絵空事のまばゆさが
静かに散る


 ……なんで、いきなりそんな事。安堵するよりも先に、戸惑いが俺を襲う。「でもねえ」いやに高いみょうじ先輩の声が、もうほとんど人通りのない駅前にこだました。


「あっちの方に歩いてったら、ツリー、あるでしょ。あれね、見ておかなきゃって思ってて」
「……は、い」
「見にくるつもりなんだ。明日の……夕方かな」


 はい、空っぽの返事をしてしまう俺に、「クリスマスのうちに一人でも行くつもりなの!」なんて先輩が捲し立てて、つい口を噤んでしまう。なんだ、俺、今これ、なんて言うのが正解なわけ。


「……それじゃ! 帰るね」
「っは、え? あの」


 たっ、と軽やかな音を立てて、先輩が身を翻す。あれ、待って、話って終わったっけ? 混乱の真っ只中に取り残されて、動けない。小さくなってゆくもこもこの背中も、果たして追いかけていいのかどうかがわからない。
 すっかり、先輩のすがたが消えてしまうまで。俺はそこに立ち尽くしたまま、きっとすごく間抜けな顔をしていた。



・・・




 次の日はクリスマス当日だというのに、俺が目を覚ましたのは昼過ぎだった。……と、いうのも。みっともないことに、みょうじ先輩のふるまいや言葉の真意をはかりかねて、朝方まで眠れなかったから。つまり世間の恋人がきっと素敵なクリスマスの夜を過ごしているあいだ、俺は自宅のベッドでひとり目を血走らせていたわけだ。哀しいほど俺らしくて、涙が出そうになった。さすがに泣かなかったけど。

 考えた。考えに考えた。いっぱいいっぱいでろくに覚えていないし、もしかしたら聞き間違いや勝手な改ざんがあるかもしれない、そんな断片的な情報をつなぎあわせて。
 ――俺、誘われてる? 勘違いなら今度こそ泣いてしまうほど恥ずかしい、そんな答えを叩き出して、午前4時に俺は眠りについたのだった。


 適当にご飯を食べて、駅前にでも行こうかと身支度をはじめる。みょうじ先輩に彼氏がいない、きっとそれは喜んでいいところなのだろうけど、本当に何を考えてるんだかさっぱりわかんねえよ。……いやもう、散々考えたじゃん、俺。適当に、でもどこか丁寧にワックスをつけながら、小さくため息をこぼす。
 大丈夫。大丈夫、別に先輩に会いに行くのが一番の目的じゃない。会えたらラッキーだけどね。ただ俺もツリー見ておきたいだけだし。……ツリーってクリスマスツリーのことだよな? あのライトアップされる、めっちゃでかいやつ。え、それしかないよな? 誰も答えてはくれない一人暮らしの洗面台、鏡の向こうの俺が情けなく眉を下げている。どうしよう、自信無くなってきた。




 駅前はそこそこに賑わうものの、昨日の夕方ほどじゃなかった。やっぱり、暗くなってからが本番らしい。
 まず俺が向かったのは雑貨屋だった。誰も事情を知らない、誰にも聞かれてないのに、心の中でぶつぶつと弁解する俺。絶対会えると思ってるわけじゃないし。渡す機会がなければ自分で使うし。――そう、プレゼント……みたいな何か、を買うために。早めに家を出てきた、そういうわけだった。

 25日にすべりこみでプレゼントを買う、そんな出遅れ客は俺以外にもいるらしく、まだ特設コーナーもあればラッピングもしてくれるらしい。所狭しと並べられた雑貨を、興味がないような顔をしながらも、俺はじっくり眺めていた。

 スノードーム。先輩こういうの好きそうだな。マグカップ……は、種類も多いし使い勝手もいいだろうな。ハンドタオルか、冬に渡すのはちょっと変かもしれない。入浴剤セット……いや、いやいやいや、これはまずいだろ却下。ハンドクリームとかならセーフかな。あー、スイーツでもいいかも。甘いの好きって言ってたし。
 可愛らしい装飾の雑貨屋で、ひとりで唸り続ける男。結構あやしい出で立ちだろう。だから早く決めたい、と思うのに。プレゼントなんてあげたこともなくて、どうしたら喜ぶのかもよくわからない。案外、俺はまだ先輩のことを知らないらしい。……いや、渡すって決まってないけどね。
 

「ねえ、みてみて〜!」
「かわいいじゃん。買ってく?」


 少しだけ心が重たくなった、そんなとき。近くから聞こえたそんな声に、やめておけばいいのに俺は顔を上げてしまった。そこにいたのは、トナカイのカチューシャをつけて笑いあうカップルだ。ああもう、こんなとこでキャッキャウフフしないでいただけますかね。そう思いながら目線を外そうとした、けれど。

 白いコートを着て、とびきり楽しそうに笑うその女性が、溶けるみたいに姿を変えてゆく。――いや、そんなはずない。そんなこと起こっていない。けれど俺の脳内ではじまる空想を、俺自身にも止められやしなかった。



「みてみて、我妻くん」


 トナカイのカチューシャをつけて、そう笑いかけてくる女の子。……他でもない、みょうじ先輩だ。「これ買って一緒につけよう」「嫌だよ恥ずかしい」「えー、我妻くんのけち」そんな会話をしながら、「いいからそろそろ行こうぜ」って、俺はみょうじ先輩の、そのちいさな手を取って――


「う、わ!」


 落としかけたクッキー缶を、間一髪受け止める。ざっ、と音を立てるように、店中の視線が夢から覚めた俺に向いて、「すいません」とつぶやくみたいに謝った。やべえ泣きそう。

 ……もう。早く出よう。早く決めよう。くすくす笑われる声まで受け止めてしまう耳を、こいつに罪はないのに恨めしく思うほかなかった。






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