▼ W
[ name change ]
「私、いい感じの人?ができた、かも?」
「…まじで?どこの馬のほn…いや、どんなやつなんだ?」
「えっと、ハート高のローって人」
「は?トラファルガーか?」
そうだと頷くと、エースは非常に険しい顔をしてだめだと言った。あいつだけはだめだと。ナミにも同じことを言われた。あいつはいい噂を聞かない、碌な男じゃないと。遊び人で、裏で色々悪いことをしていて、女もとっかえひっかえ。それがローという男だとエースもナミも口を揃えて言ったけど、私にはどうしてもそうは思えなかった。たった一日、言うなれば数時間話しただけだけど、確かにローは俺様体質だけど、その目の奥にはあったかい何かがあって私にはそれがちゃんと伝わった。
ローは悪い人じゃない、絶対。自分でも不思議なくらい腹が立った。
「何も知らないくせに勝手なこと言わないで!」
「ちょっと待ちなさいアン!あぁもう!」
まだ一時間目の授業が終わったばかりなのに、私は廊下に飛び出していた。
気がつくとローと出会った駅前にいた。
「って何やってんの、私。いるわけないじゃん。っていうかこの時間にいたらそれこそ…」
「何やってるんだ」
「…ロー」
ローがいた。
「なんでいるの?学校は?」
「泣いてるのか?」
ローは一瞬目を見開いて驚いたかと思うとすぐに顔を顰めた。チッなんて舌打ちしながら、それでも抱きしめてくれた。大丈夫か?と言いながら背中を撫でてくれる。
「ローはやめとけって言われた」
「あぁ例の馬鹿男にか」
「エースだけじゃなくて、友達にも」
「ナミってやつか。まぁ確かにいい噂は聞かねぇだろうな」
喉だけでくつりと笑う。当たり前のように友達の名前を覚えてくれていたことが意外で、嬉しくて、なんだかむず痒い。
「心配してくれるいいダチじゃねぇか」
「へへっ」
「あとそんな顔で笑うな、襲いたくなる」
「え!?」
やっぱり悪いやつか!と慌てて離れようとしたら、冗談だと言いながらまた抱きしめられた。真顔で冗談って言えるものなの?
「つまりこんな時間に俺が町をほっつき歩いてたら都合が悪いわけだな」
「うん。まさに碌でもない男だよね」
「くくっ、ついて来い」
ローはさっさと背中を向けて改札に向かって歩き出した。制服を着てるということは、今から学校に行くつもりだったのだろうか。遅刻にもほどがある。ていうかどう見ても鞄を持っていない。
「何してるんだ。のろい女は好きじゃない」
此方を振り返った不機嫌そうな口許はやっぱり少し尖っていて、それなのにちゃんと立ち止まって手を差し出してくれる。碌な男じゃないわよ、耳の裏でナミの声が聞こえた気がした。どれが本当のローなんだろう。知りたいと思うのはただの好奇心だろうか。
*
**
***
****
電車に乗って4駅。
「…家に行くの?」
「まぁそうだな」
「え、ローの?」
「いちいち立ち止まるな」
ローがため息をはいて手を引っ張る。私たちは改札をくぐって電車に乗って、また改札をくぐる間ずっと手を繋いでいた。電車乗っている間も会話はずっと途切れなかった。ローは口数こそ少ないけどきちんと話を聞いてくれる。窓の外を見ているから一見興味なさそうに見えるけど、少しでも会話のテンポがずれるとすぐに此方を向いてそれで?と優しく促してくれる。私はやっぱり、ローは優しいと思う。
「ここ?」
「まぁ行けば分かる」
立ち止まったのは思いがけずおんぼろなアパートの前だった。築何十年だ。昭和を感じる鉄製の階段をカンカンカンと靴音を鳴らして上ると、ローは三つ並んだドアの右端を開けた。
「鍵かけろっていつも言ってるだろうが」
「お、おーーキャプテーン!ゲホゲホッ」
The男の一人暮らしといった散らかった部屋には、男の子が転がっていた。
