足りない色をきみにあげる




好意には鈍感だよねと、友達に言われたことがある。
でも、ああこの人私のこと好きじゃないな、とか、マイナスな感情にはやけに敏感なのだ、私は。
それで損をしたことは山ほどあるが、得をしたことといえばはっきりとはわからない。
強いて言うなら、こういうことを予期して、心の準備ができることぐらいだろうか。

「なまえ、話がある」

久しぶりに聞く電話越しの声でそう私に告げた悠馬は、思い返せばよそよそしかった気がする。
高校が離れてしまって、その上入学したてでお互い忙しく、ここ2ヶ月ぐらいまともに会えていなくて、悠馬の邪魔をしちゃいけない、と遠慮して連絡もしなかった私は、ついに愛想を尽かされてしまったのだろう。
もちろん悲しいが、これはきっと、また私が退いてしまったからだ。
悠馬はこんなにも優しいのに、私は愛されている自信が持てなくて、悠馬の前ではなんだかいつもぎこちなくなってしまう。
友達の前でなら言える冗談も、悠馬を前にすると全て喉に痞えて、笑うことすらできなくなる。
こう言えば、こんな表情をすれば、嫌われてしまうんじゃないか、なんて、自分でも呆れるほどにネガティブだ。

「…なまえ?聞いてる?」

「う、うん、聞いてる」

「いつなら空いてる?」

空いてないよ、と言えば結論は先延ばしになるかもしれない。
これほどまでに自信が持てないのに、私なんかの元に繋ぎとめておきたいなんて、我儘にもほどがあるし、悠馬にも失礼、なのに。

「…早いほうがいいなら、明日とか…かな」

「わかった。じゃあ明日、学校終わったらいつものカフェでいい?」

「うん」

電話を切ってから、ぼんやりと考えた。
その『いつものカフェ』で、私は悠馬に笑いかけれていたんだろうか。
いつだってちゃんと話せない。ちゃんと笑えない。
そりゃ悠馬も嫌になるだろうな、と自分を少しだけ嘲笑った。









同じ学校に行ったメグちゃんに、悠馬が学級委員をしていることは聞いていた。
だから悠馬は遅くなるだろうと思っていたが、カフェに向かう途中で「着いたから待ってる」というメッセージを見て、私は足を早めた。

「ごめん、遅くなって」

なんだか久しぶりに見る気がするその触角が、ぼやけて見えた。

「大丈夫、俺が急ぎすぎたかも」

「…悠馬、委員会してるって聞いて、遅くなるかなって思ったから、ゆっくり来ちゃった」

「今日は休んできたよ、なまえとの約束があるし」

どこか合わせるのを躊躇っていた視線を驚きのあまり合わせると、悠馬は優しく微笑んでいた。
いつも悠馬はこうやって笑うのに、たぶん私はうまく笑えない。今も。

「あれ?俺、学級委員してること言ったっけ?」

「…ごめん、メグちゃんに聞いた」

「あー、片岡か。って、謝らなくても」
「ご、ごめん」

少し居心地悪い沈黙に包まれて、俯かずにはいられなかった。
私から、切り出すべきなんだろうか。
電話だと顔が見えなくてはっきりとはわからなかったが、今の悠馬の表情からは、マイナスの感情が感じ取れなくて、少しだけ戸惑った。

「…話って、なんだった?」

「話?…ああ、」

なんのこと?みたいな顔をした悠馬は、慌てた様子で表情を引き締める。
それにつられて私の表情も引き締まって、また少し沈黙が訪れる。

「…別に、何も」

「…え?」

「…だから、特に話はありません」

「えーっと…」

意味わかんない、友達相手だったらそう笑い飛ばせるのにそれができなくて、顔を引きつらせていると、悠馬の焦った声が耳に届く。

「ごめん、変な嘘ついて悪かったから怒んなよ、なまえ」

なにか勘違いしているらしい悠馬の誤解を解くために顔の前でぶんぶん手を振ると、少し悠馬の表情が緩んだ。

「お、怒ってないよ、怒ってないけど…なんで…?」

あー、とか、うーん、とか唸りながら頬を掻いている悠馬を見つめていると、ばちりと目が合って、思わず逸らしてしまう。

「なまえに、会いたいなーと思って…」

どきりと跳ねた心臓を押さえようと、思わず胸に手を当ててしまってから、慌てて手を下げた。
どんどん顔も体も熱くなっていって、悠馬の顔が見られなくて、返事もできなかった。

「…ごめん、迷惑だった?」

心配そうに声をかけてくる悠馬に、なにか答えなきゃと思ったが、頭がこんがらがってしまって悠馬を安心させる余裕はできなかった。
悠馬は私のこと好きじゃなくなっちゃったんだと思ってたのに、なんで。

「な、なんで…私、悠馬に、嫌われたと、」

「なんではこっちの台詞だろ…なんで、そうなるんだよ」

目を合わせられなくて俯いていると、なまえ、と名前を呼ばれる。
黙りこくっていると、顔を上げろと言わんばかりに頬に手を当てられて、そんなことにもどきどきしてしまう。

