あつめた朝はまだ足りない




「わたし、死ぬなら喜助さんの隣がいい」

 んぐ、と変な音が聞こえて、それは喜助さんが咀嚼していたものを思いきり呑みこんでしまったことによる声で。つい小さく笑ってしまいながら、慌てて湯呑みからお茶を流し込む姿をじっと見つめていた。

「やだなぁ、縁起でもないコト言わないでくださいよ」
「喜助さん縁起とか信じるの?」
「……影響されちゃいましたかねぇ、誰かさんが毎朝見てるナントカ占いに」

 そんな言葉にはっとして、リモコンを操作してチャンネルを合わせる。あぶない、占い見逃すところだった。胸を撫で下ろすわたしに、「なまえサン、死ぬ予定でもあるんスか?」と訊ねて味噌汁をすする喜助さんは、ついさっきの驚きなんかはすっかり忘れてしまった顔をしていた。

「ないですけど」
「そりゃあ良かったっス」
「喜助さんは?」
「アタシ? そりゃあないっスよ」
「ほんとうに?」
「ホントホント」

 ふうん、と言ってたまごやきに箸を伸ばすわたしに、「それが訊きたかったんスか?」なんて言う喜助さんの言葉は、疑問の形こそとっているけれどほぼ確認作業のようなものだった。「そうですよ」観念したみたいに答えて、たまごやきを口に入れて、咀嚼して、飲みこんで。

「喜助さん、ふつうの訊きかたじゃなにも言ってくれないから」

 こんなの。まるで子どもだ。取り消せない出て行った言葉の、あまりの幼さに嫌気が差す。もう何年生きたのか数えるのも億劫なくらいなのに、喜助さんのことになるとまるでだめだった。気付けば何十年と現世でのんびり暮らしていて、瀞霊廷のぴんと張った空気から離れているせいだろうか。あのころはもっと、わたしはきちんとしていた気がする。……いや、きっとそんなの関係ないんだろう。喜助さんだから、だ。何年経とうと、ままならないものなのかもしれない。

「……相変わらず、かぁわいい拗ねかたしますねぇ」
「拗ねてないよ」
「まあまあ」
「はぁ、なんで楽しそうなのかなぁ」

 真面目に取り合ってくれなくて、喜助さんのペースに呑まれてしまうのはいつものこと。触れられたくない部分なのだ、きっと。――そうして。気が沈んでしまいそうなことから目を逸らすために、「ごちそうさま」と手を合わせてさっさとこの場を去ってしまおうとするわたしの、空の茶碗を持ちかけた手を握ったのは。まだ寝起きのぬくもりが残る、喜助さんの手だった。

「怒んないで」
「……怒ってはない、けど」
「拗ねてる?」
「もうそれでいいよ」

 ふふ、と笑われて、なんだか力が抜けてしまった。立ちあがろうとしていたのをやめてしまうと、喜助さんもそれを察したのか握る力をゆるめる。けれど、離しはしないまま。

「頼りないとか、そんなことは思ってないんスよ」

 ……いつも通り。見透かされて、先回りするみたいにかけてくれる言葉はとびきり優しくて。けれど、さみしかった。浦原隊長と、彼を慕うわたしの間にある隔たりは、きっと何年、何十年経っても変わらないままなのだと思わされるようで。

「わかって、ます」
「……ただ」
「……ただ?」
「ボクが、アナタに寄りかかりたくないだけだ」

 なにかに耐えるような、ちいさな声だった。「いいのに」とすぐにこぼれた言葉は、心からのものだった。だって、それでも、いいのに。起こるトラブルはいつだって大規模で、現れる敵はいつだって屈強なこの空座町で、遠い昔にただの席官だっただけのわたしができることなんて無いに等しい。迂闊に出て行ったって犬死にするだけで、守られてばかりなのはもう仕方ない。でも、それでも。喜助さんのための存在に、わたしはなりたかった。

「喜助さんは……寄りかかってなさすぎると思います」
「そうですかねぇ」
「そうだよ」

 喜助さんはすこし考えるような素振りをして、それから。ぱん、と手を叩いたかと思うと、「じゃ、代わりにアタシの食器下げといてください」なんて笑ってみせるから、大袈裟すぎるくらいのため息が身体の奥から出て行った。

「もう……はいはい、下げますけど」
「どうも」

 いつだってほんのちょっとずつしか本音が聞けなくて、まあ今日はすこし溢してくれたからいい方かもしれない、なんて思って。食器に手を伸ばしつつ立ちあがろうとすると、その手がまた止められてしまう。これは、デジャヴ、ってやつ。

「いいんスよ、なまえさんは。そのままで」

 うまく言葉を返せなくて、口をつぐむ。「いつも通りでいてほしいんス」そう続けられて、わたしはいよいよ何も言えなくなっていた。

「あ、それから」

 ぎし、と畳が軋んで、喜助さんが立ち上がる。ああ、わたしが先に部屋を出ようと思ってたのに。よいしょ、なんて掛け声つきで立ち上がった喜助さんが、へにゃりと笑いながら言った。

「死ぬのは、ボクがいなくなってからにしてくださいね」
「……ちょっと、喜助さん!」

 とん、とん、とん、とすん。足音と、ふすまの閉まる音が通り過ぎて、ひとり残されたわたしの周りはひどく静かだった。わたしの制止も無視して逃げるように出て行ってしまった喜助さんは、きっとまた部屋にこもってしまうんだろう。
 なにも、出まかせではなかったのに。喜助さんにひとりで死んでほしくなくて、それならわたしも同じ場所で手を握って命を終えたくて、だからあれは紛れもない本心だった。わたしは愛されていて、痛いほどわかっていて、けれどもっとわたしもあなたを愛したいのだ。届けきれない想いともどかしさが、ぐるぐると渦を巻いている。




20221029






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