ご試着されますか?


 休日にまで職場の最寄駅にやってくるというのは、絶妙に気分が落ちるけれど。まあこのあたりで一番栄えているのがこの駅で、知っている携帯ショップもこの近辺だし、駅ビルで洋服も買えるし、効率を考えるとこれが最善だ。
 伊達に社畜をやっていないので、万が一帰れなかったとしても、無一郎くん一人ぐらいならギリギリ養えるかもしれない……あ、いや、高校とか行くのなら学費が厳しいか……なんて現実味のないことを考えながらも、とりあえずスマホを契約することにした。安いものを安いプランで、だけど。無一郎くんが最低限の普段使いをするには特に問題ないはずだ。
 携帯ショップの店員さんに、無一郎くんはひとつひとつ動作を教えてもらっている。横でそれをぼーっと聞いていたけれど、なんだか雲行きが怪しい。
「こちらのグリーンのアイコンをタッチしていただいて」
「あいこん……」
「えっと、ええ、タッチしていただいてもいいです……?」
 ……当たり前なんだけど、スマホ周辺はカタカナ語のオンパレードだ。なんだか横から通訳するのもおかしな話だし、「あの、基本動作は私が教えてもいいですか!?」と割り込むと、少し困っていたらしい店員さんも「大丈夫ですよ」と微笑んでくれた。

「……ありがとう、お姉さん」
 連れ立って携帯ショップを出ると、まず初めにお礼を言ってくれる無一郎くんに涙が込み上げる。だめだ、なんかちょっと精神が不安定なのもあって涙腺がかなり緩い。なんとか堪えてから、いーえ、と一言返した。
「スマホデビューおめでとうね」
「……ありがとう」
「あ、ごめん。デビューの意味わかる?」
「わからない」
「あああごめんね。はじめてのスマホおめでとうみたいな意味ね」
「ふうん」
 ちょっと疲れた顔をしているような気がする無一郎くんは、きっとカタカナ語を吸いすぎたんだろう。無一郎くんと話していると、いかに普段の自分がカタカナ語に頼りきっているのか思い知らされる。さっきの店員さんの言葉もこっそり翻訳しようとしてみたけれど、緑の……の次、「アイコン」の部分がダメだ。マーク? シンボル? ダメダメどっちもカタカナ語じゃん。
「山育ちだから」
「ん、え?」
「西洋の言葉にはちょっと疎いかも、ごめん」
「ええ!? いや、いやいや、いいんだよ」
 へえ、山育ちなんだ。隣を澄ました顔で歩く無一郎くんを見ながら、なんかシティボーイに見えるのに意外だなあ、なんて思う。
「ところでどこに向かってるの?」
「あー、服屋さんだよ」
「お姉さん、服買うの?」
「え、無一郎くんの服を買うの」
 僕? と目を丸くする無一郎くんに、そうそうと頷くと、「僕は別に、これと隊服ぐらいあればいいけど」と洋服の胸元を摘み上げている、けれど。
「まあまあ、買わせてよ、私を元気にさせるためと思って」
「もうだいぶ元気そうだけど」
「いや、今にも泣きそうなぐらい沈んでるよ」
「……」
「ごめん黙らないで! 仰る通りかなり元気になりましたので!」
 まったく感情の読めない双眸が、恐ろしいほど静かに私を捉えている。それはほどなくして閉じられて、はあ、と。大袈裟なため息が聞こえた。
「結構さあ、普通に心配してるんだから」
「ご、ごめんなさい……」
 冗談のチョイスを間違えて、少年に怒られて謝る成人女性。実に情けない図である。すると足元を見つめるみたいに歩く無一郎くんが、またゆっくりと口を開いた。
「……なんか、お姉さんって気持ち悪いぐらいお人好しだから」
「え、悪口?」
「そんな人に落ち込まれると後味悪い」
 ちょっと噛み砕くのに時間がかかったけれど、つまり私が元気だと無一郎くんも嬉しいということでよろしいか。「前向きに捉えすぎでしょ」と引いた顔をされたけれど、これが無一郎くんなりの優しさってやつなのかもしれない。やっぱり、根はとってもいい子だ。


