ただ美しいだけの昼下がり




※「愛を語れる世界で待ってて」つづき



今だってあの日の事は忘れられなかった。
昔から銀時は約束を守らなかった。
遊ぶ時間を決めても時間通りに来ることの方が珍しいし、それに晋助も小太郎も困っていたような気がする。
それでも私は銀時と遊ぶのをやめたいと思わなかったし、実際彼を待った。
思えば、初恋だったのかもしれない。


「はつこい、ね」


あれから年月を経て、私も大人になった。と思う。
江戸の隅で小さなスナックを営みながら、細細と暮らしていた。
何度か恋もしたが、うまくいかなかった。
このままあの人の思い出を抱えながら独り身で死ぬのも悪くないかな、なんて柄にもなく考えたりもした。
約束破りの彼はきっと私とした約束は守ってはくれないのだろう。
もしかしたら死んでいるかもしれないし、百に一つも私には会いに来てくれないと思う。
いつも堂々巡りの思考は、考えたって無駄なのに、いかんせん暇になると私の脳内を占拠してしまう。
ため息をつきながらグラスを拭きあげると、扉が控えめに開いて、カランカラン、と音を立てた。
顔だけ覗かせた、眼鏡の男の子と目が合った。


「あ、うち、夜しか営業してなくて」
「あ、いやいやすみません、ちょっとお話を伺いたいんですけど」
「お話?」
「はい。僕らかぶき町で万事屋をしてまして、ちょっと調査にご協力いただきたくて」


その少年が「僕ら」と言ったとおり、もう少し広く開いた扉からひょっこりとチャイナ服の少女が顔を覗かせた。
二人とも可愛らしくて、こんな歳から万事屋なんて職業大変だろうな、と頭の隅で考えた。


「そうでしたか。どうぞお入りください」


微笑み返すと、二人は嬉しそうに笑った。
カウンターに座ってもらい、お茶とお菓子を出すと遠慮されたが、押し切って本題を尋ねた。
なにやら酒癖の悪い男性が、いろいろな飲み屋をまわっているうちに結婚指輪をなくしてしまったとかで、探してほしいという依頼が来たんだとか。
かぶき町の飲み屋はまわり尽くしてしまったから隣町に、と二人は言った。


「なくしたのは昨日のお話?」
「はい、恐らく…今日の朝目が覚めたら見当たらなかったそうで」
「そっか。今日はお掃除がまだだから、もしかしたらどこかに落ちてるかもしれないし、今から掃除しますね。次のお店に聞き込みにいってください」


そう言ってカウンターの奥に箒とチリ取りを取りに行こうとすると、メガネの男の子…新八くんと名乗った彼に、慌てた様子で止められる。


「僕らも手伝いますよ!」
「そんな、いいですよ」


苦笑いしながら顔の前で手を振って見せると、神楽ちゃんという女の子が、いや、ダメネ!と首を振る。


「こんな綺麗なお姉さんに仕事押し付けるようなことしたら、銀ちゃんに怒られるネ」
「ぎ、んちゃん?」


情けなくもその名前に反応してしまう。
新八くんが「僕らのお店の店長ですよ」と笑ってみせたところで、はっとする。
まあ、名前に銀が付く人なんていくらでも、と思いながら、何かを掴んだ気がしてならなかった。
一瞬の逡巡の後、二人にそれを悟られないように、平静を装って笑顔を作った。


「じゃあせっかくだし、万事屋さんに一緒にお掃除、お願いしようかな。依頼料はお料理でいいですか?」


そんな、いいですよ、と言いかけた新八くんをよそ目に、やったアル!ごはん!と神楽ちゃんは大はしゃぎで渡した箒を手に取った。


「すみません」
「いえいえ、私からの依頼、なので」


3人で話をしながらする掃除は、思っていたよりも楽しかった。
そもそも、店に来るお客以外との会話が久しぶりで、この歳になってもこれって寂しいなあ、とぼんやり考えた。
カウンター席の下に箒をかけようとしたとき、視界の端に光るものが映る。


