坂を登りきったその先に
夏の太陽はこんなにも過酷だったっけ?と、やたらに重いペダルを踏み坂道を登って行く。人間、ピンチになると妙に冷静になってそれまでは気づかなかったいろんなことが見えてきたりするらしい。遥か遠くにも見える坂のてっぺんは陽炎で揺らめいている。「クソッ」と呟いて舌打ちしてから、ムカつくイケメンおまわりに負けてたまるかと重いペダルをグッと踏んだ。
俺の愛車・轟3号はそんな上等なチャリでもねぇけど、つうかぶっちゃけママチャリなんだけど、一応3段切り替えにはなってっし、あとは俺の運転テクと体力と根性でカバーすれば十分イケるマシンのはずだった。しかし、緩やかな下り坂を一番重いギアで漕ぎながら下りスピードをつけ、そのあとの上り坂ではギアを1段軽くして一気に登りきっておまわりを撒くというカンペキな作戦は、轟3号のギアの故障により不可能となって、マシンの性能を補うための頼みの綱だった体力も根性も尽きようとしている。悪友たちは軽くて速い高級なチャリに乗っていて、俺をおまわりの生け贄にでもするかのように俺を残しあっという間に走り去りやがった。アイツらにはあとで必ず倍返しでこの借りを返してもらう。
ことの発端は今年の春にやって来た交番のイケメンおまわりの土方で、コイツがイケメンなのはすぐに町中のウワサになった。ここいらでは若い男っつったらガッコのセンセかおまわりぐらいだから町中のオンナが色めき立つワケで、ガッコにいる俺たち男子は『若い男』の勘定には入れてもらえてないことも明確になったワケだ。で、俺たちとしては面白くないワケで、おまわりと俺たちの全面戦争へと発展した。
今日は、オンナどもが幻滅するようにと交番のあちこちにマニアックなエロ本とかAVを仕込むという作戦を決行していた。もう1人のドSのおまわりの協力もあって途中まではうまくいっていたのに最後の仕掛けをセットしているときに見つかってしまった。死んでんじゃねぇのってぐらい瞳孔カッ開いてこっちを睨むおまわりはいろいろとヤバいと思った。こうなると速やかな撤退が最優先事項となる。俺たちはあらかじめ確保しておいた退路から素早く撤退した。
おまわりはおまわり本人も重装備だがチャリも割と重装備なので、逃げ切ったアイツらの高級マシンには適わなくとも身軽な分だけ俺に勝ち目があると踏んでいたが甘かった。春から幾度も繰り返されてきたこのゲリラ戦におまわりは密かに新兵器を投入していた。おまわりのヤローは俺が必死に漕いでいるそのすぐ後ろを涼しげな顔で電チャリでピッタリと追走してやがる。俺の方は言うと、ペダルはどんどん重くなり、スピードは落ちていく。もはや歩いた方が速いのではとおもうが、俺の足は生まれたての子馬のごとくピクピクと震えていてチャリを捨て自力で逃げることは不可能だ。先生がアイツらみたいなチャリを買ってくれるっつったときに遠慮なんかしねーで買ってもらえばよかったかもしれない。チャリぐらいは好きにしてもよかったのかもしれない。
最後は根性だけでたどり着いた坂のてっぺんで自転車を降り、熱いアスファルトの上に大の字に寝っ転がった。
「…き、きたねーぞ、ひじかた……」
白いダサい電チャリから降りたおまわりを見た。俺を見るおまわりの瞳孔は相変わらず散大していて、怖ェからやめてくんないかなと思う。
「…で、…電気の力なんか借りてんじゃねーよ。正々堂々と勝負しやがれ…………」
暑さと疲労で回らなくなったアタマで捻り出した俺の負け惜しみを言ってみる。
「なんだ。もう終ェか」
俺を見下ろしてそう言ったおまわりがニヤリと笑う。あぁ、やべェ、コイツ、マジでイケメンだわ。俺、負けたかもしんねー。今回は。おまわりはポケットから煙草を取り出し咥えると火を点けた。坂の麓のほうから車のエンジン音が聞こえてきた。
「コレ、オメェさんのお仲間から見捨てた詫びだとよ」
ミニパトの窓から顔を出したドSのおまわりは俺と土方を見ながらびっしょりに濡れたペットボトルを差し出した。
「アイツらに買わせたのか?」
「じゃねェと詫びになんねーじゃねェですかィ。馬鹿なのは知ってやしたがこれほどまでとは」
ドSのおまわりはやれやれと呆れた顔でため息を吐く。イケメンおまわりはムッとして舌打ちしたが、ドSのおまわりはそんなのお構いなしに俺の方を見て言った。
「コイツで送ってやっからチャリは邪魔になんねェように端に止めときな。じゃ、土方さん、俺らはこれで」
乗り込んだミニパトはガンガンに冷えてて汗が一気に引いて気持ちいい。ペットボトルを開けてゴクゴクと一気に飲む。そして、茫然と立っているおまわりに向かって「お疲れ〜」と手をピラピラと振ってみた。
(おまわり・土方と高校生・坂田、そしてドSのおまわり)
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