不協和音に酔いしれて



※リクエスト作品





「ね〜ずこちゃん」

そう名前を呼ぶと、2つ、嬉しい事が起こる。
ひとつは、禰豆子ちゃんのまん丸でキラキラな目が、俺を捉える事。
もうひとつ。
大好きななまえちゃんから、軋むような音が聞こえる事、だ。









俺となまえちゃんは、鬼殺隊の同期だ。
入隊試験で出会ったときから、なまえちゃんからはずっと、優しくて暖かい音がしていた。
情けない俺に引かず、呆れず、些細なことで笑い合えるなまえちゃんを、いつのまにか好きになっていて。

勢いで女の子に求婚したことも何度もあったけど、本気で好意を伝えるときはこんなにも緊張するのかと、手が震えた。
「…俺、なまえちゃんのこと、好きだよ」と震える声で告げると、なまえちゃんはその優しくて暖かい音を一切崩さないまま、「私も」と、ふわっと笑った。

それが、一月ほど前のこと。
それで満足できれば良かったんだけど、あることに気付いてしまってから、俺は止まらなくなってしまった。

いつだって優しくて暖かいなまえちゃんの音が、ぐらぐら揺れて、軋むように響く瞬間を、俺は知ってしまった。
それは、俺が禰豆子ちゃんに優しくしたときだ。
禰豆子ちゃんの名前を呼んで、花を贈って、散歩に連れ出して…もちろん全て、禰豆子ちゃんと過ごす時間が楽しくてやっている事だけど、この様子を見かけたなまえちゃんが俺のせいで音を乱すことが、いっとう気分が良かった。
自分でもどうかしてると思うし、誰かに知られたら軽蔑されてしまうと思う。
だけど、隣にいても、贈り物をしても、その手を握っても、瞳を覗き込んでも、変わらないなまえちゃんの音。
あの軋む音だけが、俺へのなまえちゃんの気持ちの証明であるような気がして、それを確かめることを俺はやめられなかった。










「なあ善逸」

今日は炭治郎との合同任務だった。俺が気絶している間に炭治郎が助けてくれたおかげで無事生き残って、いつも通り禰豆子ちゃんを背負った炭治郎と、朝焼けの中を二人で歩いていた。
深刻そうな顔をして俺の名前を呼ぶ炭治郎に「な、なんだよ」と返すと、「なまえのことなんだが」と切り出される。

「最近、元気がないような気がしないか?何か知らないか、善逸」
「…さ、さあ?」
「善逸となまえは、想い合っているんだろう」

炭治郎の直球な物言いになんだか照れていると、「だって、二人の間からは甘い匂いがするからな」とまで言われてしまって、顔に熱が集まるのを感じた。
しれっと呼び捨てにしているのは、俺がただ「ちゃん」を外して呼べないだけの話なので、この際考えないようにする。

「ずっと変わらず優しい匂いがしていたのに、最近何かに怒ってるような、困ってるような…そんな匂いがだんだん濃くなってるんだ。善逸も何か感じないか?」

炭治郎にそう言われて、ゾクゾクと何かが背中を這い上がってくる。
ああ感じるよ。俺がそうさせてんだから。心の中の俺が、口角を上げてそう答える。
炭治郎にまでわかるほどになまえちゃんが乱されていることに、俺はどこか嬉しいような、征服欲が満たされたような気持ちになって…
それからすぐ、自分で自分が恐ろしくなった。

「…ど、どうした?顔が真っ青だぞ善逸」

なまえちゃんの、あの優しい音を思い出す。
炭治郎に顔を覗き込まれても何も言えなくて、俺の体は情けなく小さく震えていた。
帰ったら、なまえちゃんに謝ろう。
そしてもう一度、ちゃんとなまえちゃんに好きだって言おう。












任務から帰って蝶屋敷に向かうと、探していた人はすぐに見つかった。
「なまえちゃん、」名前を呼ぶと、彼女はゆっくりと振り返る。
俺はその目を、随分と長いこと、近くで見ていなかった。

