平行線の交わり方
※現パロ(駅員さん)
「ちらりと横目遣い」のつづきです。
今日も暑い。
その暑さがいっそう辛くなるのは、浦原さんがいないからだろう。
新しい駅員さんは、綺麗な金髪もすらりとした長身も、浦原さんと同じ。
それなのに、浦原さんじゃない。
「おはようさん、おおきに」
話し方や笑顔も違う。
親しみやすそうだとは思うが、あの間延びした優しい声が聞けないだけで、ここ数週間は毎日がつまらなかった。
電車に揺られながら、ぼーっと扇風機の風を受けても、気分は晴れそうになかった。
「おお、喜助か?」
夕方だというのに沈む気配のない太陽を見ても、夏だなあという人並みの感想しか浮かばない。
前までは、こんな暑い日だからポニーテールだろう、などと髪型の違いなんかを予想するのが、楽しくて仕方なかったのに。
そんな時に鳴った携帯電話を睨み、嫌々電話を取ると、勤務中のはずの男の声がした。
「…仕事中っスよ、平子サン」
「ええやないか、客おらんくてヒマやねん」
「怒られますよ」
「それより、オマエも仕事中やろ」
その通り、ただ単に担当の駅が変わったという話で、自分も仕事に変わりはない。
「じゃあ尚更、なんで電話してきたんスか」
「なんや、冷たいなァ…冷たいっちゅうか、えらいイライラしてるやないか」
「…別に、そんなつもりはないっスけど」
目の前に誰がいるわけでもなく、相手に顔を見せるわけでもないのに、ばつが悪くなったボクは目線を下に向けた。
「大アリや。この前まではずーっとニヤニヤしとったくせになァ」
「………だって、もう会えないじゃないスか」
ぼそりと呟くと、しばし沈黙が訪れる。
改札を通るときに揺れる髪と、そこから見え隠れする白い肌と可憐な横顔。
ほとんど話したこともなければ、目すら合わせたことも少ないけど、ずっと見つめていたあの子。
どうしてこんなに惹かれるのかわからないが、毎日見つめていたのに会えないというのが、堪らなく苦しい。
でも高校生ということは、無論年下だ。
…犯罪とかにならないスかね。
「ホンマに、ウジウジしよって、腹立つわァ」
はあー、と彼の長い長いため息を聞きながら、同じようにため息をつく。
だって、ボクは駅員で、彼女はお客さんで、それ以上はないわけで。
どこかで聞いた話のように、先生と生徒でもなければ、店員と常連でもない。
自分の勝手な感情で、舞い上がってはいけないと思う。
「そや、なんで電話したんか聞けへんのか?」
「…聞きましたよ、既に」
「そうやったか?」
スマンスマン、と謝罪する気の感じられない言葉は耳を通り抜け、何処かへ消える。
ああ、ズルいなあ、平子サンはほぼ毎日あの子を見てるんスね。
「オマエんとこの駅もどうせ人おらんのやろ。暇やし交代するかァ」
「…ハイ?」
気の抜けた声で発せられた滅茶苦茶な提案に、思わずボクまで気の抜けた声を上げてしまう。
「まあぶっちゃけ今まで無人やったんやから、駅員なんかちょっとぐらいおらんくてもええわ。今からそっち向かうから、喜助もこっち来て交代や」
「ちょ、平子サン」
「なんやねん」
「バレたら大目玉っスよ」
はあー、とまた彼はため息をつく。
彼の言葉通り、暇だ。電車は滅多に来ない。
本当にボクが気にしているのは、駅のことでも、怒られることでもなくて…。
「喜助、お前なァ……頭ええのに、なんで嘘ついたり取り繕うんはヘタやねん」
「…お見通しっスか」
「当たり前やろ」
参りました、と小さく呟くと、電話の向こうでくすりと笑った気配がした。
「…セーラー服の子やろ?寂しそうな顔してるで、彼女」
「……え、」
「まァ、想像に任せるわ」
じゃあそっち向かうで、という声と共に、ぷつりと切られた電話をしばらく見つめていたが、はっと我に返って時計を見る。
彼女がいつも学校帰りに乗っている電車が来るまで、あと30分。
車を飛ばせば十分間に合う。
キーを人差し指にかけて、小走りで駅を出た。
「…暑い」
もう夕方なのに、どうしてこんなにも日が高くて暑いんだ。
結んでこればよかった、と髪の毛を一撫ですると、扇風機の風が整えた髪を乱す。
いつも通りの電車の音、いつも通りの町並み。
このまま電車を降りたら、いつも通り、浦原さんがいればいいのに。
「ばかみたい」
たった数ヶ月、そこにいただけなのに。
たった数週間、会えていないだけなのに、どうしてこんなにも執着しているんだろう。
お気に入りの本に、しおり替わりにしているあの回数券を挟んでから、ぱたんと閉じて、立ち上がる。
あの日が最後に話せた日だった。
勇気を出して、もう一度お礼を言えていたら、もう少しでも仲良くなれていただろうか。
ぶんぶんと首を振って、電車をゆっくり降りた。
眩しい太陽に目が眩みそうになった私を我に返らせたのは、恋い焦がれた色だった。
「…浦原、さん…?」
焦りのあまり、私はきゅっと目をつぶった。
いや、きっと考え過ぎていたから、幻が見えるんだ。
それか、この暑さで頭がパンクしてしまっているんだ。
「…おかえりなさい」
