君にミモザは似合わない



※現パロ。女優さんな夢主と、メイクさんな善逸のお話です。確かな知識はありませんので、フワッとした雰囲気で楽しんでください…





「あ!我妻さーん!」

手を振って俺に走り寄ってくるのは、聞いて驚け、いま世間で人気を集める若手女優、みょうじなまえちゃんだ。今日、彼女はバラエティ番組の撮影を控えている。何故平凡な20代男性である俺が、女優さんの予定を把握し、名前まで呼んで貰えるのかと言うと。

「今日もメイク、よろしくお願いします」

ふわっと笑ってから、礼儀正しく頭を下げる彼女。そう、俺はこの子のメイク担当としてよく指名を貰う、所謂メイクさんの仕事をしているから、である。

「はあい。よろしくね、なまえちゃん」

俺より数個年下のなまえちゃんとは、自分で言うのもなんだが、兄妹のような関係性を築けていると思う。ほぼ専属のようになってしばらく経ち、初めは緊張して敬語ばかりだった俺と彼女の言葉もだんだんと崩れて、たくさん笑顔を見せてくれるようになり、雑談も気軽にできるようになっていた。

俺がまだ学生の頃から、なまえちゃんはモデルや女優として活躍していて、よくメディアに出ていた。何も知らない頃は、ああ綺麗な女の子だな、とただ思っていただけだったけど。この仕事につくための勉強をしてから、絹糸のような髪も、抜けるように白い陶器のような肌も、すらりと伸びる美しい手足も、その花が咲くような可憐な笑顔でさえも、彼女の血の滲むような努力から出来上がったものであることを、俺は知った。

柔らかい前髪をクリップで留めてから、鏡に向かうその目と一瞬だけ視線を交わらせて、頬に指を滑らせた。メイク室に俺達は二人きりになることが多くて、今日もそうで。そんな中で下心なく触れられるようになるまでには、情けない俺は随分と時間がかかった。その柔肌に微かにかさつきを感じて「昨日ちゃんと寝た?」と聞くと、「ちょっと夜更かししちゃった」と、彼女は小さく舌を出した。

「我妻さんなら綺麗にしてくれるでしょ?」

そう言って、彼女は鏡越しに交わっていた視線を外して、見上げるみたいに俺に視線を向けた。椅子に座る彼女と、その後ろに立つ俺。自然とその視線は上目遣いに近いものになって。何度見ても慣れない彼女の綺麗な瞳に、心がきゅんと音を立ててしまう。
「任せて!」なんて歯を見せて笑いながら内心穏やかではないのは、いつもの事だった。
普段通りにメイク道具を取り出すと、雑談をはじめるはずの彼女が、なんだか深刻そうに「あの」と声をかけてきて、一瞬手が止まった。

「ん?どうしたの?」
「ちょっとお願いがあるんですけど」

鏡の向こうにいる彼女を見つめても目が合わなくて、どうしたものかと首を傾げる。「俺に出来る事なら聞いてあげるよ」とできるだけ優しく声をかけると、彼女は俯き加減だった顔をぱっと上げた。

「今日は、オレンジっぽいメイクにしてください!」
「え…どしたの、突然?」

俺はいつも、ピンク色や赤色のアイシャドウやチークを使って、彼女を彩っていく。彼女の白い肌に似合う色を選んでいくと、自然とそこに辿り着くからだ。突然のお願いの意図がわからずに戸惑っていると、「いつも赤とかピンクだから、たまにはオレンジがいいかなって」と少し気まずそうに視線を絡ませてくる。

「んー。オレンジっぽく、かあ。コーラルピンクとかにしようかなあ」

顎に手を当てて、コーラルピンクのリップを使うメイクを頭の中でイメージしながらそう言うと、彼女がぶんぶんと首を横に振る。

「もっと、その、黄色に近い色がいい」

絡んだままの視線が熱くなったような気がして、慌てて目を逸らすと「ダメ、ですか…?」と、彼女の声が沈む。

「うーん、なまえちゃんはピンクが似合うと思うけどなあ」

落ち着かない手をメイク道具に這わせてかちゃかちゃと音を立てると、また彼女は首を横に振る。今度は、ゆっくりと数回。

「んーん………オレンジと、黄色がいい」

いつになく真剣ななまえちゃんの瞳を、鏡越しに見つめ返す。どくんどくん、嘘偽りない心臓の音が聞こえてくる。甘くなりそうだった空気を小さく笑って弾き返して「わかった。いいよ」と返事をすると、彼女はふわりと顔を綻ばせた。

…本当は、いつもイメージしていた。なまえちゃんの真っ白い肌に、山吹色やくちなし色、橙色を乗せて、美しく彩ることを。
似合わないなんてことは絶対にないのに、なんでだか俺は避けていたんだよなあ。彼女の肌に、俺の色が乗ってはいけない気がして。
ベースメイクの用意をしているだけで、もう彼女は「目を閉じて」なんてお願いをしなくても、その綺麗な瞳を伏せて俺に全てを委ねてくれる。