「…どうしたの?息切らしちゃって」

そう言って微笑むなまえちゃんに、違和感がむくむくと湧き上がる。
とんとん、一定のリズムを刻む、柔らかくて心地いい音が、彼女からしてこない。
俺が聞いて安心していた、気持ちが揺れる音、心が軋む音が、暴力的なまでに俺の耳を襲って、思わず顔を顰めた。

そうだよ、なんで俺、気付けなかったの?
俺の隣にいる時、俺が贈り物をした時、俺が手を握った時、俺がその綺麗な瞳を覗き込んだ時。
確かに、なまえちゃんの音はいつだって変わらなかった。
でも、優しくて暖かい音が、一段と大きくなってたじゃんか。
聞こえなくなって初めて気付くその事実に、俺は目が回るような感覚に襲われて、息の仕方を一瞬忘れてしまった。

「…なまえちゃん、」
「いきなりどうし、」
「俺、なまえちゃんに言わなきゃいけない事が…」

そう言って両手を握っても、耳が痛くなるような音は止まない。
なまえちゃんは何も言わない。俺も何も言えないまま、なまえちゃんの顔も見られないまま、しばらくそうしていた。

「善逸、」

その苦しそうな声に、弾かれたように顔を上げると、彼女の綺麗な目にはいっぱいに涙が溜まっていて、唇を噛んで小さく震えている。
その光景はあまりにも衝撃的で、どうしたらいいかわからなくて、俺は自分の目にまで涙が溜まるのを感じた。やめろ、泣くなよ、俺。

「俺…その、なまえちゃん…」
「やっぱりさ、私なんかより、禰豆子ちゃんの方が可愛いんだよね」
「ちが、」
「善逸、私のことはもう嫌いになっちゃったんだよね」
「違う!」

大きな声を出すと、なまえちゃんの肩がびくりと震えて、溜まっていた涙が一筋こぼれ落ちた。
どうやらなまえちゃんは、俺の気持ちが離れてしまったんだと思い込んでしまったらしくて、とんでもないすれ違いに背筋が凍る。

「俺…その、なまえちゃんのことが好きだよ」
「でも…」
「なまえちゃんに、妬いてほしくて」
「…え?」

そう告げると、目には涙を溜めたまま、苦しそうにしていた表情を少し緩めた。

「妬いてる時の音聞いて、安心…してたっていうか…あの、俺、」

ぽかん、そんな言葉が似合いそうだった彼女の表情が、みるみるうちに怒りに染まった。
もう一言言葉を継いで謝ろうとしたけど、遅かった。いや、間に合ったとしても、無意味だったかもしれない。顔面への衝撃と共に、ぱあん…という音が、あたりに大きく響いた。

「善逸のばか!」

俺はその場に倒れ込んで、じんじんと痛む頬を押さえた。
いや、頬の痛みなんかより、拒絶された痛みの方がずっと大きくて。自分が情けなく鼻をすする音が、耳の奥まで響く。
終わった、と思った。なまえちゃんの好意を無碍にしたバチが当たったんだと、どんどん遠ざかる姿を、滲む視界で見つめ続けた。











あの日から、なまえちゃんからは変わらず優しい音がする。
でもそれは俺に向けられることはなくて、くぐもったような聞こえ方に変わってしまった。
なまえちゃんは見かけるたびに炭治郎と一緒に居て、今更俺に何を言う資格もないだろうけど、それが俺は気に入らなくてしようがなかった。

「炭治郎〜!」
「どうした?なまえ」
「聞いてほしいの、今日ね…」

俺の良すぎる耳は、本当に余計な音ばかり拾ってしまう。
いや…無意識になまえちゃんの音を探してしまっているせいなんだろうけど、なまえちゃんが炭治郎を呼ぶ声、そこに向けられる優しい音を、余すことなく拾う。
それは俺の心をずたずたにするには充分すぎるほどに重たかった。
たった一週間で、こんなにも辛い。
一月もこんなことを続けていた自分が情けなくて、でも今更謝罪の言葉は見つからない。
だってもうとっくになまえちゃんの心は俺には向けられていなくて、こんな卑しいことをしてしまう俺じゃなくて、底抜けに優しい炭治郎に、惚れてしまっているんだろうから。











