ゆれてふるえて恋煩い




 別棟にある理科室はいつだって薄ら寒くて、元々好きなんかじゃない実験の授業も、冬になるとさらに気分が乗らなかった。


「つなー」
「っえ、あ、なに?」
「先生の話聞いてた?」


 ついぱちぱちと瞬きを繰り返してしまうと、隣に座るクラスメイトのなまえは「聞いてなかったんだね」と笑い混じりに言った。あ、やばい。あたりを見回せば、ざわざわと教室は賑わい始めていて、もう実験準備に取り掛かっているのが見える。


「糸電話つくるんだって」
「へー、糸電話?」
「うん。音の授業だからねえ」


 配られたプリントを一緒に覗き込むと、糸電話をつくってみよう! なんて文字が藁半紙に踊っていた。小学生かよ、と心の中で突っ込むと、「小三のときに作ったや」となまえも笑っていた。
 もちろんただ糸電話で遊ぶだけじゃなくて、どれくらいの長さまでなら聞こえるのかとか、聞こえる条件を探してみたりとか、変わった糸電話を作ってみるだとか、色々やることはあるらしいけれど。配られた紙コップに糸を貼り付けながら、小さくあくびを漏らした。
 班ごとにいろんなパターンを試してみよう、みたいな趣旨の授業で。四人班のテーブルの隅でぼーっとしているオレをよそに、活発ななまえはあれこれ案を出して取り仕切っている。

 いつもなまえのほうから話しかけてくれるから、名前で呼び合うくらいにはなんとなく仲良くなったオレたちだけど、なんだか違うよなあ、と思う。いる場所というか、立っているステージというか。
 きらきらしている彼女の横顔を見るのは嫌いじゃない。けれど獄寺くんや山本、そのほかクラスの真ん中にいるような人達とも楽しそうに話していることが多いのを見ていると、やっぱりオレってついでみたいな感じなのかな、なんて思ってしまったり。……いや、何考えてんのオレ。勝手に落ち込んで、かっこわる。


「ツナもぼーっとしてないで作ってね、糸電話」
「……してないって、ぼーっとなんか」


 悟られないように目線を逸らすと、「ふーん?」なんてどこか楽しそうな声が聞こえてきて。つい唇を尖らせてしまった。

 まずはプリントに沿ってスタンダードな糸電話を試すことになって、なまえの「私とツナ、そっちのふたり、って組み合わせでやろう」なんて言葉に従って、それぞれでペアになって糸電話を構えた。
 質素な紙コップと、ひょろひょろの糸。椅子を離して糸を張りながら、「まずどっちが喋る?」と問いかけてみると、「わたし!」と間髪入れずに返ってくる。ゆっくりと糸電話を耳に近づけていくと、まだふつうに届く声がオレを呼んだ。


「……ツナ」
「なに?」
「聞こえたらちゃんと返事してよ? いーい?」
「え? うん」
「絶対ね」


 なんだ、どういうことだろう。やたらと念を押してくるけど。「オレって返事すらしないように見えてんの」と眉をひそめてみると、「そんなんじゃないよ」とそっぽを向かれてしまった。

 けれど程なくして、なまえが糸電話に口を近づけていくのが見えて。なんとなく慌てながら耳に当てると、がさがさと耳障りな音がする。本当にちゃんと聞こえんのかな、これ。
 そう思って軽く目を瞑ると、ノイズをかき分けるみたいに、ゆるく籠った声が響いた。「す、」そこで切られた言葉の続きを待って、3秒。


「す、き」 


 は、と乾いた息にも似た、声とは呼べない代物がこぼれ落ちていく。耳にダイレクトに響いたその声に揺さぶられて、こんなにも軽い糸電話の片方を取り落とした。ぱたり、そんな薄っぺらい音と一緒に、真っ白い紙コップが冷たい床に落ちる。少しだけ、へこんだような形をしていた。
 繋がれた糸に引っ張られるみたいに、それはもう片方の持ち主まで、つまりなまえのほうまで転がっていく。「だめじゃん、落としちゃ」咎めるみたいな声がすこし震えているようにも聞こえて、返事ができなかった。

 熱い。暑い。開け放たれた理科室の扉から、ひゅうと冷たい風が吹き込んで、火照った顔を濯いでいく。その温度差に背筋がぞくりと震えて、熱が出た時のことを思い出したりなんかした。

 
「聞こえなかったなら、もっかいやってみる?」


 うつむいた視界に上履きが映り込んで、飛んできた声に慌てて顔を上げた。……耳まで真っ赤じゃん。なんて顔してんだよ。
 口に出そうとしたそんな言葉は、喉につっかえて消えていく。だって丸ごと返ってくる。耳まで真っ赤なのも言い表しがたい表情をしているのも、きっと。オレだってそうだ。

 ……違う、って。なんだか違うって、そう思っていたのはオレだけだったのかもしれない。
 薄ら寒い理科室の隅、誰にも注目を浴びないオレたちは、たしかに同じ場所にいる。眺めているのは横顔だけじゃない。大きく息を吸い込んで手を差し出すと、びくりとなまえの肩が震えた。


「……聞こえてたから、それ、貸して」


 拾ってくれた糸電話の片方を、情けなくも力の入らない手で受け取った。ゆっくりゆっくり後ずさると、細い糸がだんだんと張られていく。そしてその向こうで、赤いままの耳がそっと当てられて。

 見ないふりをしていた気持ちで、わずかに掠れた声で。『聞こえたらちゃんと返事して』そんな約束を果たすための言葉で、たしかに糸が震えてしまうまで、あとすこし。


20201118
#復活夢版深夜の真剣創作60分一本勝負
お題「糸電話」(加筆修正済)




prev next
back




- ナノ -