しあわせとクロワッサン



※現パロ


アラームもかけていないのに自然に目が覚めた、休日の朝。隣を見ると、昨夜は帰宅が遅くて顔を合わせられなかった恋人が、穏やかな寝息を立てて眠っている。
私がもぞもぞと動くだけで目を覚ますことが多い彼は、今日はその綺麗な瞳を閉じたまま。かなり疲れているんだろうな。
長い睫毛が影を作って、羨ましくなるほど綺麗な肌に落ちているその様子を、そっと拝ませてもらった。

そっとベッドを出て時計を見ると、時刻は朝七時。今日はずいぶんと天気がいいようで、カーテンの隙間から抜けるような青空が見えた。

顔を洗ってリビングに入ると、テーブルの上にメモがあるのが見える。そこに書かれた大好きな字を読んで、思わず頬が緩んだ。

『なまえ、ご飯ありがとう。ごちそうさま、おいしかったよ』

キッチンの水切りカゴには、お皿と善逸の青いお茶碗が置いてあって、洗い物までしてくれたのだと胸が暖かくなった。
善逸は最近仕事が忙しく残業続きで、こうやってご飯を別々に食べることが多い。
でも、疲れてる日は洗い物は置いておいてね、と言っているんだけど。一度として洗っていなかったことはなくて、もう少し甘えてくれてもいいのにな、と思ったりもする。

さて、朝ご飯はどうしようか。炊飯器を見ると、ご飯はまだある。冷蔵庫には、卵やらウインナーやら材料も揃っている。しかし一番の問題は、私がパンの気分だということだった。今この家に、パンはない。

少し考えて、すぐ近所のパン屋さんが七時オープンであることに思い至って、先程出てきたばかりの洗面所に戻る。
善逸が起きる前にすぐ帰ってこようと、最低限の化粧をして、簡単な服に着替えて、財布とケータイと鍵だけカバンに入れて、ものの10分で準備を済ませた。
そして玄関ドアに手をかけながら「いってきまーす」と小声で呟いて、そのまま家を出た。

エレベーターがちょうどひとつ上の階に止まっていて、すぐに乗り込むことができてラッキーだった。エントランスから外に出ると、思ったよりも暑くて、太陽が眩しい。
そこまで来た夏に思いを馳せながらゆっくり歩き始めると、突然後ろから誰かに腕を掴まれて、ぴし、と体が硬直した。

「ど、どこ行くの?」

その聞き慣れた声に、入っていた力はすぐに力がふっと抜けることになり。ゆっくり振り向くと、そこにはさっきまで寝ていたはずの私の彼氏、善逸が息を切らして立っていた。

「パン屋さんだよ。どうしたの、そんなに息切らして」
「出てった音、聞こえて、どこ行くのかと、思ってさ、エレベーター、行っちゃったから、階段で、」
「わかった、わかったから深呼吸して」

そう言うと、善逸は私の腕を掴んだまま数回深呼吸して、息を落ち着かせている。
階段で…と言っていたけど、うちはマンションの五階だ。五階分、階段を駆け下りてきたのか…この短時間で。
上は寝ていたときのTシャツで、下だけ着替えたようでジーパンを履いている。よく見ると顔や髪には水滴がついていて、慌てて顔だけ洗ってきたようだった。
その綺麗な金髪に手を伸ばすと、善逸は「えっなに」と肩をびくつかせるから、少し笑ってしまった。

「寝癖ついたまんまだよ」
「仕方ないじゃん、なまえが俺を置いていくからさぁ」
「パン屋さん行くだけだってば」

口を尖らせる善逸がかわいくて思わず笑ってしまうと、もっと機嫌の悪そうな顔になった。
口に出すと怒りそうだから言わないけど、やっぱり、うん。かわいい。

「かわいいとか思ってるでしょ」
「あ、バレた?」

寝癖を撫で付けていた手を、頭頂部に動かす。それから数回往復させると、「もー、やめてよ」と言われてしまったけど、善逸だって満更でもなさそうな顔をしている。

「で、善逸も一緒に行く?パン屋さん」
「行くよー。ねぇなまえ、なんで起こしてくれなかったの?」
「ごめんね、すっごい疲れてそうだったから」
「うーん、気遣いは嬉しいんだけどさぁ」

それからごく自然に、私の手を握って歩き出す善逸。この手の感触に緊張してドキドキしていたのが、今となっては懐かしい。
今は私に安心感をくれる、大きくて優しい手。

「俺ね、くるみパン食べたいな」
「私はクロワッサンがいいなあ」
「あ、俺も食べたい!」

朝の空気は澄んでいて、私たちを梳かしていく風がすごく心地良い。
まだちょっと寝癖の残った善逸の髪が、朝日に透かされてきらきらと輝いて、胸が躍った。
こんな気持ちには一人じゃなれなかっただろうから、多少無理をしてでも追いかけてきてくれた善逸に、感謝しなくちゃ。

五分も歩かないうちに、お目当てのパン屋さんに到着した。ゆっくり扉を開けると、カランカラン、と可愛らしいベルの音が響く。
いらっしゃいませー、という声に迎えられてお店に入ると、香ばしいパンの香りに包まれて、二人で顔を見合わせて笑い合った。

「あー、俺メロンパンも食べたいかも…」
「うん、うん、わかる…」

朝早いからかまだ人がまばらな店内で、焼きたてのパンたちがきらきら輝いて見えて、どれも美味しそうで決められない。
トングとトレイを持ってくれた善逸も、難しそうな顔できょろきょろしていた。

二人で店内をぐるっと一周すると、相談してトレイに乗せたパンたちは、もう八個になっていた。

「…こんなに食べられるかな」

私がそう呟くと、「お昼もパンにしちゃおうよ」と善逸が笑う。それもいいかも、と頷くと、善逸は嬉しそうにパン達を見つめていた。
残っているご飯は冷凍して、今度オムライスでも作ろうっと。

パンがたくさん入った袋を持ってくれた善逸とお店を出ると、「はい」と手を差し出されて、その温かい手にまた指を絡めた。

「パン屋さん行ったの、久しぶり。なんか懐かしいなあ」
「懐かしい?」
「うん。高校の友達の家がパン屋さんでさ、学校帰りによく食べてたなあって。めちゃくちゃ美味しいんだよ」
「へぇー!いいなあ」
「なまえも今度一緒に行こうよ」
「いいの!?連れてって」

微笑みながら頷いて、それからどこか遠くを見るような目をしている善逸の横顔を見つめた。
知らない事は、きっとまだ多いけれど。善逸はこうやって自分のことを沢山教えてくれて、一歩ずつ近づけてくれる。そんな優しいところが、やっぱり大好き。

「善逸、帰ったらコーヒーとココアどっち飲む?」
「うーん、コーヒーかなあ」

自然と目が合って、それから愛おしむみたいな視線を向けられる。
これは決して自惚れではなく、私は善逸にとっても愛してもらっていると思う。もちろん、私だってこの人が愛しくてたまらない。
思わず緩んでしまった口元を手で隠して俯くと、善逸に顔を覗き込まれた。

「なになに、どうしたの?なまえ」
「んー?なんでもない」
「えー、気になるよ」
「…幸せだなあって思って」

小さな声でそう言うと、「俺もそれ、思った」と善逸が言う。
顔を上げると、大好きで大好きで仕方ない、善逸の柔らかい笑顔がそこにはあって。

握り合う手に少し力を込められて、この幸せを逃すまいと、私も強く握り返した。




20200507




prev next
back





- ナノ -