もうこれでいいんだよ


 そんなわけないと斬り捨てて、ただ斬って倒して前に進んで、俺は鬼を根絶やしにすることだけ考えていればいいはずなのに。……僕は。僕には関係ない。この程度、復讐なんかになりはしないとあしらってしまえばいいのに、できない。
「そして、よく思い出せ。貴様は百年前に死んでいる」
 たたみかけられる言葉に、嘘だ、そう言い返したかった。けれど、身体が思い出し始めている。圧倒的強者に対峙したあの恐怖を、身体の奥底から湧き上がる覚悟を、最期まで刀を握り締め続けた感覚を。刻まれたすべてが刀を握る手に蘇って、受け止めきれなくなってしまいそうだった。
「死して尚、無駄に蘇り、無関係な女を命の危険に晒した。悔しいか、悔しいだろう。貴様のその表情を見る為だけに、儂は力を蓄えてきたのだからな!」
 溢れて爆発しそうな感情を抑え込みながら、息を吸う。地面を踏み締める足に力を込める。もうこれ以上、こんな奴に好き勝手言われたくなんかない。斬るんだ。斬り捨てて、きっと術は解けて、僕は――どう、なるんだ。いや今更なんなんだ、死んだって構わないだろう、そうやって葛藤を繰り返しながら睨みつける。
 ……ただ。ただ俺の手を、足を止めてしまうのは、ここにあるたったひとつの大切な気配。僕がいま消えたら、死んでしまったら、会えなくなってしまったら。僕はお姉さんに……さくらさんに、謝れない。お礼も言えない。もう何もできない。そう思った途端に躊躇いが生まれて、けれどその隙にさらに奴は罵声を重ねてくる。
「わかるか? 貴様の存在こそ、無駄で無意味だった! この女を守るどころか、全てお前の所為だったのだ!」

「違う!!」
 そうして情けなく立ち尽くしていた僕のとなりを、ゆるい風が通り過ぎてゆく。さくらさんが飛び出してきた、そう気付いたのと、奴の爪がさくらさんの眼前に迫ったのは、ほぼ同時だった。
 間一髪。さくらさんを思い切り突き飛ばして、尚且つその爪を斬り飛ばしてすんでのところで阻止して、とんでもない危機に眼前が白く瞬くような感覚に襲われる。
 ……なんで、こんなこと。倒れ込むさくらさんに駆け寄ると、「それは違う!」と、息を切らした叫び声がまた響いた。
「そんなこと、言うなら! 私が許さない!」
「っ、危ないって、下がって!」
「嫌だ!」
 身体を起こそうとするさくらさんの肩にそっと触れながら、「なんでこんな、危ないこと……」と小さく問い掛ける。鬼は興味深いものを見るように動きを止めているけれど、構えだけは崩さないように。……けれど返事は貰えないままに、さくらさんはまた思い切り息を吸い込んだ。
「無意味、じゃない! 無一郎くんに出会えて、無駄だったことなんか、ひとつだってないよ!」
 顔は見えないけれど、わかった。きっと泣きながら叫んでいること。「この鬼狩りのせいで何度も死にかけているのにか?」なんて、そんな安い挑発に僕が肩を震わせる間にも、さくらさんは言い返すことをやめなかった。
「そんなこと関係ない! 私は、無一郎くんに出会えてよかったの! 私の毎日は、無一郎くんに出会ってから、本当に楽しかった!」
「さくらさん、」
「その全部を否定するようなこと、無一郎くんを、傷付けるようなこと、言うなら……私は、絶対に、あなたを許さない!」
「人間風情が、儂を“許さない”か」
 嘲笑うようなその声を聞きながら、俺はやっと地面を蹴った。――もういいよ。もう、いいよね。もう聞きたいことは聞けた。謎は解けた。斬れば、終わる。これ以上、さくらさんが傷つく必要なんてない。

 終わらせよう。迷惑をかけて危機に晒して、そんな僕が。あなたにこんな言葉をもらうことが耐えられない。だって謝ったって「気にしないでよ」なんて笑うんでしょ。お礼を言ったって「いい子だね」なんて茶化すんでしょ。どうして。どうしてあなたは、そんなにも誰かに優しくできるんだろう。何をぶつけてしまったって優しさが与えられて、ぎこちなく渡した優しさは何倍にもなって返ってくる。守っているから、なんて大義名分を掲げてそれを享受していたのに、なけなしの理由が取っ払われても「出会えてよかった」と言ってのけるその深すぎる優しさに、僕は、返せるものなんてもう何ひとつ持ちあわせていないんだよ。
 ――このまま消えてしまったほうが、ずっと、楽になれる。自分勝手で、ごめん。
「……霞の呼吸、陸ノ型 月の霞消」
 死に際に口を利かれることすら厄介で、これ以上ひとことだって喋らせてたまるかと繰り出した無数の斬撃が、容赦なくその巨体を斬り刻んでゆく。
 着地して、音もなく崩れ去るそれを見遣る。断末魔すら響かない暗がり。ひどく静かな中で足音が静かに近づいて、「無一郎くん」と震える声が僕の名前を呼んだ。
 ……なにも。なにも言えることなんてない。僕も出会えてよかったんだ。迷惑をかけたこと、今までのそっけない態度だって、たくさんのことを謝りたい。くれたものにもしてくれたことにも、あなたの存在に救われていたことにだって、ありがとうを言いたい。けれどもう、優しさを返されることが恐ろしくて。
 振り返ることも歩き出すこともできないままでいると、その瞬間。雷に打たれたような激しい頭痛が襲いかかってきて、耐えきれず僕は崩れおちていた。
「っ、無一郎くん!」
 膝をついた僕に、さくらさんが走り寄ってくる。でもその足音はどこかぎこちなくて……もしかして俺が突き飛ばしたとき、脚かどこかを怪我してしまったのかもしれない。けれどそんな、誰かを心配する余裕がすぐに消え失せるような酷い倦怠感。
 頭が重い。身体もひどく重い。おかしい、どうして、ひとつも攻撃を食らっていないはずなのに。あちこちが痛んでしかたない。さくらさんが、僕を、呼んでる。倒れ込みそうな身体を、支えてくれている。
「……ご、めん」
「なんで、なんで無一郎くんが謝るの」
「……っ、」
「謝らなくて、いいのに」
 だめだよ。どうして、そんなにも、あなたは。
 ……ごめん。ごめんなさい。優しさが痛くて、罵倒される方がずっとよかったって、そんな自分勝手なことを考えてしまう。誰よりも傷ついたはずのさくらさんが、どうして僕にそんなことを言うの。意識が途絶えそうになる強烈な痺れに抗えなくて、途切れ途切れの世界でただ、あなたが僕を呼ぶ声だけが聞こえてくる。……さくらさん。ねえ、さくらさん、お願いだからこれ以上、僕なんかのために泣かないでよ。





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