「我妻さんがね」

目を閉じた彼女が、いつものように小さく口を開いて、言葉を紡いでくれる。長い睫毛が、滑らかな肌に小さな影を落とす。なまえちゃんにそっと色をつけながら、「なあに?」と問い返すと、また可憐な唇が動く。

「褒めてくれたの、すっごく嬉しかったの」

閉じられた瞼の縁にまっすぐ線を引いてから、ゆっくりゆっくり山吹色を乗せる。なぜだか酷く緊張して、震えそうになる手を必死に抑えた。

「どれだけ頑張って綺麗にしても、当たり前みたいに見られるこの業界で、我妻さんはちゃんと褒めてくれた」

彼女の唇が小さく弧を描いている。きっと今なまえちゃんには見えないけど、俺は優しく微笑み返した。
初めて、メイクを担当させてもらったとき。テレビや雑誌で見るよりも、近くで見た方がずっとずっと綺麗な彼女の肌や髪に感動して、「本当に綺麗。みょうじさんって努力されてるんですね、凄いなあ」と思ったままを口にしたら、彼女の瞳がきらきらと輝いたことを、俺だって忘れられない。

「私、それが本当に嬉しかった」

アイメイクが終わるといつも目を開けるなまえちゃんは、今日はずっと目を閉じたまま、時折その睫毛を震わせていた。もう色付いているような気がする頬に暖かなオレンジ色を乗せると、少しくすぐったそうに肩を竦めた。

「あのね」

少しの沈黙を経て、彼女が唇をゆっくり動かす。どくん、とまた大きくなった心音が聞こえる。
キャメルオレンジのリップを手に取っていた俺は、そっと彼女の唇にリップブラシを近づけて、「待ってね」と声をかけた。慌てて口を噤んだ彼女は可愛らしくて、全部全部染めてしまいたくなる。でも、そんな事は俺にはできないから。
しなやかな筆でその唇に触れる瞬間、他の誰かの唇を彩るときには決して考えないようなロクでもない事を、いつだって考えてるんだけどさ。

「目、開けてごらん」

ゆっくりと目を開いた彼女は、いつものふんわりとしたベビーピンクではなくて、鮮やかな春の訪れを感じさせるような、ミモザ色を纏っていた。想像の中の彼女よりずっと美しくて、息を呑む。

「…我妻さんの色だ」

彼女は、ドラマにだって出る女優だ。もしも俺の耳が良くなかったら、女優さんは演技が達者だなぁなんて笑えたかもしれない。でも俺の良すぎる耳は不幸なことに、彼女の心音を、声に滲む気持ちを、余すことなく聞き取って汲んでしまう。

「気に入ってもらえて良かった」

すっごく似合うよ、という言葉を飲み込む。まだセットされていない、少しだけうねった髪に手を伸ばして、前髪のクリップを取ってポケットに仕舞った。

「髪の毛もササッと綺麗にしちゃおっか。のんびりしてると遅刻しちゃうよ」


「……似合って、ない?」

振り返って、直接視線を絡めてくる彼女の瞼に、金色が光る。ああ、ものすごく似合うよ。だって、君に似合うように、君のためだけにたくさん考えたから。
だけど、口に出してしまったらいけないような気がして。「そんなことないから、ほら、向こう向いて」と目をそらして言ったけど、彼女は顔だけ向けていたところを、今度は椅子を回して身体ごと俺の方に向けた。

「我妻さん、こっち向いて」

そう言って、彼女は立ち上がる。諦めて目線を上げる前、彼女のクリーム色のスカートに、黄色いミモザの花が沢山咲いているのが見えた。

「私は、我妻さんに言ってもらいたいの」

いつか彼女は恋愛ドラマに出ていて、彼女が告白するシーンがあった。テレビに大きく映し出される、彼女の熱く真剣な瞳はとても綺麗で、思わず見惚れたのを覚えている。
だけど、今俺に向けられている彼女の視線は、それとは全く違っていた。暖かで、どこか悲しそうな…まるで、俺の葛藤を知っているかのような。

「…似合ってるよ、すごく」
「…うん」

ひとつ、息をついた。彼女の瞳はまだ何かを待ち望んでいて、俺もそれが何だかは解っていて。オレンジ色の唇が、「それだけですか?」と動いて、俺はほとんど無意識に、彼女の頬に手を当てた。そのまま、ずっと想像していたロクでもない事を、本当にやってのけてしまった。

「好きだよ」

数センチ離れてから、蕩ける瞳を覗き込んでそう言うと、「ばか」と消え入りそうな声が聞こえてくる。

「…我妻さん…せっかくのリップ、取れちゃうよ」

そう言ったなまえちゃんの目には薄く涙の膜が張っていて、「泣いたら、アイメイクも取れちゃうね」と小声で言うと、彼女はぐっと唇を引き結んだ。

「本当に似合ってるから、泣かないで」

顔を真っ赤に染め上げて俺を見つめるなまえちゃんからは、例えようもなく幸せそうな音がする。
あぁ、俺ってバカだなあ。俺じゃ彼女に釣り合わないなんてつまらないエゴイズムを塗り潰すみたいに、俺はまた唇でキャメルオレンジを拭いとった。



20200515




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