今日の俺の持ち物はポケットに収まる程度で、つまるところ鞄を持ってはいなかった。無事に選び終えたプレゼントを買ったはいいが、可愛らしい紙袋を持ち歩く羽目になった、というわけだ。プレゼント買う気で来たんだから、鞄ぐらい持ってこいよ、俺。どうしてそこまで頭が回らなかったんだろう。
まあそうは言っても仕方がないので、紙袋をぶら下げながら歩く。赤鼻のトナカイだとか、ジングルベルだとか。響きわたる音楽を聴き分けながら、迫る“夕方”への緊張をごまかそうとしていた。
バイト先とは反対側、普段あまり行かない方向に足を進める。だんだんと賑わいはじめる街のなかを、背中を丸めながら横切っていく。
多分これまでも、俺は恋くらいならしてきた。かわいいなと思う女の子もたくさんいた。話していて楽しくて、わくわくすることだってあった。
――でも、違うんだよ。今まで、なかった。自分の吐いた言葉に一喜一憂することだって、ほんの少しの表情や言葉に、感情を掻き回されることだって。人混みのなかでつい、その姿をさがしてしまうことも……会いたい、そんな心が焼けつくような願いを抱えてしまったことなんて、本当になかった。
きらきらして、楽しくて、恋愛ってそんなんだとずっと思い込んでた。小学生みてえだなって、自分でも思うけどさ。でも俺に限って、苦しくなることも辛くなることも、あるはずないって思ってた、のに。
陽が傾きはじめている。寒さがあちこちから突き刺さって、ちいさく鼻を鳴らす俺には誰も気付かない。きっとそのせいだ。光る街にのぼせて、それなのにひとりぼっちだから、こんなにも会いたい。恋しい。すれ違うひとが君じゃないだけで落ち込むなんて、嘘みたいなことがやめられない。
期待と、諦め。天秤がぐらぐら揺れる。もしかしたら先輩も、いやそんな都合のいいこと、そんな風に気持ちが揺さぶられて。その苦しさに、人混みのど真ん中で足を止めそうになった。
見つけた。
喧騒に掻き消されそうな音だった。すぐに立ち消えてしまいそうな背中だった。溶けてしまいそうなほど白かった。とっさに、声がこぼれ落ちた。
「みょうじ先輩!」
止まりかけた足で思いきり踏ん張って、すれ違ったそのひとに手を伸ばす。振り返るより、早く。もこもこに着込んだその装いの、弱点みたいな細くてつめたい手首を、俺はたしかに掴んでいた。
「あ……が、つま、くん」
大きく目を見開いた先輩と、見つめ合う。……ああもう、周りがうるさくて聴こえやしない。妙な高揚感と、言い知れぬ不安が混ざり合っていた。
「……来て、くれたんだ」
詰まった息を思わず吐き出した時、どん、と肩がぶつかる。そうだ、ど真ん中だ。クリスマスの街の。あわてて手を引いて、ふたりで隅っこに逃げ出した。
「あ、ごめ……」
つかみっぱなしだった手首を離すと、「ううん」と先輩が首を振る。……居る。たしかに。本物だ。さっきみたいな幻覚じゃない。
おまけにもう、先輩のたったひとことで答え合わせまで済んでしまった。来てくれた、そう言った。つまり俺を待ってたんだ。鼓動が速度を増して、一瞬のうちに身体が熱をこもらせていく。
ちょうど吹き付けた冷たい風が、頬にあらわれた体温を攫っていって。俺の素直じゃない口は、またつまらない言葉を選び取った。
「……わかりやすく誘えよ、もっとさ」
ごめんね、みょうじ先輩はすぐに謝った。下がった眉までかわいいなあ、そこでとっさにそんな考えがよぎって、高揚感にずいぶんと侵食されていることに気付いて。ごく小さな咳払いをして取り返そうとしたけれど――努力は虚しく散る。がっちりと視線が絡まれば、ふわふわと覚束ない意識に、いともたやすくまた支配されてしまうから。
そして俺は、呆然と見つめてしまっていた。先輩の唇が息を取り込むところまで。
「私の……精いっぱい、だった」
どん、太鼓でも打ってしまったような音が鼓膜を揺らす。俺の音だった。取り繕うこともできなくて、指先までぼうっと熱い。「我妻くん」先輩がまた俺を呼ぶ。夢の中みたいだと思った。
「ちゃんと誘っていい?」
「……あ……う、ん」
……きっと。いつもの先輩なら、「なあに、その返事」なんて笑い飛ばしてしまうくらい、吃って詰まった、情けない返事だった。
……でも。いつもの俺なら、「なんですかその顔」なんて笑い飛ばしてしまうくらい、先輩だって頬を真っ赤に染めていた。
俺たちは、“いつも”のふたりじゃない。バイト先の先輩と後輩、そんな日常を蹴破って飛び出して。きらきらかがやく非日常のその真っ最中に、ふたりきりで立ち竦んでいる。
ことばのひとつひとつが、光の粒に彩られている。あらゆる表情が、街の佇まいに染め上げられている。
「我妻くん」
「……はい」
「クリスマスツリー、を。私と、見に行ってくれませんか」