弟子の憂鬱


 レスリーは意味深な笑みを浮かべて僕を見て「私、そういうことに偏見なんてないし」と、そう言ってからビールを飲み干した。そして、「あぁ、そうか」と勝手に納得して、「こういうとこには来そうにないもんね。あなたのご主人様は」と言う。

「ご主人様じゃないよ。彼は僕の上司で師匠だよ」

「ふぅん。ま、いいわ」

 彼女は呆れたように言うとビールを買いに席を立った。

 彼女は何を期待してんだろうと、僕はため息を吐いてからビールを飲んだ。カウンターにいる彼女の方を見ると彼女も僕を見て『あなたもまだ飲む?』と身振り手振りで訊いてくるので僕も身振り手振りで『頼む』と返した。

 僕は視線を窓の外に移した。パブの中は騒がしいけど外はそうでもない。道行く人は疎らだ。街灯のオレンジ色がポウッと石畳を照らす。彼女が彼を僕の『ご主人様』と呼ぶのは、『ご主人様』たちの側と僕らの側との間の苦い歴史の名残ってヤツと、僕たちの関係を彼女がちょっとばかり誤解しているからだろう。まぁ仕方ないかなと思う。彼女にならいいかと僕の配属先やその上司やそれまでの行き先やなんかについて話したのは自分なわけだから。

 彼女が両手にビールを持って戻って来て、僕に「あなたに奢る理由なんてないわよ」とビール代を請求するまでにはちょっと時間がありそうだ。僕はすっかり冷めて不味くなったチップスをポイッと口に入れた。僕には彼は四十代のお育ちのいい英国風紳士に見えるのだけど、実際のところ僕の上司で師匠だということ以外は何もわかっていない。いろいろと謎の多い人ではあるけれども、信頼に足る人物だとは思う。それは僕の直感でしかないが、ひとつだけ確かなのは出世の道からは早くも脱落したことだろう。

 晴れて殺人課に配属された彼女から見れば僕のこの選択は間違いだと言わざる得ないと思う。で、彼女にしてみればこの先の人生になんのメリットもなさそうな選択肢を選ぶ理由なんてのは限られるということだ。しかし、その限られた理由の中から何故わざわざその理由を選択するのかはわからない。ちなみに僕は女の子の方がずっと好きだ。

 僕がというよりは、彼がそういう誤解を招きやすいのではないかと思う。というか、それが誤解でなかった場合、僕はどうしたらいいんだろうか。ああいう人たちには多いとは聞く。しかし、彼がそうだとしてもやはりタイプとかはあるわけで、僕がそうとは限らない。ということは、つまりそうかもしれないとも言えるわけだ。もしそうだった場合、アリなのか、ナシなのか。いや、僕が好きなのはあくまでも女の子だけど。

 彼という人物に興味があったわけではなく、僕が知りたいと思ったことに答えてくれそうだったのがたまたま彼だっただけで、そのためには彼の弟子になる必要があったってだけの話なんだけどなとため息を吐いてから、グラスにほんの少し残っていたビールを飲んでしまう。レスリーはこの世には幽霊だとか魔法だとかが存在して自分の上司は実は魔法使いで弟子入りすることにしたなんていう僕の突拍子もない話を聞いてくれたわけだけど、それは彼女が僕の話をすべて理解してくれたということでもなくてなんらかの言い訳と受け取ったとも考えられる。で、それが「偏見なんてないから」ってセリフに繋がったのかもしれない。

 いつもの彼のきちっとした姿を思い浮かべてみたりした。どっちがどっちなんていうのはどうやって決まる、っていうか、決めるんだろうか。幽霊探しをしていて彼に初めて会ったあの夜、僕をからかった酔っ払いの女どもは、たぶんそっちだと勘違いしてただろうし、僕に話しかけて来た彼はそっちって感じではなかった。あぁ、でも、そっちじゃない感じの人がそっちってこともあったりはするんだろうな。そういうギャップがグッとキたりするんだろうか。僕はザッとは知っていても詳しいヤり方なんか知らない。というか、できれば知りたくないのだが、あの落ち着いた彼の隠された顔みたいなものをよせばいいのに想像してみた。そして、後悔した。

「ピーター、ホラ、ビール。ビール代ちゃんと払ってよ。あなたと同じ安月給であなたに奢る理由なんて私にはないんだから」

 レスリーの声が聞こえて慌てて顔を上げた。僕は「あ、あぁ、ありがと」と言いながらポケットから小銭を取り出した。彼女はもう彼のことなんかどうでもよくなったらしく、行き損ねた映画にいつ行くかと僕に訊く。僕は彼女に適当に返事をしながら、今夜これからどうやって彼女の部屋に転がり込むかに考えを巡らした。そして、不意に彼の顔を思い出し、何故かドキリとして彼がいるあの下宿に帰ろうかなと思った。



(『女王陛下の魔術師〜ロンドン警視庁特殊犯罪課』より)






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