「え、あ……伏黒くんも、あした朝から?」
「いや……休みですけど」


 予定を合わせたといっても、それは夜だけのことで。私はあした残念ながら朝から任務が入っていて、だから一次会で抜けようとしていた。伏黒くんもそうなのかと思いきや、すこしバツが悪そうな表情で否定されてしまうから、意図をはかりかねて心臓がさわぎだす。


「えっと、そんな……せっかくの機会なのに悪いよ」
「……こっちの方が、“せっかく”なんで」


 視線をさまよわせていると、ばん、と後ろから背中を叩かれる。ついよろめく私に「送っていってもらえよ」なんて言ってきたのは真希ちゃんだった。


「いや、でも」
「恵がそう言ってんだから甘えとけよ」
「しゃけしゃけ」


 真希ちゃんにも狗巻くんにもせっつかれて、乙骨くんに助けを求めて目線をやっても、困ったような笑みを返されるだけだった。次のお店を決めるのにわいわい言い合っている虎杖くんと野薔薇ちゃんを、まるで逃げるみたいに見つめていると、「嫌なら無理にとは言いませんけど」と伏黒くんは言う。──ちがう、嫌なんじゃなくて、もしかしてって期待をしたくないだけ。ふたりきりになることに、すこし臆病になっているだけ。でもうまく言えなくて、「いやとかじゃないよ」なんてつまらない返事しかできなかった。


「心配なんですよ」
「……心配?」
「みょうじ先輩、酔っ払いに絡まれてもうまくかわせなさそうなんで」
「そう……そうかな、いや、そんなことないって」
「冗談です」


 ……わかりにくいよ、冗談が。ほとんど表情の変わらない伏黒くんに、なんだか笑いが込み上げてくる。ふふ、とかるく笑えばこころがほぐれたような気がして、「じゃあ、いっしょに帰ろうか」なんてことばが飛び出してしまって、伏黒くんがうなずけば、もうそのさきにはふたりきりの時間が用意されてしまう。
 真希ちゃんやみんなとお別れをして、伏黒くんはテンションの上がった虎杖くんにからかわれて、虎杖くんは伏黒くんのデコピンをもらっていた。



◇ ◇ ◇




「最近、どう?」


 みんなから離れてすこししても、街はしずかにざわめいている。忘年会を終えた人々が浮き立っていたり、まだまだ夜を終わらせたくない人々がふらついていたり。そんな人だかりを縫って駅を目指すあいだ、伏黒くんとは微妙な距離があいていた。


「まあ……そんなに忙しくないですよ」
「そうなんだね」
「……先輩は」
「私もそんなに。あしたもね、タイミング悪くはずせないやつが入っちゃっただけだし」
「そうですか。よかった」


 どきどき、というほどじゃない。でもすこし左胸はくすぐったくて、交わすことばがあたたかい。それがどうしてだかわからないほど子どもじゃないし、けれど、それをどうしてだか決めつけられるほど子どもでもない。大人になりかけている私たちは、きっとふたりとも、複雑な想いを持て余していた。

 伏黒くんはやさしかった。そのやさしさに理由があるのかはわからないままに、なんとなく私のほうも伏黒くんが気にかかって、でもそれ以上はなんにもなく私たちは高専を卒業していた。毎日のように顔を合わせることはなくなってから、時折あのやさしさを思い出しては胸がぎゅっとして、そんな日々を送っていたなかでの、今日。うれしいのに、どうしたらいいのかわからない。数時間前も、いまも。


「ふ……しぐろくん、ほんとによかったの? みんなと居なくて」


 かわいくもなければどこか後ろ向きな私は、またそんなつまらないことを言ってしまう。ああもう私のばか、そうこころのなかで自分を叱っていると、伏黒くんがふと立ち止まった。飲み屋街を抜けて、駅まであともうすこしのところだった。


「……俺は、先輩と居たかった」
「う、ん……」
「迷惑でしたか」


 柔い視線に射抜かれる。あわててぶんぶん首を振って「ごめん」と謝れば、「なんで謝るんですか」とごもっともな質問が飛んできた。心拍数が上がりはじめて、「わかんない……」なんて返せば伏黒くんはすこしだけ笑った。

 そうして歩き出した伏黒くんとの距離は、こころなしか、近い。もしかすると気のせいかもしれないけれど、さっきまではきっともうすこし遠くにいたはずで。なんだかこころがふわふわして、そんな距離感も心地よくて、だから、一瞬だけ触れあった手にはずんだ心臓は、うれしい、なんて気持ちを生みだしてしまう。かるく触れて、二度、三度、伏黒くんの体温を知るたびに、言い表せない想いが胸のおくからこみ上げてくる。
 そうしてとうとう、捕まった。すれちがう手を掴まれて、反射的にすこしだけ引いてしまいそうになって、けれどそれを拒むみたいに力が強まって。歩みがぎこちなくなってしまうと、伏黒くんも合わせるみたいに速度を落としてくれる。


「……伏黒くん、お酒、飲んだ?」
「……未成年ですけど、俺」
「だって、その……手、あったかい、から」


 自分の言っていることすらかみ砕けなくて、顔も身体もあつくなりだして、これがすこし飲んだお酒のせいなのか、伏黒くんのせいなのかも判別できない。


「先輩の手だって、熱い」


 雑に掴まれていただけだった手が、ぎゅ、と握りこまれる。それが、そのどこか強引な手つきがむしろ怯えをうつしているような気がして、もしかしたら同じ気持ちなのかもしれないと思った。きっと、たぶん、ほんのすこしとくべつで、うまくことばにできないけれど、たいせつに思うときがあって、けれどいまの関係が心地よくて、こわれることが怖くって。恋とよぶには深すぎるような、後戻りできないその気持ち。


「先輩のは、酒のせいですか」
「……ちがう、よ」


 ねじれて凝れた、数年ぶんの想いがいまここでたしかに交わっている。熱をはらんだ手を握りかえせば、もう、離したくないと思ってしまった。ここまできて、やっと。


「先輩に、聞いてほしいことがあります」
「……うん」


 視線は交わらない。ふたり並んで駅を目指す足はとまらない。不意につながった手も、まだ離れない。ぎこちない空気がすこしずつ削れていって、やわらかな甘さをふくみはじめるころ、伏黒くんが息を吸いこむ音がした。



20211231



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