炭治郎のことも、なまえちゃんのことも、俺はできるだけ避けて過ごすようにしていた。
単なる逃げだけど、どうしたらいいのかも全く思いつかない。
だけど最近常にぼーっとしている上、任務明けで眠気に襲われていた俺の集中力じゃ、早朝の朝陽が差し込む縁側に座ってこそこそと話す2人に気付けなくて、俺は久しぶりに2人の仲睦まじい時間に出会してしまった。
立ち去ろうと思ったのに、やめておけばいいのに。どうしても気になってしまって、炭治郎の鼻に気づかれないであろうギリギリの場所で、俺は息を潜めた。

「お願い、聞いてくれるの?」

お願いってなんだろう。…俺は、なまえちゃんのお願いを聞いてあげたことがあったかな。いつだって一方的に想うばっかりで、なまえちゃんの望むことは何もしてあげていなかったような気がする。

「これぐらいなら構わないぞ」

優しくて自信に満ちた声だ。俺はいつだって自分に自信がないから、炭治郎、お前が羨ましいよ。なまえちゃんの前でも自信満々でいられるお前がさ。

「炭治郎は優しいねえ」

あぁ、知ってる。わざと苦しませる俺なんかより、ずっとずっと優しいよな。よく知ってるよ。

「なまえの髪は綺麗だな」

それも、知ってる。俺は一度しか触れたことはないけど、会うたびに、見るたびにそう思ってたんだよ。絹のように…いや、絹なんかよりずっとずっと綺麗で艶があって、触り心地が良いんだ。

物陰にいるから、俺からはよく見えない。だけど、炭治郎の影がなまえちゃんの方向に伸びたような気がした。

嫌だ、嫌だ、なまえは、俺のなのに。

気付くと俺は2人の元へと走っていた。彼女の腕を掴んで引っ張り上げて、無理矢理立たせた。体勢を崩したところで、膝の裏に素早く手を入れる。
なまえちゃんが「ちょっと、」と声を上げるのも、「善逸?」と不思議そうに炭治郎が俺を呼ぶのもお構いなしに、そのまま背中を支えて、横抱きにして連れ出した。

「善逸、下ろして!」
「嫌だ、下ろさない」
「ちょっと、落ち着いてってば」
「落ち着いてるよ」
「じゃあ下ろしてよ」
「炭治郎のとこに戻るんだろ、嫌だよ」

そう言うとなまえちゃんは口を噤んで、それを俺は肯定だととってしまって、更に速度を上げた。
戦いでは役に立っているのかすらわからない呼吸を、女の子を連れ去るために使ってるなんてじいちゃんが知ったら、カンカンに怒るだろうな。
どこに向かうのかもわからないまま、なまえちゃんを抱えて走る。
どれぐらい走ったのか。立ち止まってなまえちゃんを下ろすと、哀しそうな目で俺を見つめた。
その瞳に胸が締め付けられて、喉が熱くなる。それを誤魔化すみたいに、俺は彼女を抱きしめた。

「…なまえちゃん、お願い、戻ってきてよ」

自分の心が、軋む音がする。そのせいでなまえちゃんの音がなんにも聞こえなかった。
ここに向かっていたわけでなく無意識だったけれど、俺たちは綺麗な花の咲く野原に立っていた。
いつかここで、なまえちゃんと花を摘んだんだ。
俺が「禰豆子ちゃんにあげたら、喜んでくれるかなあ」と、そう言ったとき、彼女の表情が少し歪んだのが始まりだったと思う。
そのときは本当に、他意はなかった。俺もなまえちゃんも禰豆子ちゃんを妹のように可愛がっていたから、その延長線上だった。

「善逸、痛いよ」と彼女の諫めるような声が聞こえて、自分の腕にこもる力が相当強いことに、そこで初めて気づく。
でも緩めてやらないんだ、この手を離したら、もう二度と捕まえられないような気がするから。

