またお買い物しましょうね


「無一郎くん、今日はお菓子どれにする?」
 大量に連結されたカート置き場にびっくりして後ずさっていた彼はどこへやら、今となっては素早くカゴをとってセットしてくれるようになった無一郎くんは、がらがらと押していたカートをお菓子売り場の真ん中で止めた。
「いつもの、あの……じゃが……なんだっけ」
「はいはいオッケー」
 じゃがいもをもじった名前、ということだけ覚えているらしい無一郎くんに助け舟を出すようにお菓子を手に取ると、その目元が一ミリほど嬉しそうに緩む。だんだん微妙な表情の変化がわかるようになってきた。無一郎くんは決して無愛想ではないけれど、喜びや嬉しさをわかりやすく表現することは少ないと思う。だから少し前までは、サラダ味とじゃがバター味のどちらが好きなのか私も見抜けなかった。しかし今となっては明確である。じゃがバター味を食べた時のほうが、目の輝きがほんの少し強いので。
「あ、ねえねえめんたいこ味あるよ」
「いや……じゃがバターにする」
 それから、あんまり冒険しないタイプっぽい。好きなものは好きで、わりとそればかり食べるふしがある。私は好奇心の赴くままに冒険して失敗したり後悔したりすることがままあるので、無一郎くんの冷静さはうらやましい限りである。

「どうかした?」
 と、そんなことを考えながら調味料コーナーに足を進めようとしていた私の後ろで、無一郎くんがカートの持ち手を握ったまま立ち尽くしている。棚を見遣って、少し、ためらいがちに。
「……もう一個、違うの買ってほしい」
「買う! 買おう!」
 思わず声のボリュームを上げてしまった私にしーっとジェスチャーしながら、「声」と短く咎めて顔をしかめる無一郎くん。これはしまったと「はい」と背筋を伸ばして返事をしつつ、私の頬はやわらかく緩んでゆくのをやめられない。
 思えば、こうやって買い物に連れてきた時。何か聞いても「僕はいいよ」と引っ込めてしまって、私が勝手に買い与えてしまうようなことも多かった。普段家ではそこまで遠慮することなくアイスやお菓子を食べるのに。やっぱり目の前でお金を出すところを見るのはなんか微妙な気持ちになるのかなあなんて思っていたけれど、ここ最近はきちんとほしいものを教えてくれるようになって、私はそんな様子についつい毎回喜んでしまう。
 無意識にあまりお互いの世界に踏み込まないようにしているから、詳しいことは聞いていない。けれど話の端からこぼれる情報で、お父さんとお母さんを早くに亡くしたのだということはわかって。兄も死んだ、とはじめに言っていたけれど、ふたりで暮らしていたのかな。それとも、無一郎くんひとりだったのかな。どちらにせよ子どもだけで生きるということは、子どもでいられないということ。「しっかりしている」ことだけを見てすごいなあと思っていたけれど、しっかりせざるを得なかったんだ。そうしなければ生きられないから。
 ――だから。もう少しだけでも子どもでいられたらよかったのに、なんて、お節介にも程がある感情が芽生えてしまっているわたしにとって、無一郎くんのわがまま未満のお願いは嬉しい出来事だった。これ買ってほしい、あれ食べたい、そんなことを遠慮がちに言ってくる無一郎くんに、私の心はぽかぽかと温まってゆく。肉親代わりになろうなんて思ったことはない。ただ私との奇妙な生活が、また向こうに戻って強く生きなければいけない無一郎くんにとって、年相応に休める時間になればいいなと思ったのだ。
「なにがほしいの無一郎くん」
「なにその……なんか……期待に満ちた顔」
「まあまあ」
 呆れた顔をしつつも、無一郎くんはそっとしゃがんでお菓子の棚を覗き込む。お菓子なんていくらでも買ったらいいんだよ、それぐらい。


 ◇


 棒付きキャンディをひとつ追加しただけで「これでいい」なんて言うから、「ダメだよ! もっと買いなよ」とついつい焚き付けてしまい、カゴにはずいぶんとたくさんのお菓子が入ることになってしまった。この時代では定番ながらまだ無一郎くんが食べたことのないお菓子に、変わった味をチョイスして「残しても僕食べないからね。お姉さんが食べなよ」と念を押された限定品。それとファミリーパックで買ったチョコレートを楽しみにしているようだったので、食べすぎると鼻血が出るからちょっとずつね、と本当か嘘かわからないことで脅しておくと、ガーン……みたいな顔をしていて悪いけど面白かった。
 と、そんなこんなでお菓子売り場を出てふと我にかえる。
「……えっと、で、何買いにきたんだっけ」
「書いてきてないの?」
「ウン……」
「……はあ……」
 いやだって、さっと買ってさっと帰るつもりだったんだもん、ついついお菓子に気を取られてしまっただけで。口に出せば正論に刺されそうなので心の中だけで言い訳をしつつ、日頃の疲れが蓄積した脳みそをぐるぐる回していると、無一郎くんが不意に「みりん無いんでしょ」とつぶやく。
「あと鶏ハム作り置きしたいから鶏胸肉買うって言ってた。牛乳も今朝見たら少なかったよ。卵の特売も今日だし買っておいた方がいいんじゃない」
 ……え。お、覚えてるんだ、そういうの。私の話を聞いていて、ものの残量を気にしていて、スーパーのスケジュールまで把握しているなんて。思わず無一郎くんのほうを見ると、無一郎くんも私のほうを見ていて、しばし顔を見合わせる。ぱち、ぱち、まばたきが数回交差して、私の口からはただただ「天才?」という言葉がこぼれ落ちていった。
「お姉さんよりは」
「やだ言い返せない!」
 無一郎くんがふはっと吹き出すみたいに笑って、その色鮮やかな表情に私も釣られて笑う。それから「無一郎くんがいればメモいらずだね」なんて冗談めかして言うと、「自分で覚えなよ」と返ってくる言葉は甘くなんてないけれど、眉が下がって瞳が緩んだその表情はたぶん、最初の頃よりずっと柔らかいような気がした。だって会ったばっかのころにこんなこと言っちゃってたら、ひんやりした目でじっとり見てくる。絶対。
「案外私の話聞いてるんだね無一郎くん」
「さあね」
 ふい、と顔を逸らされながら。もう少し、ほんとうにもう少しでいいから、まだこんな日々が続いてほしいな、なんて。願ってはいけないことを思ってしまう。
 ――ぐっと口をつぐんで、胸の奥に押し込める。
「よし」
「ん?」
「買い物終わらせて、早く帰ってご飯食べよ!」
「お姉さんお腹すくと機嫌悪くなるもんね」
「え、それは無一郎くんでしょ」
「え? そんなことないから」
 いやいや、そういうのって自覚ないもんだからね。そう思ったけれど、無駄なことを言って怒らせたくはないのでこれも呑み込んでおく。……え、というか、私ってお腹すくと機嫌悪くなるかなあ。もしそうだとしたら無自覚なとこまでなんか似てるんだなあ。そう考えてくすりと笑ってしまうと、「自己完結して笑うのやめてよ」なんていつもみたいに言われてしまった。





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