ちょっとお疲れですか?


 あれから向かったのはオムライス屋さん。「ハイカラだ」とつぶやく無一郎くんと一緒にオムライスを食べて、それからいろいろと雑貨の買い物をした。無一郎くんのお箸とお茶碗とコップ、その後はファストファッションのお店に寄って、まあ、下着類を。少し恥ずかしそうにしていたし、そりゃそうだよなと思いつつ私も妙に照れてしまっていたけど、これはただの消耗品、ちゃんと私が選んであげないときっとわからないでしょう! という謎の責任感のもと、せっせせっせと選んで買って、無事明るいうちに帰路につくことができた。
 両手いっぱいの荷物を抱えて電車に乗ると、そこそこ空いていそうで助かった。網棚にいくつか荷物を乗せてから座席につくと、無一郎くんはひとつ大きなあくびをして、誰もいない向かいの席をぼーっと見つめている。
「あ、疲れちゃった? ごめんね」
「まあ、少し。僕、夜あんまり寝てないから」
「えっ! え、昨夜!?」
「……声大きいよ。そう、昨夜」
 また大声を出してしまいそうになったので、慌てて手で口を押さえ込む。え、寝てない、寝てないって、寝てないってことだよね? 寝てない子を買い物に付き合わせていた私、なんて残酷な人間なの……。
「い、言ってよお、眠れなかったならこんな連れ回さなかったのに」
「僕の意思で寝なかっただけだし、そもそも嫌なら来なかった。お姉さんが気にすることじゃない」
「う、うーん……ていうか、寝なかったって」
 言葉を拾って繰り返すと、無一郎くんはちらりと私を見遣ってから、また視線を前に戻す。やっぱりいまいち感情が読み取れないその表情を見つめていると、その唇がまたゆっくりと動き始めた。
「……鬼のこともあるし、僕が寝てたらまずいと思って」
「わ、私の、ため?」
「ただ僕がそうしたかったからだよ」
「え、ご、ごめんね」
「謝らなくていいってば。それに空が白み始めてから寝てるから、全く寝てない訳じゃない」
 ええ、とまた声を漏らしてしまう。だって、だってこんな子どもと言っていいであろう年齢の子が。夜が明けてからというなら四時間やそこらかな、それぐらいしか眠らないなんて、と震えていると、「鬼殺隊ってそんな感じだし慣れてる」と無一郎くんはなんでもなさそうに言ってのける。
 それきり黙ってしまった無一郎くんは、不規則にゆらゆらと揺れていて、意識を手放しそうになっては起きて、を繰り返しているようだった。本当に、睡眠不足に加えて慣れない環境で、ずいぶん疲れさせてしまったんだろう。
「ほら、もたれかかって寝ていいよ」
「……え、いいよ」
「いいからいいから、うとうとしてるじゃん」
「い、いいって、本当に」
……まあここで押しすぎてもだめかと、「そっかあ」と一言返すだけに留めてから、少し。無一郎くんは腕を組んで、またこくこくと船を漕ぎ始める。
「……無一郎くん?」
 そうして返事がなくなった頃を見計らって、揺れ続ける頭にそっと手を伸ばした。ゆっくり引き寄せて肩にもたれかからせると、無一郎くんは一瞬身動いだけれど、そのまま頭を預けてすうすうと寝息を立て始めたようだった。こっそり息をついて、ただ頭が落っこちないように肩には力を入れたまま。
 ……万が一突然目を覚まされてもいいように。できるだけ顔を傾けずに、目線だけで無一郎くんを覗き込もうと試みる。ちらちらと視線を送り続ける私はちょっと危ない人みたいかもしれないけれど、まあ誰も見てないしいいでしょう。
 大人っぽいなあ、と思わされる無一郎くんだけど、寝顔は年相応でまだまだあどけなかった。長い睫毛ときめ細やかな真っ白い肌、それからまとめた髪から垂れる一筋の黒髪。かたちづくられた影までもが綺麗なコントラストを映し出していて、羨ましいなあなんてぼんやり思う。綺麗な桜色の唇だって何も塗っていないだろうにつやつやで、いや、まって、年端もいかない男の子の顔面の実況はちょっとまずいかもしれない。
 そう思いつつも芸術品のような造形から目が離せなかったわたしは、最寄駅が近づいていたことにギリギリまで気付けなくて。無一郎くんを叩き起こして荷物を引っ掴んで、慌てて電車を飛び降りる羽目になってしまいましたとさ。


 ◇


 二人連れ立って家に帰ってくると、無一郎くんはそのままふらふらとリビングの布団に倒れ込んでしまった。ちなみにそれ、私の布団です。別にいいけど。
「無一郎くーん? おてて洗いなよ?」
「……うん……」
 返事をしつつ、もぞもぞと動いてご丁寧に掛け布団まで被ってしまったので、ああこりゃ起きないなとほうっておくことに決めた。ひとの睡眠を妨げるような大罪を犯す気はない。
 そういえば、こっそりもたれかからせていた事についてのお咎めもなかったし、本当によっぽど疲れていたんだろう。

 買ってきたものの整理でもするかと、とりあえず元彼の服をクローゼットから出す。まあほとんど段ボールに詰め込んでいたのだけど、数着はハンガーにかけっぱなしだったりしたので、それもちょっとだけ丁寧に外して段ボールに放り込む。代わりに買ってきたばかりの無一郎くんの服をせっせとかけて、畳むものは畳んで仕舞う。それからお茶碗だとかを簡単に洗って、一通りの片付けを済ませるとつい「よし!」とわりと大きな声で言ってしまった。はっと口を押さえて、無一郎くんがすうすうと眠り続けていることを横目で確認する。セーフ。
 ざっと部屋を見回す。私の布団で寝息を立てる無一郎くんとか、ちょっと物騒な隊服(洗濯忘れてた)とか、部屋の隅に立て掛けられた刀、とか。さっきも思ったけれど、三日しか経っていないというのに違和感がちっともない。まったく、変な気分だ。それから買い揃えたものたちだとかを見ながら、永住すると決まったわけでもないのになんだか気合を入れ過ぎてしまったなと軽く頭をかいた。
 ……あー、そうだ。永住するわけでもないんだよね。無一郎くんはこの時代の人ではなくて、いつ帰ってしまうかわからなくて。なんかせっかく楽しくなってきたのに、突然いなくなっちゃったら寂しいかも。
「ま、ご飯でも作るか」
 悶々と湧き上がってきた気持ちを打ち消すみたいに、わざと声に出してみる。うん、そうだ、今日は煮物でも作ろうかな。無一郎くんもお腹が空いて起きてくるかもしれないし。お野菜とこんにゃくはあるし、お肉も冷凍してあったはず。
 そうして玄関に並んだふたり分の靴を眺めて、ちょっとだけ笑った。無一郎くんに見られたら「なんでそんな笑い方するの?」って言われてしまいそうな笑い方で。





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