「あれ?新八くん、神楽ちゃん!」


それぞれ別のところを掃除してはいるものの、小さな店内なので充分声は届く。
私の声に駆け寄ってきた二人は、表情を明るくした。


「おお!この刻印、オッサンが言ってたやつアル!」
「本当だ!お姉さん、ありがとうございます!」
「いえいえ、無事見つかってよかった」


そして胸をなで下ろす二人に、依頼料と称してご飯を振る舞うと、実に美味しそうに食べてもらえて、思わず顔が綻んだ。
最後の一口を食べるころ、新八くんが思い出したように声を上げる。


「あ、銀さんに連絡してない…まだ探してたらどうしよう」


またその響きにどきりと心臓が反応して、手が少し震えた。
目の前の2人にとってはたわいない会話なのに、気になって仕方ない。


「いや、大丈夫ネ。アイツ絶対もう帰ってジャンプ読んでるアル」
「確かに…でもまあ万が一ってこともあるし」


万が一って、どれだけ不真面目なんだ。
私の知らないであろう「銀さん」を想像して少し笑みを漏らすと、新八くんと神楽ちゃんが同時に手を合わせた。


「ごちそう様でした!」
「ごちそう様アル!とっても美味しかったネ」
「それは良かったです。またいつでも来てね」


少し急ぎ足で店を出ていく二人を笑顔で見送ってから、静かになった店内で一人座り込んだ。
きっと銀さんは銀時ではないと言い聞かせるも、気になって気になって仕方がなかった。
だけどかぶき町に住んでいるらしい彼らが、わざわざ飲み屋やらなんやらには困らないあそこを出てここまで足を運ぶことは、まずないだろう、と思った。
かぶき町で万事屋を探してみようかとも思ったが、まず依頼することがないような生活である。


「銀時」


小さく静かな店内にそっとこだましたその言葉は、誰にも聞かれずに溶けていった。



***



指輪を見つけた2日後に、万事屋から電話があった。
電話番号の出処を一瞬考えたが、お店の名刺を持って帰ったのだろうと思った。


「銀さんが、見つけてくれたお礼にお姉さんにも依頼料を少しって」


そう言われて、慌てて言葉を返す。


「そ、そんな、うちの店にあったのは偶然だし、」
「いやいや、うちの店長は帰ったら本当に寝転んでジャンプ読んでたんで、お姉さんの方がよっぽど働いてくれてたんですよ。今もまだ寝こけてますし」
「で、でも…」
「本当に感謝してるんです、ご飯もごちそうになったし。受け取ってもらえませんか」


少し唸っていると、ね、と新八くんに念を押されて、私は渋々頷いてしまった。
天気のいい昼下がり、買い物二でも出かけようと思っていたが、明日にしようかな。
そう思い掃除をしていると、ノック音が聞こえた。
カウンターから出てドアに歩み寄ると、私がたどり着くより先に扉が開いて、ドアにかけてあるベルが、からんかはんと鳴った。


「どーもォー、万事屋でーす」


新八くんや神楽ちゃんよりも大きな背丈。
綺麗な銀髪に赤い瞳。
気だるげな声。
あ、と声が漏れた。
相手も、体の動きを止めた。

バタン、扉がひとりでに閉まって、またベルが心地いい音を立てる。
そしてそのまま、しばし、ぽかんとしたままお互いを見つめ合った。


「おま、え…なまえ、か?」


沈黙を破ったのは、男だった。
いまだ幻を見ているような顔で、喉の奥から絞り出したような声で、私に話しかけた。


「ぎ、銀時…?」


私もかすれて声がうまく出なかった。
どうすればいいかわからなかった。
再会を望んでいたのは事実で、目の前に銀時がいるこの状況は、夢にまで見ていた。だけど。
いざ会えば、最後にあんな別れ方をしているのに、何をどう話せばいいのかさっぱり解らない。


「…元気そうで、安心した」


俯く私に、銀時はそう言った。
顔を上げると、彼は優しそうな笑顔を浮かべていて、思い出した。
私はこの笑顔が見たかったんだ。


「ちょ、おい、なまえ」


気づいた時には視界が滲んでいて、慌てて俯くも涙は止まらない。
その滲んだ視界に一瞬銀時の手が映って、それは私に触れることなく躊躇うように彼の元に戻ろうとした。
それを止めるように、私は彼の手を握った。
最後に握った手のぬくもりとなんら変わらなくて、涙はもっと溢れる。


