明日を溶かす魔法




※年上夢主
※原作+数年




「真冬」
「……」
「まーふーゆ」
 視線の先、スマホ画面には特に興味もない動画がだらだら流れている。ベッドに寝転んで、「ねえ真冬」ってしつこく呼ぶなまえの声をわざと無視して背中を向けたまま、あっちいっててくんねーかな、ってぐちゃぐちゃの心の隅っこで考えた。……今、顔見たくねーし。
「機嫌なおしてよ」
「ムリ」
「真冬ってば」
「……ん」
「ごめんね」
「っ……」
 ……あー、顔見たくねー、はウソ。ほんの少し寂しそうに響いた「ごめんね」に心が揺れて、でもやっぱり、なんだか引っ込みがつかなくて。だって悪いの俺じゃなくてあっちだし、今更あっさりいいよって言うわけにもいかない、っつーか。動画の再生バーは真ん中くらいまで赤くなっていて、けれど内容なんてちっとも頭に残ってない。

 五個も六個も歳が違えば、相手のコミュニティとは交わらないってこと、歳の離れた兄貴がいるからよく知っていた。だから、いくつも歳上のなまえの人間関係なんて俺にはわからなくて、何か言う権利だってない。付き合い出した時からわかっているつもりで、そーゆーもんだから、って自分に言い聞かせてた。……でもさすがに、元々気乗りしないままに送り出した飲み会に男がいたって、そんなこと聞いたらフツーに腹は立つ。
 なにもなかったよ、って言われた。そんなん当たり前じゃんバカだろ。ちょっとしか飲んでないよ、って言われた。酒の量の話じゃねーし。先輩もわたしに彼氏いるの知ってるよ、って、言われたけど。
 ……顔も知らねー“先輩”とやらは、まだギリギリ酒が飲めない俺と違って、やけに楽しそうに帰ってきたなまえと一緒に酒を飲める年齢。年上の男で、ちゃっかり敬われて、こうやってふてくされてどうしようもなくなっている俺なんかより、たぶんずっと“大人”なんだろう。はー、だる。考えんのもめんどくさくなってきた。喉が焼けるような心地がして、もうさすがに泣いたりしなくても、堪えるみたいにぐっと息を止めてしまう。
「ね、あのさ」
 コートを脱いでかけるような音がして、カバンを床に置く音も聞こえてくる。床に物置くのやめてって言ってんのに。座ったのかベッドが軽く軋んで、ああもう、風呂入らずにベッド乗んないでっていつも言ってんのに、さあ。
「どーせ年上がいいんだろ、とか思ってる?」
 なんで真正面から聞くんだよそんなこと。ウンとか言うわけねーじゃん、ほんとさあ。沈黙が肯定みたいになりそうで、なんとか平静を装って「べつに」ってひとこと答えるのがやっとだった。ダサすぎて嫌になる。動画がちょうど終わったのをいいことに、スマホにさっさとロックをかけて「もー寝る。おやすみ」って、毛布を肩まで掛け直した。
「真冬、こっち向いて」
「……寝るからムリ」
「寝ちゃったらこのまま布団入るよ」
 居酒屋帰りの、たばこの煙吸ったままの服で。そんな恐ろしいことを付け足してくるから、ほんの少し葛藤してから、仕方なく「なに」って振り返った。
 後ろから蛍光灯に照らされて影の落ちた目元が、それでも優しくゆるむから、一瞬で心臓が落ち着かなくなった。寝転ぶ俺に目線をあわせるみたいにしゃがみこんで、「やっとこっち見てくれた」なんて言って、目にかかる髪を細い指にそっとよけられる。
「あのね、わたしは真冬がいいよ」
「……は?」
「年上とか年下とか関係なく、わたしは真冬じゃないと嫌」
 ……は。
 真正面から、少しも視線を逸らさずにそんなことを言うから、思いっきり自分の目が泳いでしまうのが嫌でもわかった。慌てて視線を外したって、逃げ場なんてどこにもない。
「……ワケわかんねー」
「ふ、はは、そっか」
 照れ隠しとかそんな高尚なものじゃなく、単なる中身のない悪態を受け止めてあんたが笑うから、やっぱり俺ってガキじゃん、って泣きたくなる。でも、だって、わけわかんねーし。そうやってあれこれ考えてしまう頭とは裏腹に、靄がかかっていた心は少しずつ晴れてきて、いとも簡単に軽くなるそれの単純さに少し苛立ってしまう。
「でも、飲み会のことちゃんと話してなかったのはごめんね。次から先に言うから」
 また伸びてきた手が、撫で付けるみたいに、梳くみたいに髪に触れる。やめてって言いたいのに、妙に心地良くてやめてほしくないって、思う。
「まだムッてしてる」
「してねーから」
「じゃあ、わたしがどれくらい真冬のこと好きか教えてあげよっか」
「……なにいきなり。いいよそーゆーの」
「えーっと……そうだ、好きなとこ挙げてったらいいかな」
「いいって」
「わがままなとこでしょ、素直じゃないとこでしょ、」
「いいって! つかなにそれ、悪口やめてくんね……」
 顔をしかめた俺を見て軽やかに笑って、指先で頬を撫ぜられるその感触にも、ゆったりと心が緩んでゆくような気がしてしまう。
「真冬、起きて」
「……起きてんじゃん」
「ふふ、ちがうよ、起き上がってってこと」
 言葉を借りればたぶん「ムッてしてる」顔のまま、仕方なく身体を起こすと、すかさず飛び込んでくるからとっさに受け止めてしまう。……あーもー、タバコの匂いするし。「シャワー浴びてからにして」って、そう言ってしまいながらも、簡単に突き放したり力を緩めたりする気にはなれなくて。背中にまわされる細い腕も、「えー」って笑い混じりにこぼされる声も、髪の香りも柔らかい温もりも、じわりと染み込んで、ゆるやかになじんで溶けてゆく。
 真冬がいいって、真冬じゃないと嫌って、……そんなの、俺だって。
「じゃ、せっかくだし真冬も一緒にお風呂入る?」
「……もう入ったし」
「いまちょっと迷ったよね」
「もー……さあ、寝るからジャマしないでよ」
 ほんと、いつもペース持ってかれる。ダセーって思うのに、それほど悪い気がしない自分がいるのもずっと落ち着かない。そうして案外あっさり離れたなまえは、「上がってくるまで待っててね」って言い残して風呂に向かってゆくから、わざとらしくため息をこぼしておいた。今日もこうやって、あんたのくれた言い訳に乗っかっている。



prev next
back



- ナノ -