おーい、聞こえますか?


 適当なスウェットを身につけた無一郎くんは、あのふんわりした隊服とやらを着ているときよりも細く見えた。いや、そもそもそんなにがっしりしているとも思っていなかったけれど、ずいぶん普通というか。あんな刀を振り回し大ジャンプするためにはもっとゴリゴリの筋肉が必要なように思えるけれど、そんなふうにも見えない。
 まあとりあえずそれは後で聞くとして、今はヘアドライだ。
「ドライヤーしようか無一郎くん!」
「なにそれ、ていうか、なにその怪しい機械」
「怪しくないよ! 髪を乾かすの」
「ほっといたら乾くよ」
「だーめだめだめ。風邪引くし髪も傷むよ!」
 そう言ってドライヤーのスイッチを入れてみせると、「うわ! なにそれ!」と数歩後ずさってしまった。あんなおぞましい鬼なんかに比べりゃこんなもん微塵も恐ろしくないでしょうが。ドライヤーにビビる実家の猫を思い浮かべつつ無一郎くんのほうに熱風を向けてやると、「うわ、あったかい……」なんて言いながらまた後ずさる。
「ほら大人しく乾かされて」
「なんで」
「言ったでしょ、傷むし風邪も引くから!」
 それでもなおドライヤーを警戒して近づいてこない無一郎くん。こりゃ仕方ない、と一度ドライヤーの電源を切ると、警戒態勢を解いてくれた。
「……どこいくの」
「まってて」
 そのままキッチンに向かって、冷凍庫を開けて……よしあった! バニラ味のカップアイス! ぺり、と蓋を開けて、スプーンを添えて持っていくと、無一郎くんは「なにそれ」と目を丸くする。
 餌付けが一番だってわかっちゃったもんね、私。
「アイスクリーム! 大正にもある?」
「あるけど……お店でしか食べられないと思ってた」
 そう言って手を差し出そうとする無一郎くんの目の前から、ひょいとアイスを取り上げる。ムッとした無一郎くんに、「ドライヤーするならあげるよ」と言うと、小さくため息をついてから「わかったよ」なんて返事をしてくれて、つい「よし!」と声が漏れた。

「お味はいかがー?」
「なんて?」
 ブォォォン……と響くドライヤーの音。しっとり水分を含んでいた無一郎くんの髪はだんだん軽やかになって、やっぱり、驚くほどに手触りがいい。
「なんも聞こえないんだけど」
「なんか言った? 無一郎くん」
「なんも聞こえない、って言った!」
「あーそう、失敬失敬!」
 珍しい(といってもまだ数時間しか一緒にいないのでどっちがデフォルトかは正直わからないが)気がする無一郎くんの少し張った声を聞きながら、満遍なく乾かしていく。最初は些かビクついていた無一郎くんも、ドライヤーの温かさにすっかり気を良くしてくれたらしかった。
「アイスおいしい!?」
「おいしいよ!」
「しゃりしゃりしてるでしょ!」
「してる!」
 これ、乾かすのなかなか大変だな。私の髪よりずいぶん長いし。そう思いつつも、乾かしているあいだしか聞けない無一郎くんのこの喋り方がなんだか面白くなってきた。
「ねーえ無一郎くん!」
「後にしてくれる!? 疲れるんだけどこれ!」
「はい! すいません!」
 と、思っていたら即止められてしまった。悪ノリしてすみませんでした。

 ◇

 なんだかんだでドライヤーを終え、アイスを食べ終えた無一郎くん。その髪はさっきよりも明らかにサラサラで、思わず「おお……」と声が出た。
「どうしたの?」
「無一郎くん、ほんとに髪キレイだね……」
「そう? ありがと」
 くるり、振り返ってなびく髪は、夜の闇を吸い込んでしまったみたいな漆黒。だけど柔らかに透ける毛先は、ミントグリーン、もしくはターコイズブルーといったところだろうか。そんな淡い色に輝いていて、どこの美容室に行ったらこんなに綺麗なグラデーションを作ってもらえるのかぜひ教えてもらいたい。まあ教えてもらったところで大正には行けないわけだけど。
「無一郎くん、それは染めてるの?」
「毛先? ううん、元々こんな色だった……と思うけど」
「へぇ……! 綺麗だねぇほんとに」
「……ありがと」
 無一郎くんは少し照れくさそうにそう言う。褒められ慣れていないのか、そのサラサラ具合が落ち着かないのか、髪をつまみあげたりくるくる弄んだり、手元を誤魔化しているさまがなんだか微笑ましい。
「んふふ、寝よっか無一郎くん」
「なにその笑い方は」
「かわいいなって」
「あそ。部屋ありがとう。おやすみ」
 ええまって、なんて私の声が届く前に、無一郎くんは(元)私の寝室に消えていく。まったく照れ屋さんなんだから、なんて思いながら、私もお風呂に入らなきゃと考えて。無一郎くんが着ていた、あの謎の服の存在に思い当たった。

 脱衣所へ向かうと、洗濯カゴの中に放り込まれた学ランもどきが目に入る。ところどころシワがついて、きっと汗や土埃を吸い込んでいるであろうそれに、洗濯したい衝動がむくむくと湧き上がる。悲しいかな、最近の私の趣味は休日の洗濯なのだ。それくらいしか楽しみがないから、雨の土日は露骨にテンションが下がる。
 勝手に洗濯していいのかな、ていうか洗濯オッケーなの? そんなことを思いつつタグを探すが、洗濯表示は当然ながら見当たらない。自分の服なら構わず洗濯機をぶん回しているところだが、さすがにひとの所有物をダメにしてしまったら不味すぎる。
 迷った末、みんな大好きなあの消臭スプレーを使うことにした。袖の裏で変色チェックをしてから、数回振りかけて軽くシワを伸ばして部屋の中に干した、けれど。……うーん、こう見るとやっぱりなんだか物騒だ。「滅」の文字が特に。明日からは無一郎くんの部屋に置いといてもらおう、というかまず洗濯の可否を訊こう。
 そう思いながら、私も栓の抜かれたお風呂、いや。シャワーへと向かったのだった。





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