「だ、大丈夫ですか?風邪?」
「ゲホッえ!!誰!?キャプテンが女連れてるとかありえ、グエッ」
「ちょ、ちょっとロー!病人でしょ?」
「安心しろ、死んでも問題ない」
シャチというらしい男の子は私の姿を見てなにやらものすごく驚いたらしく、跳ねるように飛び起きた。その瞬間にローの鉄拳が狙い済ましたようにおでこにスクリーンヒット。寝てろ、という一言と共に。
「キャプテンってなに?」
部活とかやってるのかと聞いてみたら「そんなんじゃねぇけどローはおれらのキャプテンなんだ」とシャチはよくわからないことを言った。何故か誇らしげだ。振り返ってローに首を傾げても、別に答える気はないらしく返事は返ってこなかった。うっすらと笑みを称えているところから察するに満更でもないらしい。なんか、いいな。ローがキャプテンだなんて似合わないと言ったら、シャチはゲラゲラ笑って、ローは無言で顔を顰めた。
「食え」
「ッテェ。俺びょーにん!」
ローはてきぱきと動いた。熱を測って、途中のコンビニで買ったヨーグルトを投げつけ、明らかに市販のものではない薬を飲ませた。本当に医者みたいだ。私も窓を開けて換気をしたり、おかゆを作ったり思いつく限りのことを手伝った。そもそも散らかったこの部屋ではおかゆを作る前に食器を洗ったり、根本的な部分ではまず炊飯器を探す作業が必要だった。
「じゃあシャチ、お大事にね?治ったら大掃除しに来てあげるよ」
「え、まじで!?アンちゃん超いいやつだな!キャプテンにはもったいな…うそ!は、はははは」
「アン行くぞ。そんなアホはほっとけ」
「ふふふっはーい」
「友達の看病なんて優しいんだね」
「ただの実験台だ」
「シャチも言ってたよ。ローが女の子を連れてるのは全部実験台だって」
「チッ余計なことばっかりしゃべりやがって」
ローは家が病院らしい。親の同意が必要だったり、ちょっと病院にはお世話になれないような病気になった女の子とかを診察して薬を処方しているのだとか。もちろん法律的にはとんでもないことだから、さすがに手術はしないらしいけど。
「別に俺はいいやつじゃねぇ、勘違いするな。それに来るもんは拒まねぇ主義だからな、女といろんな関係があるのは事実だ」
「え、…そうなんだ」
「ただ、惚れたことはない。本気で欲しいと思ったのはアン、お前が初めてだ」
まっすぐな言葉だった。心にすとんと入ってきた。
確かに傍から見たら碌でもないヤツなのかもしれない。でも少なくとも今私の目に映るローは、違う。淡々と紡がれる言葉からは誠実さを感じた。すごく嬉しかった。エースの不可解な言動に参っていた私は、そのストレートな部分に強く惹かれた。十年以上の付き合いのエースのことよりも、知り合ってたった2日のローの方が理解できることが不思議だった。
「お前は俺のことだけ考えろ」
「うん…」
それから私たちは毎日のように会った。
エースのことは、次第に避けるようになった。ナミは泣きついてきても知らないからと呆れながらも見守ってくれた。
私は今まですごく狭い世界で生きていたのだと思った。それこそ3歳の時にエースが隣の家に引っ越してきてから今までずっと。隣には常にエースがいて、それが当たり前で。私にはエースを通して見る世界が全てで、知らないことやおもしろいことは全部エースが教えてくれた。エースがそんな私を心配していたのだとしたら、その通りだ。私は初めて自分で新しい世界を知った。そこで出会ったのは、かなり俺様で自分勝手だけどその裏には優しさをちゃんと持っている、そんな人だ。
私は、ローのことが本当に好きになったのかもしれない。
【初めて向き合ったのはきっと、私っていう人間】
prev / next