本気で言ってますか?


 ざんっ、ぼとっ。
 日常生活ではおよそ聞きはしないであろう、映画やアニメの中にでも出てきそうな生々しい音。それから、響く咆哮に混じるような、耳障りな……断末魔、ってやつかもしれない。形にならないその声につい耳を塞いでしまいながら、ひとりでに震える体を持て余して、私は階段の踊り場に座り込んでいた。
「何してんの。帰りなって言ったじゃん」
「あ、え……」
 音も立てず、私の目の前に降り立つ時透くん。えっと、君がさっきのやっつけちゃったの? とか、そもそもこれどういう状況? とか。色々聞きたいのに、口が震えてうまく言葉が出ない。時透くんはそんな私の様子に少し眉根を寄せてから、大きくため息をついた。
「お姉さん、稀血なのかもしれないね」
「まれち……?」
「鬼に喰われやすいってこと」
 鬼、喰われやすい? へ、なにそれ。
 ぜんぜん意味が分からなくて首を傾げると、時透くんはなおも面倒そうな顔をする。
「鬼って……やー、いや、時は平成ですが……」
「ヘイセイ……って何?」
「え? 何って……平成、二十八年……元号だよ」
「はあ? 元号っていうなら今は大正でしょ? 大正五年」
「はえ……?」
 震えは収まるどころか、もっと酷くなっていく。
 ……え、何言ってんの? 私、夢でも見てる? 今日たしかに上司に怒鳴られて、めちゃくちゃ辛くて。夢なら覚めてくれればいいのに、って思って泣いたけど。
「時透くん、は……何年生まれ?」
「一九○一年」
「せん、きゅう、ひゃく……?」
 時透くんも薄々なにかおかしいと気付き始めたのか、「ここ、どこ?」と聞き覚えのある質問を繰り返してくる。
「えっ、と……東京、だけど」
「……何年?」
「にせん……じゅうろくねん……」

 しん、と2人の間に沈黙が降りる。
 めちゃくちゃ疑うような視線を向けてくる時透くんに、「ほんと、ほんとだから」とスマホを取り出してカレンダーを開くと、「うわぁ」と変な声を出されてしまった。
「なに……これ?」
「え、スマホ……あー、あーあー、大正時代にはないのか……」
 発光するスマホの画面に死ぬほど訝しげに目を細めている時透くんの姿は、演技には見えない。どうしようと思いつつ、恐る恐る「ご家族とかはご一緒じゃない……?」と聞いてみる。時代を超えた迷子扱いである。
「父も母も兄も死んだ」
「いやっ……あ……ごめん、ごめんなさい」
「いいよ。……でも、鬼殺隊に仲間がいる」
「あ、なるほど。じゃあお電話を……って、いやいや」
 大正時代に電話はないだろうよ。あれ、ギリギリあるんだっけ。どちらにせよ「オデンワ?」と首を傾げる時透くんの姿からして、電話が身近にないことは確実だ。現代の迷子のようにはいかないらしい。
「はぁ……血鬼術かもしれない」
「なるほど……」
「鎹烏もいないけど……まあ、帰る方法は自分で探すから」
「そうですか……」
 ぜんぜん何を言っているのかわからないけれど、とりあえず頷いておく。うん、私はきっと悪い夢でも見てるんだ、そうに違いない。そう思ってなんとか力を取り戻した足で立ち上がると、「お姉さん」と背中を向けそうだった時透くんが口を開いた。
「その……お姉さんの言ってることが本当か知らないけど」
「本当ですよ……私が時透くんを疑いたいよ」
「百年経っても鬼は消えてないんだね」
「まあ、うん……そうなる、のかな、知らないけど」
「よく今まで食われなかったね」
「く……ちょっと怖いこと言わないでくれる?」
 淡々ととんでもないことを言ってのける時透くんは、さっき会話の中で聞いた限りじゃ十三か十四だ。十個下。私より大層しっかりしたその性格は、ご両親や兄弟を亡くした故の責任感みたいなものだろうか。う、あ、なんかちょっと泣きそうかも。
「襲われたこととかないの?」
「ない、ですね……?」
「本当に? 一度も? 間一髪助けられそうになった、とかもない?」
「ないってば……あってたまるかって話よ」
「……お姉さん鈍感そうだから、助けられても気づいてないのかもね」
「失礼しちゃうね時透くん!」
 少し大きな声を出してしまうと、ちょうど二階と一階の間にいた私たちのもとに、通行人が現れて。迷惑そうな目で私たちを見て降りていった。……いや、降りていった、のはいいけど。刀! 刀見られたら私まで終わる!
「時透くん、ちょっとよくわかんないんだけど、とりあえずね。あのね刀はまずいの、平成において」
「ああそう……大正でも警察に見つかるとロクなことにならなかったよ」
「そっかぁ。いやいやフツーに言うことじゃないよ、とにかく見られるとまずい! 家入って、家!」
「なんで」
「なんでも! 今は大正より厳しいから! 多分!」
 ほら行くよ! と先導するように階段を登り始めると、渋々といった顔をしながらもついてくる。でもその顔があんまりにも嫌そうなものだから、なんとかもう少し楽しい雰囲気にならないかと、考えを巡らせて。
「あ」
「今度は何」
「時透くん、お腹空いてない?」
「すいた」
 即答! さすが、中学生男子は胃袋を掴めと言うだけある。いや、別に言わないかも。まあどっちでもいいんだけど、私は料理は得意な方なので、これに関しては有利にことを運べるはずだ。
「何食べたい! 時透くん!」
「ふろふき大根」
「……えっ、渋っ。唐揚げとかハンバーグとかじゃなくて?」
「よく知らないけど、ハイカラなものはあんまり食べたことないから」
「ハイ、カラ……!」
 そんな本の中でしか見たことのないセリフに感動しながら、階段を登り切って扉を開ける。あぶな、鍵かけてなかった。
 ちょうどいいや、週末に大根が安くて一本まるまる買ってあったんだ。どうしようってちょっと思ってたんだけど、ふろふき大根ぐらいならサクッと作ってやりますよ。お味噌も良いのがあるし。
「嫌いなものはある?」
「特にないけど」
 ずかずか、草履を脱がずについてくるものだから、慌てて「草履脱ぎなさい!」と叱り付けてしまうと、「うるさ」と嫌そうな顔をしながらもいそいそと草履を脱いでいたので、弟が中学生だった時のことをつい思い出してしまった。
 いつの世も反抗期男子というものは変わらないなぁなんて呑気なことを考えつつ、ふてぶてしく座椅子を占領する時透くんを見つめている私は、案外順応性がある方なのかもしれない。


 





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