優しいその声に目を開けると、いつも通りに微笑んだ浦原さんがいた。
駅員のトレードマークである帽子はなくて、少し息が上がっている。
でも、間違いなく、浦原さんだ。
図らずも涙が私の頬を零れ落ちると、浦原さんは私の髪をそっと撫でた。
「…情けないっスね、ボクは…こんなときに、名前すら呼んであげられない」
悲しそうに瞳を伏せる彼に、もつれる舌を必死に動かして、名前を告げた。
「…なまえ、です…みょうじなまえっていいます」
「なまえサン…いい名前だ」
目を細めて私を見る浦原さんが、なんだか幻のようで、涙は止まってくれない。
でもきっと、髪をなでるこの手の感触は、幻なんかじゃない。
「どうしても、もう一度だけでも、アナタに会いたかったんスよ」
「っ…、はい…」
「…ちゃんとお別れもしないままじゃ、ダメだと思って」
「…お別れ?」
涙に濡れた目を浦原さんに向けると、もう笑ってはいなかった。
「ボクはもうここの担当じゃないんスよ」
「…知ってます」
「いきなり変えられてしまったから、少しお話したことがあったなまえサンにも、何も言えないままで…」
ああそうか。
なにを自惚れていたんだろう、と我に返った。
やっぱり、浦原さんは駅員さん、私は少し仲のいい程度のお客さん。
それ以上かと一瞬期待した私が、馬鹿だっただけで。
「そんなの、気にしなくても、良かったのに」
「…スミマセン、迷惑でしたか?」
「迷惑だなんて、」
息が詰まる。喉に何かがつっかえていた。
「…なまえサン?」
カバンから本を取り出して、券を抜き取った。
大事にしていたから、まだ綺麗だ。
読んでいたページなんて、もうどうでもよかった。
「お返しします」
「え、これ、」
「もう、私には…必要ないものなので」
浦原さんが受け取ったのを確認してから、頭を下げて背中を向けた。
これをもらった時も、今こうして会えた時も、少し特別だと期待していた。
でも、厚い壁はそう簡単に壊れない。
「…ありがとうございました」
数歩進んだところで、息が止まった。
「…待って」
耳元で、浦原さんの声がする。
肩に重みを感じて、浦原さんの腕が回されていることに気づいた。
「なんで、こんな…こんなもの、大事に持ってるんスか…」
浦原さんの悲しそうな声を聞いた途端、一気に涙が溢れてきた。
頬を伝った涙は、彼の腕も濡らした。
「浦原さんにとっては、何気ないものでも…私にとっては、宝物なんです」
そう告げると、肩が軽くなった。
戸惑う間もなく肩を掴まれ、背中を向けていた彼と向かい合う形にされる。
「…いらないっスよ、こんなの」
びり、と音を立てて、小さな券が破られた。
それは風に乗って、線路の向こうへ飛んでいく。
「あ…」
ちっぽけな宝物の行方を見届ける前に、浦原さんに視界を遮られた。
また息が止まる。今度は、浦原さんの香りに包まれて。
「あんなのなくても、ボクが…傍にいてあげますから」
「…浦原さん、」
胸の奥が狭くなるような、不思議な感覚に襲われる。
浦原さんの腕の力が強まって、私も浦原さんのシャツを握る手に力を込めた。
「自惚れちゃいけないと思って、最後に一目会うつもりで来ました…でも」
体を少し離して、彼は私に目を合わせた。
綺麗なグレーの瞳が、私の滲んだ瞳をまっすぐに見つめている。
「自惚れていいんスよね、…ボクも、なまえサンが、好きです」
「…ほんと、ですか」
「こんな嘘、つけないっスよ…いつも、見てましたから」
眉を下げて笑った浦原さんの顔を写した視界が、また歪む。
思ったより、私は泣き虫だったみたいだ。
「浦原さん、」
「…喜助、と、呼んでください」
喜助さん。
ずっとずっと知りたかったこの人の名前は、今まで聞いてきたどんな言葉よりも美しく思えた。
「…喜助、さん」
「やり直し。声が小さいっスよ」
いたずらっ子のようなその笑みにときめきつつ、恨めしそうに彼を睨んでやったが、効果はないようだ。
「…き…喜助、さん」
「もう一回」
「え、どうして」
合格だと思ったのに。
目を見開いて喜助さんを見つめると、彼はまた眉を下げた。
「ボクが呼んでほしいからっスよ、…なまえサン」
そう言った喜助さんは、また私を抱きしめた。
ダメだ、こんなに、幸せなんて。
「…喜助さん」
「はい」
「喜助、さん」
「…なまえサン」
ありがとうございます、と小さく呟くと、喜助さんが笑った気配がした。
「担当の場所が変わったって、これからは一緒にいられますよ」
突飛な初恋が、叶った瞬間だった。
「平子サン…」
「なんや?…まさか、振られたんか?」
「いや、全くそんなことはないっスよ、むしろ大成功っス」
「よかったやんけ、なんでそない死にそうなカオしてんねん…」
「…女子高生相手に…ボクの理性が、いつまで持つか…という問題が…できてしまったんスよ…」
「喜助、お前なァ…エエ年して男子高校生みたいなこと言うなや…」
20150801
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