「会いたかった、会いたかったんだよ、銀時」


両手で銀時の右手を包み込もうとしたとき、その手は私の手を道連れにして、彼の元へ引っ込んだ。
当然彼にもたれかかる形になって、そのまま優しく包み込まれた。


「銀時、」
「ちょっと黙ってろ」


私より頭一つ分身長の高い銀時は、私の頭を大きな掌で彼の鎖骨のあたりに押し付けた。
その手がゆっくり私の髪を梳く。胸が一気に苦しくなった。


「…俺も、なまえに、会いたかった」


ゆっくり、小さな声で、一言一言を噛み締めるように呟く。
死なないでって約束守ってくれたね、生きてたならなんでもっと早く会いに来てくれなかったの、私てっきりあなたは死んだと思ってたよ、本当に寂しかった、悲しかった、何をしててもあなたを思い出してた、他に恋なんてできなかった、…ずっと好きだった。
言葉にしたいことはどんどん溢れてくるのに、何一つ言葉にならなかった。
着流しを掴むと、彼の腕の力は強くなった。


「…ありがとう」


生きていてくれてありがとう。精一杯思いを込めて発した一言は、息苦しさと嗚咽で掠れて震えた。
だけど確かに銀時には届いた。


「ごめんな」


彼の腕の中で小さく首を振る。
謝ることなんてないじゃない。


「銀時、は、死なないって約束、守ってくれたよ」
「それだけじゃねェか」
「それだけでいいんだよ」


くしゃり、髪の毛を緩く掴まれた。


「銀時が、生きてるなら、それで、いいんだよ、わたし」


また零れ始めた私の涙を、銀時は体を離してその指で拭ってくれた。
頬に手を添えられて、しばし見つめ合う。
吸い込まれそうなその紅い目は、昔と変わっていなくて、いっそこのまま吸い込まれて銀時の一部になってしまいたいとさえ思った。


「…なまえ」


低い声で名前を呼ばれて、鼓膜が震える。
その余韻を噛み締める間もなく、唇が触れた。
暖かくて、なぜだかどこか懐かしくて、そこから私が戻ってくるような錯覚に襲われた。
あの日立ち止まった私を、銀時に返してもらった気分だった。


「お前さ」
「、なに?」


唇が離れて、また抱きしめられて、耳元で囁かれる。
脳に直接響くような声に、反応が少し遅れた。


「覚えてる?ファーストキス」


ちくり、胸が痛んだ。
なにしろ私と銀時は恋仲ではなかった。
だから無論私のファーストキスは銀時ではなくて、街の飲み屋で出会ってそのまま一夜を共にしてしまった、今ではどこにいるかも知れない人だ。
黙り込んだ私の頭を少し撫でてから、銀時は言った。


「…おめーたぶん今別のやつのこと考えてるだろ。心配しなくても俺だぜ、ファーストキス」
「えっ…?」


間抜けな声が出て、調子を取り戻した銀時が少しだけ笑った気配がした。
抱きしめられたまま、銀時の言葉の続きを待った。


「まだガキの頃、なまえが昼寝してるときに、銀さんが奪っといたから安心しろ」
「…うそ」
「嘘じゃねェよ」


ぎゅ、胸がまた締め付けられる。
些細なことなのに嬉しくて、着流しを掴む手に力が入った。
なんて答えたらいいのかわからず黙ると、なんとか言えよ、と頭を小突かれた。


「…嬉しい、です」
「…素直になったなオメーも」


また抱き竦められて、心臓はずっと落ち着かない。
髪を一筋掬われて、くるくると弄ばれる。
視線のやり場がわからずさまよわせていると、銀時は私の顎に手を添えた。
また触れるだけのキスをされて、唇が離れた後、今度は銀時に笑いかけることが出来た。






どうか死なないで。
そんな言葉であなたを繋ぎとめておけるとは私は到底思いもしなかったし、繋ぎとめておこうなんていうつもりもなかった。
ただどこかで生きていてくれたら、と思った。
それを今になって、「寂しがり屋のお前らしくねェ挨拶だったな」と銀時に笑われて、「そんなの百も承知だったよ」と笑い返しておいた。





20160806
title:3gramme.






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