湯加減はいかがですか?


 幸いこの家はリビングの他にもう一つ部屋があって、そこが私の寝室になっているけれど、どうせ布団が敷いてあるだけだしそこを無一郎くんの部屋にできる。みんな大好きファッションセンターで買っておいた予備の布団と毛布もあるし、うん、なんとかなりそう。
「この部屋は無一郎くんの部屋ね」
「え、いいの?」
「うんうん。どうせ私はリビングで色々するし」
「この大きい部屋がリビングってことだね」
「そうそう」
 あれ、なんか……夜の間だけ、みたいな話をしていたのに、なんかなんか自然と、一緒に住む流れになってきてないか?
 まあ私がその方向に持って行ってるんだし、無一郎くんもあんまり気にしていなさそうだし、私はどうせ彼氏もいなければ近所に友達もいないし、まあそうだな、警察の目にさえ触れなければ問題ないというか。いや本当に問題ないのかな。
「そういえば」
「なあに?」
「なんでしれっと名前で呼んでるの?」
「仲良くなりたくて」
「あ、そう」
 たぶんなんだけど、無一郎くんは根はいい子だ。なんかツンケンしてるけど。ちゃんといただきますもごちそうさまも言えるし、本気で私を嫌がってるわけでもなさそうだし。
 いやまあ出会って数時間の謎の少年を、いい子ってだけで住まわせようとしてるのは問題があるんじゃないかと、我にかえってしまうと、そう思うわけですが。でもあんな異形の怪物を見てしまえば仕方がないといいますか、うん……。
「さっきからなに独り言言ってるの?」
「葛藤してる」
「葛藤?」
「この状況が本当に正解なのかどうか」
「ふうん」
 無一郎くん、いろいろ聞いてくるわりにすっごい興味のなさそうな返事するなあ。きっとあれだ、コミュニケーションを取りたいのではなく、単に疑問点を解決したいだけなんだろうな。え、それってコミュニケーションを取りたいと思われてないってことか。自分で言っておいてなんだけどちょっと悲しい。
「はぁ。とりあえずシャワーでも浴びる?」
「シャワー……って、何?」
「あーえっと、お風呂のことだよ」
「ああ……」
 お風呂に連れて行ってみると、やはりあまり見慣れないものには抵抗があるのか微妙な顔をする無一郎くん。聞けば、どうやらそもそも大正時代にはトリートメントどころかシャンプーという代物もないらしい。湯浴びに留まる程度で、時々髪洗い粉を使うとか使わないとか。……それでこの美髪か。反則だな。
「僕は湯浴びで充分だよ」
「いやシャンプー使いなよ。トリートメントも。いいの貸してあげるから」
「……」
 夕飯もそうだけど、さっき出したココアを大層気に入ってくれていた無一郎くんは、私と私が出す現代のブツをなんとなく信用してくれているらしい。抵抗はありつつもシャンプーとトリートメントにも少し興味を持っている様子だった。お湯だけで出てこられるのはなんだかこっちも気まずいし、いいトリートメントでさらにサラツヤになった無一郎くんの髪も見てみたくなってきたし、ぜひチャレンジしていただきたいところである。
「じゃあお湯ためて、入浴剤も入れてあげちゃう! 温泉みたいになるんだよ」
「……すごいね」
「ね、すごいよ! だからほら、入ってごらん」
 そして協議の末、お風呂には入ってくれることになった。お風呂の横で私が待機して、無一郎くんが不明点を質問する、ということにまとまり、無一郎くんもそこまで嫌そうな顔もしていないし一安心。
 お風呂を沸かして……といってもボタンひとつなのだけど、入る前に簡単にお風呂や用品の使い方を説明して、元彼のスウェットと奇跡的にひとつ残っていた新品のパンツを用意して、無一郎くんをお風呂に押し込んだ。

 ほどなくして、ジャー、なんてシャワーの音がして。お、使えてるじゃん、なんて思いながら、私は脱衣所のドアの横で三角座りしていた。
「お姉さん」
「あっ! なあに?」
「シャン……プーは、どっちだっけ」
「えーっとね、あ! 上に、ほらさっき説明した押す部分に、三本のギザギザがあるやつがシャンプー!」
「わかった。ありがと」
 うわ、すごい。なかなか私の生きてる中で、このシャンプーの三本線が役に立ったことってなかったのだけど、お風呂の中の無一郎くんと顔を合わせることなく、無事にシャンプーを使わせることに成功した。
「わ……すごい」
「すごい? なにが?」
「もこもこだね」
「え無一郎くんが? 絶対かわいいじゃん」
 ジャー、とお湯が流れる音が聞こえる。無視された。……まあいっか、別に傷ついてないです。ちゃんと泡立てて洗えただけ偉いと思っておくことにする。
 それから遠隔操作よろしく指示することによって、無一郎くんに私のお気に入りのトリートメントを使わせることに成功した。まあなんか、ボトッ……とか聞こえたし、「ああごめん落としちゃった」なんて言われたので、必要以上に減ってるのかもしれないけれど、まあいいよ。仕方ない仕方ない。

「お湯加減はいかがですー?」
 無事に身体も洗い終えたらしい無一郎くんが、ざぶん、とお湯に入る音がする。そういえば、大正時代のお風呂ってどんなふうなんだろう。ゴエモン風呂かな。いやそれはもっと前の時代かな。自分の乏しい知識に呆れながら、あふれたお湯が排水口に吸い込まれていく音を聞いていた。
「うん、大丈夫。でもなんか、たまに変な音がするのは大丈夫なの?」
「変な音?」
「ぶーんって。なんかお湯出てくるし」
「あー、お湯の温度を調整してくれてるんだよ」
「……へえ、すごいね」
 そんな会話をしながら、ふと無一郎くんのご身分が気になった。手元のスマホで「大正時代 中学校」と検索してみると、色々なサイトから随分と複雑な学制であることだけがわかったけれど。……鬼を狩ってる、なんて言っていた以上は学校に行っていたのかもわからない。ご家族のところで気まずい感じになってしまったし、取り敢えず本人に聞くのはやめておこう。
 はっとひらめいて、ついでに無一郎くんの口から出ていた「きさつたい」というワードを検索してみたけど、平仮名だったせいか全く要領を得ない検索結果に終わってしまった。

 もう近代史なんてほぼ頭から抜けてしまってはいるけれど、学業よりもやるべきことがあった子供というのは昔は多かったらしいし、もしかすると無一郎くんもそれにあたるのかもしれない。下手すると私よりもずっとしっかりしていそうだし、衣食住以外に世話を焼くことはないのかなぁ。とはいえ最低限、彼があっちに帰れるまでは悪目立ちしないように、現代のルールだけは叩き込んでやらないといけないかもしれない。
 そうお湯が抜けてゆく音を聞きながら考えた。……お湯が、抜けてゆく。奴め、きっと悪気はないんだろうが、浴槽の栓を抜いたな。まだ私が入ってないってのに。





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