「俺は炭治郎みたいに優しくないよ」
「そんなこと、」
「酷いことたくさんしたし、こんなにも傷つけた」

情けない声だ。堪えきれない涙が、頬を伝ったのも感じた。

「でももう、なまえちゃんを悲しませること、絶対しないから…ごめんなさい…」

涙が止まらなくて、肩が震えて、「う、」と小さな声が漏れた。格好悪すぎて、許してもらうとかそんな話より前に、呆れられてしまうかもしれない。
そんな不安が現実になったように、腕の力が緩んだ隙を見たのか、なまえちゃんが体を捩って抜け出した。
「いかないで」と声を絞り出して手を伸ばすと、「どこにも行かないよ」と、なまえちゃんはその手を握ってくれた。

「善逸…妬いてくれた?」
「…え」
「聞くまでもないか」

そう言って、涙でぐちゃぐちゃになった俺の顔を、懐から取り出したハンカチで拭ってくれた。
二人で出掛けた時に、俺が贈ったものだった。

「ごめんね、善逸、仕返ししちゃった」
「し、仕返し?」
「善逸に妬いてほしくて、炭治郎と仲良くしてた」

ふっと肩の力が抜けて、「なんだぁ」と口が勝手に動いた。
そんな俺を見てなまえちゃんが「善逸、泣かないで」とまた涙を拭ってくれて、泣いていることに気づいた。俺、格好悪すぎる。

「さ、さっきのは?」
「ああ、えっとね、炭治郎に髪を結ってってお願いしたの。昔よく、禰豆子ちゃんの髪を結っていたらしいから」
「…そっか」

ずきん、ずきん、胸が痛む。
こんな途方もない痛みに、なまえちゃんはずっと耐えていて。

「善逸が謝ってくれるの、待ってたの」
「なまえちゃん」
「私、本当に不安だったし、辛かったんだよ。わかった?」
「…すっごいよく、わかった。本当にごめん」

ぱっと手を広げて「もう一回して」と言うなまえちゃんから、また優しくて暖かい音が聞こえてくる。
ぎゅっ、と、今度は柔らかく、でもしっかりと力を込めて抱き締めると、背中になまえちゃんの温かい手が回されて、その手が俺の背中をさすって、危うくまた泣きそうになった。

「善逸のこと、大好きだよ」
「なまえちゃん、俺も大好き…」

俺より小さな体で精一杯俺を抱きしめるなまえちゃんが、愛おしくて仕方ない。
そっと体を離して綺麗な瞳を覗き込むと、いつもよりずっと近い距離に、俺の心臓は激しく跳ねた。
と同時に、いつも聞こえない、甘くて切ない音が耳に流れ込んで、そこからじんわり体が痺れるような、不思議な感覚が広がる。

「…善逸?」

少し紅くなった頬にそっと掌を当てて、俺の名前を紡ぐなまえちゃんの桃色の唇に、自分のそれを優しく押し当てると、彼女の肩はびくりと跳ねた。今にも溶けてしまいそうなほど柔らかくて、胸焼けしそうなほどに甘かった。
そして、先程俺を痺れさせた彼女の音が大きくなって、より激しく鼓膜を震わせる。
その音をもっともっと聴きたくて、角度を変えて何度も唇を触れ合わせていると、なまえちゃんの手が、弱々しく俺の胸板を押し返して、はっと我に帰る。

「ご、ごめん!俺…」
「いいけど…ちょっと、待って…」

「心臓、持たない…」そう言って少し俯きながら後退って、両手で胸を押さえるなまえちゃんがあまりにも可愛かったのが、悪いと思う。
ほとんど無意識のうちに、彼女によってとられた距離を埋めて、もう一度腕の中に閉じ込めていた。

「ま、待ってってば」
「かわいい、なまえちゃん」

じわり、また全身が痺れる。ぎしぎし軋む音なんかより、ずっと心の深いところまで染み込んで、満たされていく。
なんだ初めからこうすれば良かったのか、と、ぼんやりした頭の奥で考えた。

ぐっと距離の近づいた愛情表現に、「善逸のばか!」と顔を真っ赤にしたなまえちゃんにもう一度モミジを頂いてしまう羽目になるのは、また別の話だ。





20200508
title:largo





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