どちらさまですか?


「お姉さん、ここどこ?」
「…………私、の……家……です、かね?」
「僕が聞いてるんだけど」
 ――いや。いや、確実に私の家だ。実家から持ってきたローテーブルも、こないだ奮発して買ったかわいらしいフワフワのカーペットも、元彼がインド旅行のお土産でくれた謎のオブジェも、ピカピカお天気だった先週末に洗ったシーツも布団カバーも、間違いなくぜんぶ私のもの。でも、部屋の真ん中にちょこんと座る……これは、学ラン? なのかな? そんな黒い服を着た長髪の美少年は、まったくもって知らない。知らないよ。見たとこ中学生っぽいけど、えっ待って、成人女性の家に中学生男子? マズイんじゃないですか、犯罪のにおいがしますが。
「……お姉さん?」
「私……一応真っ当に生きてきたの、逮捕だけはされたくない……」
「なに言ってるの?」
 訝しげに眉を下げてみせるこの少年は、なかなかどうして美形だ。いや、美形、だけど。
「すみません、数点確認いいですか?」
「うん」
「私は、今さっき家に帰ってきた」
「そうだね」
「で、先に君がいた」
「うん」
「その……少年は……」
「時透無一郎」
「とき……トキトーくん、は、いつからこちらにいらっしゃる?」
「僕にもわからない。気付いたらここにいた」
 ここで一つの可能性が浮上して、それから、私は小さく首を振った。……猛烈に仕事に疲れていた私が、この儚ささえ感じさせるほどのとんでもない美少年に見惚れてしまって、サクッと気絶させて我が家に連れ帰ってきたんじゃないか、と。疲れてウトウトしているときに幼稚園児御用達みたいな油粘土セットをネットショッピングしていた経験がある以上、自分がまったく信用できない。あのときは潜在的に幼稚園児に戻りたくて、今はたぶん潜在的に美少年に癒されたかったのだ。
「……やっぱり犯罪だ」
「ハンザイ?」
「私……私が……気絶させて連れてきちゃったのかも、時透くんを」
「それはないよ」
「な、なんで言い切れるの!? 私の中に潜む衝動性は……」
「そのほっそい腕でそんなことできっこないでしょ」
「いーやわかんないよ!? てかね、そんなん言ったら時透くんだってそうでしょ!?」
「どうかな」
 そう言って立ち上がる時透くんの腰に、さっきまで見えなかったものを発見して、声にならない声をあげてしまった。「なに?」と面倒そうにこちらを見る時透くんだけど、それ、それは、その。
「かた、かたな、かた、刀……!?」
「そうだけど」
「もぞ、模造刀ですか……!? その、すごいですね……」
「もぞ……? いや、これは日輪刀だよ。僕は鬼殺隊だから」
「んー、えー、厨二病かな……」
「チューニ病? 何かの病気? 僕は至って健康体だと思うんだけど」
 ぽかんとして首を傾げる時透くんは、何言ってんだこいつ、みたいな目で私を見るけど。私が言いたいよ、何言ってんだよこいつ。ニチリントーだのキサツタイだの、まるで漫画の設定みたいなことをつらつらと述べる時透くんは、「そういえば稽古の途中なんだよね」と私の横をすり抜けて、玄関に向かっていく。慌ててそのゆったりした袖を掴んだ。
「ちょちょちょちょ待って! 待って待って!」
「今度は何」
「捕まるよ! 模造刀でも捕まるって聞いた! 銃刀法違反!」
「もぞーとーってのが何か知らないけど、これは日輪刀だよ」
「ええっとホンモノだったりするの!? じゃあもっとダメだよ!」
 よく見たらその背中には「滅」なんて文字があって、裾が袴みたいに広がったその服はただの学ランではなさそうだ。なんだか……おおよそ一般人では無さそうなその風貌に、ぞくりと背筋が震える。
 え、なんだろう…………え、ヤクザの跡継ぎ、とか?
「……あの、時透くん、もう少しお話しよう」
「僕忙しいから。手短にお願いしていい?」
「はい、はい、わかりました。時透くん、その、ご職業は?」
「鬼殺隊、霞柱」
「ウウン……それはその、どういったお仕事を……?」
「鬼を狩ってる。政府非公認だけどね」
「ハァ……」
 いよいよ何を言っているのやらさっぱりわからなくなり頭を抱えると、「じゃ」と出て行こうとする時透くん。
「いやいや待って!」
「待たない。しつこいねお姉さん」
 さっぱり言ってのけた時透くんは、その細腕からは想像できないような力で、袖に縋り付く私を振り解いてしまう。そのまま鉄の扉を足で開け放って、時透くんはさっさと出て行ってしまった。
 少し呆けたようにその様子を見ていたけれど、慌てて我にかえる。「待って時透くん!」と大声をあげながら、扉を開けた。まずいまずい、しょっぴかれたら後味が悪いし、私も取り調べなんかに巻き込まれたりしたくない。あっでも、ヤクザの跡継ぎならサツに関するそのへんは大丈夫なのかな?

 そんなことを考えながらも、とりあえず追うことを決意して。けれどエレベーターが遥か上の階に止まっているのを見て、慌ててマンションの階段を駆け下りる。
 あれ……いや時透くん、足速すぎない? エレベーターには乗ってないはずなのに、先を走る足音すらしない。ここ3階だよ? もう降り切ったの?

 と、その時。外階段の真横に、大きな大きな影が現れて。
 
 そのCGみたいな何かと、目が、合った。

「え?」

 ぎょろり、大きく飛び出たような目玉が私をとらえている。その大きな口のような裂け目を動かして、ウマソウ、だとかなんとか言った気がする、けれど。
 伸びてくる大きな手に、まったく微塵も理解が追いついてくれない。え、なにこれ。待って、待ってまって。

 そのまま動けず凍りついたように立ち尽くしていると、伸びてきていたはずの手が、耳をつんざくような鋭い音と共に、視界から消えた。
「……危ないよ。帰ってくれない?」
「とき、とー、くん」
 私の目線と同じくらいの高さの、階段のへり。そこに立つ時透くんの足元は、今ではそう見ない草履だ。ていうか、そんなとこ立って危ないよ。そう言いたかったのに、唇も喉も動いてくれない。
 かくん、と足の力が抜けて。座り込んだ私の目には、外階段の壁しか映らなくなった。時透くんが素早く足元を蹴って、そのまま闇夜に溶けていく。
 視界の端に残ってちりちり輝くのは、淡くさざめくターコイズみたいな緑色だった。



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