「…私が…私がこんなんだから」

「こんなん…って?」

「悠馬のこと楽しませてあげられないし、なんか…いつもネガティブだし、あと…うまく笑えない…」

なんて言えば伝わるのかわからなくて、支離滅裂な説明しかできない自分が嫌になる。

「俺は楽しいよ。なまえと一緒にいて」

思わず、え、と声が出た。
目を瞬かせる私を見て、悠馬が頬に添えていた手を離した。

「ネガティブなのは確かにそうかもな。でも、別に悪いことじゃないだろ」

「…そう、かな」

「あと、うまく笑えてないなんてこと、全然ないよ」

悠馬はそう言って笑うと、私の頭に手を置いた。
ひとつひとつ解決してくれようとしてくれる悠馬の優しさに、涙が出そうだったが、ぐっと堪える。

「俺、なまえの笑った顔、好き」

頭に置かれた手がゆっくりと動いて、もう限界だった。
ぽたり、木製のテーブルに雫が何滴も落ちて、止められなかった。

「…っ、ごめ、」

「外、出よっか」

悠馬に手を引かれて店を出ると、初夏の生ぬるい風が頬を撫でる。
手の甲で涙をぬぐいながら、必死に早歩きの悠馬に合わせた。

「ほら、なまえ、座って」

どこかの公園のベンチに座らされて、その隣に悠馬が腰掛ける。
いまだに泣き続ける私を、悠馬はゆっくりと撫でた。

「…ごめんな、最近、忙しくて…不安だったよな」

俯いたまま、ぶんぶんと首を振る。
ちがうよ、悠馬は悪くない。私が後ろ向きだから、そう言おうとしたのに、出て来るのは情けない嗚咽だけだった。

「…片岡にさ、怒られたんだ。なまえが不安がってる、泣かせたら私が許さないって」

その名前を聞いて、どこまで聞いたんだろうと少しだけ背筋がひやりとした。
近頃の相談相手といえば、専らメグちゃんだった。
中学のころから仲良くしていたし、頼りがいがあるし、なにより悠馬のことをよく知っていて。
それに加えて、高校での様子も教えてくれないかな、なんて思って相談していたというのもある。
最近は、悠馬に嫌われたかも、という愚痴のようなものばかり。
呆れずに聞いてくれるメグちゃんに甘えてしまって、相当ネガティブなことまで言ってしまった。
もうすぐ振られそう、とか、振られるぐらいなら私から言っちゃおうかな、とか。
それを聞いたメグちゃんは、私は磯貝くんじゃないから断言はできないけど、彼のこと信じてみたほうがきっと後悔はしないよ、と言ってくれて。
だから少しだけ我慢しようって決めて、今日まで悠馬の言葉を待った。

「俺も…正直、不安だった。なまえは俺の前でだけ元気がないし、無理して付き合ってるのかもって」

「ち、がうよ、」

「大丈夫、わかってるよ」

思った以上にうまく声が出なくて、無理してしゃべらなくていいからとまた悠馬に頭を撫でられた。

「緊張して話せないってなまえが言ってたって、片岡に聞いたんだ。…あいつの話ばっかで悪いけど、さ」

「…うん、」

「なまえは自分に自信がないのかもしれない、とも言ってて…じゃあ俺が安心させてあげたいな、って…」

メグちゃんは上手く伝えてくれたみたいで、その証拠に今こうして悠馬は私を理解してくれようとしている。
後でしっかりお礼を言おうと決意してから、私はゆっくり深呼吸した。
息を吸うたび何度か喉がひくりと鳴った。

「ごめんね、悠馬、ごめん」

先程まで喉につっかえていた何かが謝罪と一緒に抜け落ちて、声がすらすらと零れ出た。
たくさん嘘もついてきたし、たくさん逃げてきた。
でももう逃げたくないと思った。
悠馬が好きな気持ちは本当で、言い訳をして逃げたら、もう私は一生私に戻れない。

「…私、いつも、自信持てなくて」

ぎゅっとスカートを握ると、その手を悠馬の手に包み込まれて、少しだけ顔が熱くなった。

「悠馬に嫌われることを、いつも怖がってて」

「…うん」

「だから、なんていうか…自分を隠して、悠馬から、逃げてた…」

ぽろりとまた零れた涙を、悠馬の指がそっと拭ってくれた。
それだけで、止まりそうになる言葉を、震えながらでも継ぐ勇気が出た。

「私、たぶん、そんな自分が嫌いだった。それで、それを…私が嫌いだっていうのを、悠馬にも押し付けてて…」

「なまえ…」

「思い込みで決めつけて、悠馬のこと、いっぱい困らせた…本当に、ごめんね」

いつからか、私は自己否定ばかりだった。
椚ヶ丘に入ってからかもしれない。
自分のちっぽけなプライドはこの学校では何にもならなくて、ボロボロに割れたプライドをかき集めて、本当の自分を隠すために何の役にも立たない壁を築いた。
結局のところ、私はプライドが高かったんだ。
情けない自分を見られたくなくて、隠すのに必死で、自己嫌悪に陥って。
それなのに悠馬は優しくて、暖かくて、こんな暗くて冷たい私に、悠馬は釣り合わないと思った。
だから、好かれるはずがないって、決めつけた。
自分が嫌いなのに自己中心的な考え方をしていて、なんて自分勝手なことをしていたんだとまた苦しくなった。

「困ってないよ、なまえ」

ほら、また悠馬は暖かく笑う。
こんな人、きっと私には釣り合わないのに。

「どれだけなまえがなまえを嫌いでも、俺がなまえを好きなことには変わりないから、ね」

日の傾いた公園で、柔らかく、でもしっかりと抱きしめられる。
さっきまでの生ぬるさは消えて、涼しい風が一筋通り抜けた。
薄い壁が崩れて、悠馬の暖かさで溶けた。

「ゆっくりでいいから、なまえもなまえを好きになってほしいんだ、俺は」

「ゆ、うま、」

「それまで、ちゃんと隣にいるから。なまえが自信を取り戻すまで、ずっと…いや、それからも、ずっと」

こんな下らないもの、さらさらに溶けて蒸発してしまえばいい。
悠馬の腕の中で何度も頷いて、うわごとのように名前を呼んだ。
その全てに返事をしてくれる悠馬にお礼を言うのは、もう少し後でいいと思ってしまう。
それほどまでにこの時間は幸福で、終わらせたくないものだった。



title:largo


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