朱に交われば




 

 こんなに大変だと思わなかった、というのが今の気持ちだった。興味本位で文化祭実行委員なんかに立候補してしまった私は、放課後の教室でひとりため息をついた。
 椚ヶ丘高校、1年C組。そこまでクラスで目立つ方でもない私だけど、はじめての高校の文化祭が本当に楽しみで、中心になってやってみたい!なんて気持ちが抑えきれないままに、手を挙げてしまった、のだけど。
 案を出すのも、おもしろいことを考えるのだって大好きだ。けれど人前に立つのはすこし苦手で。先ほど五限目に設けられた文化祭のための話し合い時間は、私が中心になって進めないといけなかったのに。緊張してしまって、うまく取りまとめられないままに終わってしまった。


「はあー……」


 大袈裟なため息をつくと同時に、「すっげーため息」なんて声が突然飛んできて、思い切り肩を震わせてしまった。振り返ると、目に入ったのは赤色。つい目を細めると「ビビりすぎじゃね?」と笑われてしまった。


「……なんだ、あかばねくんか」


 赤羽カルマくん。私の後ろの席の男の子で、よくちょっかいをかけてくるやつ。帰宅してから背中に「私は日本史のテスト53点です」と書かれた付箋が貼られていた事に気付いて、次の日文句を言ったら「気付かない方が悪いんじゃん」と笑われてしまったのは記憶に新しい。
 かばんはいつもぺったんこで、遅刻ぎりぎりに来て放課後はすぐ帰る赤羽くんがこんな時間まで学校にいるなんて、どうしたんだろうか。スリッパをぺたぺた鳴らしながら近づいてくる赤羽くんを見ていると、彼は空になったらしいジュースのパックを軽い動きで放り投げた。つい目で追ってしまうとそれはまるで、ゴミ箱が自ら吸い込んだみたいに綺麗に入っていった。


「ふーん。いろいろ考えてんじゃん」
「え? ……あ、ちょっと!」
「いーじゃん、減るもんじゃないんだし」


 私が紙パックシュートに感動している間に、赤羽くんは机の上に置かれたプリントを取り上げてまじまじと見つめていた。ざっくり「カフェがやりたい」というところまで、なんとかクラスの意見をまとめて。まあ裏を返せば、そこまでしかまとめられなかった不甲斐なさを感じながら、ひとりであれこれ案を練っていたところだった。


「なんも考えてないのかと思ってた」
「そ、そんなわけないじゃん!」
「はいはい」


 飄々とした調子で軽く笑ってから、赤羽くんは私の前の席の椅子を引いた。腰掛けてから私が使っている机に肘を乗せるから、つい「なにしてるの?」と首を傾げてしまう。その質問には答えないまま、「いちご煮オレいる?」なんてどこからともなく紙パックを出してくるから、「いりません」と答えておいた。完全に食わず嫌いなんだけど、あんまり飲む気しないし。
 ストローを挿す音が、秋風が揺れる教室に響く。「飲んでみればいいのに」とひとこと溢してから、赤羽くんはピンク色を吸い上げた。


「どんな味するの?」
「いちご煮オレの味」
「赤羽くんにきいた私がバカでした」
「バカ、ねえ。こないだは自分のテストの点、背中に貼って電車乗ってたしね」


 つい口がへの字になるのを感じながら、赤羽くんはこれ以上は私をからかう気しかないのだと判断した。返事もせず、教室の装飾のイラストを書き上げてしまおうとシャーペンを握る。でもやたらと視線を感じて顔を上げると、赤羽くんは案の定こちらをじっと見ていた。


「……そういえば、赤羽くんは何しに来たの?」
「んー? ……べつに」


 がたん、がたん、赤羽くんが椅子を揺らす。「気散るから帰ってよ」と小さく呟くと、「思ってないくせに」なんて言う。

 赤羽くんのことが、私は羨ましかった。
 人との距離感をはかりかねて、いろいろなことを上手くこなせない私を軽く横目で見ながら、赤羽くんは全部やってのける。もちろん、努力しているのも知っている。だから彼は成績がいいけれど、でもこんなカリスマ性なんてものはきっと生まれつきのもので、赤羽くんは持っていて私は持っていないのだ。
 口に出すつもりなんかなかったのに、「いいな、赤羽くんは」とついこぼしてしまう。すかさず拾い上げて「なにが」と訊いてくる赤羽くんは、いちご煮オレのパックをじっと見つめている。


「赤羽くんは、できることがたくさんあって良いな」
「そー?」
「……うん。私はなんもできないから」


 持っていたシャーペンを、軽く机に転がす。いくら一人であれこれ考えたって、上手くまとめられなければおんなじだ。けれど、つこうとしたため息は「あるじゃん、できること」なんて言葉に止められた。


「もっと自信持てば」
「……むりだよ」
「無理じゃないって」


 強めの語気に顔を上げてしまうと、赤羽くんは至って真剣な顔をしていた。いつだってどこかへらへらした調子のひとなのに、その瞳はあまりにまっすぐだ。


「だって俺は、あんたのこういうとこ嫌いじゃない」
「……こういう、ところって?」
「はあ? 言わせんの?」


 ちょっと赤羽くんの声が上擦って、ほんの少し怖かった、けれど。小さくうなずくと、大袈裟なため息が聞こえた。


「……ちゃんと、自分にできること探してやってんじゃん。それで良いんじゃね?」
「で、も……」
「ニガテなとこは人の力借りたらいーじゃん。肩に力入りすぎなんだって」


 言い方は、どこか投げやりだ。けれどその言葉たちは、その場しのぎや出まかせなんかじゃないと思った。じわりと染み込むみたいに入ってきて、凍りかけていた心を溶かしにかかってくるような。
 どうしてだろう。赤羽くんは努力次第でなんでもできて、私みたいなちっぽけな存在とはまるで違うと思っていたのに。やけに説得力のあるその言葉たちと、寄り添ってもらえた嬉しさ。意思に反して熱くなる目頭をごまかしながら、ゆっくりゆっくり息を吐いた。


「赤羽くん、優しい、ね」
「……俺だって暇じゃないから、誰にでもアドバイスしてやるわけじゃないよ」
「……どういうこと?」
「いーよ、わかんなくてさ」


 「もうちょっとバカでいてよ」と、そう付け足された言葉につい眉間にシワが寄る。ちょっと良いこと言ったかと思えば、こいつは。

 でもきっと、赤羽くんの言う通りなんだ。中高一貫の名門校での日々は、自分の力で戦うことを求められ続けていて。私はすっかり誰かに頼ることを忘れていた気がする。


「赤羽くん、ありがと」
「いーえ。ま、お礼なら俺の先生に言ってよ」
「先生?」
「そ。恩師」


 そう答えた赤羽くんはどことなく、ほんのちょっと寂しそうで、詮索することなく「わかったよ」と答えると、彼はそのまま口角を上げた。


「じゃあさっそく頼ります」
「ん?」
「赤羽くん。次の話し合い、いっしょに前に立ってよ」
「は? やだ」


 即答した彼と、おねがい!やだよ!頼むから!他のやつに頼んでくんない!?なんて言い合いをしながら、ゆっくり心が暖まっていくのを感じる。突っぱねてしまったいちごオレも、飲んでみようかな、なんて思ってしまっている。
 
 かっこよくてスマートで、ひとをさらりと助けてしまって、でもこうやってかわいいところもあって。そんな赤羽くんに、左胸がくすぐったくなるような気さえしてくるんだ。
 


 もしもし。赤羽くんの大切な先生、ありがとうございます。今日の、すてきな赤羽くんをつくってくれて。



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