いたいのいたいのとんでいけ



今朝、朝食の洗い物の途中に皿を割って、破片で人差し指の先を切ってしまった。
皿を割ってしまったのは不本意だったけど、これくらいの怪我は別段珍しいことではない。水で洗って包帯でも巻いておけば、すぐに治る怪我だ。
でも、私の働く甘味処によく来る金髪の彼にとってはかなり衝撃的だったようで。
「こんにちはなまえちゃ〜ん、また来ちゃったよお〜」とにこにこする彼に手を振りかえすと、包帯を巻いた指先を見て目を見開いて「ぎゃぁぁぁ」と声にならない叫び声をあげた。

「なに、なになに、どうしたの!?なまえちゃん、怪我!?怪我しちゃったの!?」

騒がしく駆け寄ってきた彼が、私の手首を掴んで指先を覗き込む。
その手のひらの熱がじわじわと移ってくるみたいに感じて、なんだか少し焦った私は「もう、大袈裟ですよ」とそっと手を解きながら言った。

「あのね、女の子が怪我してるんだよ?大袈裟もなにもないからね!」

そう言って頬を膨らますこの方は、我妻善逸さんという。明るい金色の髪をした、私よりひとつ年上の男性だ。
初めにここに来た時、お茶を出した次の瞬間に「結婚してください!」と手を握られて、それはもう吃驚した。
でもすぐに、一緒にいた黒い髪の男性に「やめないか善逸!」と引っ剥がされていて、私に手を伸ばしながらべそべそ泣く姿がなんだか面白くて、可愛らしく思えて。
「じゃあ、お友達から始めましょうか」と言い争う彼らに声をかけると、善逸さんは涙で濡らした顔をぱあっと綻ばせていて、まるできれいな蒲公英が咲いたみたいだと思って、つい笑顔が溢れた。

「善逸さんだって、よくお怪我されてるじゃないですか」
「俺は男だからいいの!なまえちゃんは女の子でしょ!」

言った通り、本当によく怪我をして甘味処にやってくる善逸さん。こないだなんか、腕の骨を折ったとかで左手にぐるぐると包帯を巻いてやってきた。
彼はへらへらしていたけど、私は血の気が引いてしまったっけ。

「だーめーでーす。もっと自分を大切にしてくださいね」

善逸さんを見詰めながら言うと、彼は驚いたようにその綺麗な目をぱちぱちさせてから、「ありがとう」とふわっと笑った。
ぎゃあぎゃあと騒いでいたり、だらしなく表情を緩ませていたり、そんな善逸さんだけど、ふとしたときに見せる表情にどきどきさせられる。
すると、なにも言っていない筈なのに善逸さんも少し顔を赤らめていて、まさか口に出ていたのかと慌てて口を覆うと、「ご、ごめん、気にしないで」と言われてしまった。

「ちょっと、こっちおいで」

善逸さんはひとつ咳払いをして、小さく手招きをしながら手近な椅子に腰掛けた。
近くに寄ると、「隣座ってよ〜」とぽんぽん椅子を叩かれて、微妙な距離を開けて座った。

「なまえちゃん、手、出してくれる?」
「手、ですか?」
「うん。ちょっと貸して」

なんとなく包帯を巻いていない方の手を差し出すと、「違う違う、怪我しちゃった方ね」と言われ、差し出す手を入れ替えた。
実はまだ少し指先がじくじくと痛んでいて、意識を向けるとまた少し痛みが増してしまったような気がする。
それを悟られまいと平静を装っていたのに、手先をそっと善逸さんの両手に包まれて、それどころではなくなってしまった。
「え、」と声を漏らす私に構わず、善逸さんはほんの少しだけ、傷に響かない程度に、包み込む力を強くした。

「いたいの、いたいの、とんでいけー」

優しい優しい、陽だまりのような暖かい声で、善逸さんはそう言った。
まだじくじくと痛みの残っていたはずの指先に、善逸さんの手の温かさが染み込んで、嘘みたいにふわりと軽くなった。
手に向けていた視線を、顔を上げて善逸さんに向けると、やっぱり優しくて暖かい笑顔がそこにはあって、私は小さく息をついた。

「おまじないだよ」

善逸さんは誇らしげにそう言って、「ね、痛くなくなったでしょ?」なんて言って、私の顔を覗き込んでくる。
どくどくと、心臓がうるさくなっていく。未だに離されない手から、この音が伝わってしまいやしないかという心配まで加わって、余計に鼓動が早くなる。
そうして何も言えずに固まっていると、目の前の善逸さんもみるみるうちに顔を紅くして、俯いてしまった。

「そ、そんな照れないでよ」

もー俺まで照れるじゃん、と言いながら、善逸さんが包んでいた手を離すと、少しひんやりした風が吹き抜ける。残っていた体温が冷めていくのが寂しく感じて、引っ込められそうになった手を追いかけるみたいにして無意識に触れると、善逸さんはびくりと肩を震わせた。

「えっ、ちょ、なまえちゃ…」
「あっ、ごめんなさい、」

我にかえって慌てて手を引っ込めると、今度は善逸さんの手が追いかけてきて、すぐに捕まった。怪我をしている部分には触れないように、そっと握られる。


どれぐらい、そうしていただろうか。恐る恐る隣を見ると、善逸さんの顔はまだ真っ赤なままで、「善逸さん、お顔が真っ赤です」と横目遣いで言うと、「そっちこそ」と言いながら、同じように視線を寄越してきた。
手を握ったまま、目を合わせて小声で笑い合うと、胸がじんわり暖かくなる。


小さく、息を吸い込んで。お友達からって言ったのは私だけれど、そろそろお友達を辞めてもいいですか?なんて言おうとした瞬間、後ろからトントンと肩を叩かれた。
慌てて振り向くと、そこには店の奥から出てきた女将さんが。「早くご注文をお聞きしなさいな」と呆れたように笑いながら言われてしまって、どちらからともなく手をパッと離す。
私はひっくり返った声で返事をしてから、急いで立ち上がった。

「あああ、ごめんねえ、俺のせいで怒られちゃって…」

女将さんがまた奥に引っ込んでから、善逸さんが涙をいっぱいに溜めながらそう謝ってきて、なんだか少し可笑しくなる。「善逸さんのせいじゃないですよ」と言うと、口をへの字に曲げたまま俯いてしまった。
申し訳ないけど、可愛い、です。

「お仕事終わったら、また来ていいかな?」

目を袖口で拭いてから問いかけてくる善逸さんに、こくこくと頷いて見せると、まだ少し目元を涙で光らせたままにっこり笑っていて、その笑顔が眩しかった。



私が運んだお団子を美味しそうに頬張る姿を見てにやにやしていると、今度は女将さんに額を小突かれてしまった、けど。
仕事の後の約束が楽しみで仕方なくて、そんなことちっとも気にならなかった。

おまじないのおかげか、はたまた善逸さんの優しさのおかげか、指の痛みはいつの間にかすっかり消えていて、そこには手を握られた時の暖かさだけが残っていた。




20200510




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