 ◇


「なんっでもお似合いになりますね〜!」
 シュッとジャケットを着こなすイケメンお兄さんが、手をモミモミしながらそう言う。自分に向けられたならば「社交辞令でしょうが」と笑い飛ばしてしまいそうな言葉も、この目の前の美少年に向けられているとあれば途端に現実味を帯びる。実際、本当になにを着ても似合うのだから仕方ない。
「えへへそうでしょう、いやー、見てる私も楽しいです」
「……なんでお姉さんが誇らしげなの?」
 試着室の中から私を訝しげに見つめる無一郎くんは、シンプルなビッグシルエットのパーカーがよく似合いすぎている。さっき試着してもらった柄シャツも似合っていたのに、一体なんなんだろうか。贔屓目なしにスタイルも顔もいいだろうし、素材が良ければ系統を選ばないらしい。
「細身でお顔立ちも綺麗ですからね、なんでもお似合いになるんでしょうね」
「あ! 私も今同じこと考えてました! いや〜ほんとにもう」
 無一郎くんの良さを通じて店員さんと意気投合する私を見ながら、当の本人はこれみよがしにため息をついている。
「お姉さん、そろそろ行こうよ」
「あ、うんうん、ごめんね。じゃあお会計しよっか」
 買う服をピックアップして店員さんに預けてから、無一郎くんの着替えを待つ。すでに一軒目で買った服と靴に着替えて歩いていた無一郎くんは、磨けば磨くほど光る原石に違いなかった。元彼チョイスのダサい、あっダサいとか言っちゃった、イマイチな洋服に草履でもまあおかしくはなかったけれど、やはりその道のプロである店員さんにお任せコーディネートしてもらうと輝きは段違いだ。
 そういえば細かいことだけれど、無一郎くんも私も「靴を午後に下ろしてはいけない」という迷信を信じていたので、履いていく際に靴の裏にマジックで跡をつけてもらっていた。無一郎くんの時代には止むを得ず履く際は煤を塗っていたと言っていて、煤! とつい大きな声をあげてしまい嫌な顔をされた。だってとある映画に出てくるススの妖精しか思い出せなくて、ああそうだ、帰ったら無一郎くんと一緒に観ようかな。チョイスとしては間違いない、全世代に刺さる作品だろう。
「着替え終わったよ」
「あ、お疲れ様。お会計しに行こっか」
「うん、……ありがとう」
 いえいえ、と返事をしながら、毎回きちんとお礼が言える無一郎くんに感心する。ああ、育ちがいいってこういうことを言うんだろうな。見習わせていただきたい。
 そうして会計をしていると、店員さんが無一郎くんに「弟くんに洋服買ってくれるなんて、素敵なお姉さんだね」とにこりと笑いかけるから、え、と声を上げて戸惑ってしまった。私たち二人とも。
「……弟とかじゃ」
「あー! うんうんうん! カワイイ弟なので、えへへ、ね、むいくん」
「……」
 うわ、すごい目。勢いでむいくんと呼んでしまったことは後できちんと謝るから、その目はやめて。
 仲良しですね〜なんて言われて曖昧に笑ってから、相変わらず視線は冷たいものの「僕が持つよ」と紙袋を請け負ってくれた無一郎くんと一緒に店を出た。
「無一郎くん、むいくんって呼んでごめんね」
「そこじゃないけど」
「あああ弟ってことにしてごめんね、ほら、成人女性が意味もなく未成年連れ歩いてたら危ないの、ごめんねえ」
「よくわかんないけどもういいから縋り付かないで」
 言われた通りつい掴んでしまっていた腕を離すと、はあ、とため息をつかれてしまって。大して変わらない目線にある無一郎くんの顔をじっと見つめていると、「何?」と返してきたその姿勢は少なくとも極寒ではなくなっていた。
「あ、ううん、なんでも。ねえ、そろそろお昼食べに行く?」
「……行く」
 ……え。これってもしかして、よく少女漫画とかで見る、年下男子の「弟扱いが嫌」みたいな、ちょっとした恋愛フラグだったりするのかな?
 え、待って、どうしよう。私たちまだ出会って三日だし、無一郎くんは私より……いくつだ、十個ぐらい歳下だし、あれ、でも本来は百年前の人だから、遥か年上になるわけだし大丈夫なのかな? なにが大丈夫なの?
 混乱してソワソワしていると、「じゃあさ」と無一郎くんが目を合わせてくるから、どきん、と心臓が跳ねてしまった。
「これから僕は、お姉さんの弟ってことにすればいいんだよね?」
「……あれ」
「何」
「あ、はい、オッケーです」
「そう」
 すたすた歩いていく無一郎くんを「まってよ!」なんて追いかけながら、自分の察しの悪さに少しドンヨリする。少なくとも少女漫画展開的なアレではなさそうなことに変にホッとしつつ、弟、に何か思うところがあったのかな、なんて考えた。そして数日前、混乱のど真ん中で聞いた「兄」の存在に思い当たって、ちょっと軽率だったかもなんて思う。けれど掘り返すのもなんだし、無一郎くんも渋々ながら了承してくれたようだし、当面はこれでいいかと結論づけたのだった。





- ナノ -