春高

佐久早が人混みを避けながら曲がり角を曲がると、大会中には似つかわしくないキャッキャッとどこか色めき立つような声が耳に入った。「やば〜」「可愛いすぎ〜」と中身がまるでないような会話をする人たちの視線の先には狐がいた。

いや実際は本物の狐ではなく、狐の着ぐるみを着た見覚えのある少女。誰しもがその狐の格好をした少女の可愛らしさに顔をほこらばせてる中、佐久早はただ1人仏頂面を浮かべていた。

「あ、お兄ちゃんや!」

「…」

そんな無愛想な佐久早に気づいた少女はぴょこぴょことフードについた大きな耳を揺らしながら駆け寄る。佐久早は人混みからかいまだに不快そうに眉を寄せるが、少女は全く気にしてないらしい。怖がるそぶりも見せず佐久早に話しかけた。

「お兄ちゃんまだかぜ引いてるの?だいじょうぶ?」

「…引いてない」

ユース合宿で見た時と同じようなマスク姿の佐久早にまた同じように尋ねた。まだあの時と同じようにマスクは風邪の時につけるものと思ってるらしい。
 
「お、なまえちゃんだ」

「元也くん!こんにちわぁ」

「こんにちは。きつねさん、かわいいね」

「えへへ、ありがとう!」

無愛想な顔のままなまえを見下ろす佐久早とは違い、古森はなまえを威圧させないようにと視線に合わせる。褒められて嬉しそうに微笑むと、狐の着ぐるみ姿を見せびらかすようにくるりと一周する。それにより揺れる尻尾に「尻尾もあるじゃん!」と稲荷崎家庭科部による細部までこだわったの狐の着ぐるみに驚いた。

「元也くんもゆにほーむかっこええねえ」

「えー、ほんと?嬉しいなぁ」

「うん!お兄ちゃんのもきれいや色やけど、元也くんのも白とくろでかっこいい」

ニコニコと褒め合う2人を見下ろした佐久早の眉間の皺がさらに深くなる。

「…おい、お前俺の名前は覚えてないのか」

古森のことは名前で呼ぶのに対し、佐久早の名前は呼ばないことが気になったらしい。不機嫌そうに問えばなまえは一瞬キョトンとした後、とびきりの笑顔で答えた。

「お兄ちゃんのなまえもおぼえてる!おみおみ!」

「違う」

「? 侑くんがお兄ちゃんのこと、おみおみって言ってたで?」

「あいつ…!」

なまえは侑の言ってた通りに元気よく呼ぶと佐久早は不快感をあらわにし、古森は堪えきれないように吹き出す。

『なぁなぁ、聖臣くんて言いにくいから臣くんて呼んでええ?』

『嫌だ』

『えー!あだ名くらいええやん。ケチやなぁ臣くん』

『嫌だって言ってんだろ』

佐久早はユースの時に侑がヘラヘラとふざけたことを抜かすので思いっきり拒否をしたことを思い出す。その後も気に入ったのか、その名で呼ぶ度に「辞めろ」と言ったがこちらの意見を聞くつもりはない様子。挙げ句の果て、古森まで「俺も臣くんって呼んでやろー」とユース合宿中は面白がって呼んできていた。

「佐久早さんと呼べ」

「別にいいじゃん。呼び方くらい」

「さささくさくさん?はや口ことばみたいや〜」 

なまえには悪意やからかうつもりなどなく「臣くん」と呼ぶのだろうが、佐久早は始まりが侑のおふざけなことが気に入らない。威圧的に名字を呼べと言うが、なまえは上手く言えずに早口言葉のようだとケラケラと楽しそうに笑った。

「今日もだっこしない?」

「しない」

「今日のなまえはもふもふで、だきごこちがいいって侑くん言うてたのに」

「しない。抱っこしてもらいたいなら元也にでも頼んだら」

ユース合宿でも抱っこをせがんで断られたのを思い出したのか、なまえはリベンジとでも言うように両手を広げて首をこてんと傾げた。これが侑と治の前であれば、狐の着ぐるみも相まって「ぎゃーーー!!ウチのなまえ可愛いすぎやー!!!」と大騒ぎした案件だ。

しかし、相手は難攻不落の佐久早聖臣。フンと鼻で笑って拒否する。だが、長年の付き合いの古森は佐久早の表情は本当に嫌だと思っている顔じゃないと分かっていた。あと一押し、なまえがお願いすれば文句を言いつつもその可愛いお願いを聞くだろう。どう口を出すか悩んでいると「なまえ」と名前を呼ぶ声がした。

「角名くん!」

「え、」

「どうも」

「ちは、…双子も探してたよ、おいで」

なまえはパァッと顔を輝かせるが、角名は話していた相手が佐久早だと言うことに気づくと何とも言えない表情を浮かべた。まぁ、佐久早を知っていたら誰しもがそんな顔になるよなと古森は苦笑する。無言の佐久早の代わりに古森が人当たりの良い笑顔で挨拶をすると、角名も小さく会釈を返した。

「侑くんのおともだちにごあいさつしててん」

「うん?友達、ではないと思うんだけどけど」

「元也くん、臣くんまたね!」

なまえが角名に駆け寄ると慣れた手つき抱き上げた。なまえも嬉しそうに首に腕を回し、ニコニコと角名に話しかける。侑の性格を考えても佐久早と仲良くなれるとは思えずに首を傾げた。それに気づかないなまえは抱っこされたまま佐久早と古森に手を振っていた。

「あ!侑くんげんき100ばいだった?」

「なに、アンパンマンの話?好きだったっけ?」

「侑くんにちゅーしたら、げんき100ばいなってしあいにかつんやって!角名くんもほっぺちゅーする?」

「してくれんの?」

「うん、角名くんやったらええの」

「うーん。侑に後でなんか言われそうだしなあ〜」

角名に抱かれながら、そんな話をしているなまえを佐久早はじっと見続けていた。

「うらやましいんでしょ」

「は?誰が」

「なまえちゃん抱っこしてたら聖臣もしてもらえたかもよ〜」

同じくやり取りを見ていた古森がからかうように佐久早に声をかけた。角名の様子からもなまえはきっと稲荷崎ではああやってみんなに甘えるのが当たり前のようだ。佐久早だって本当はなまえのことを気に入ってるんだから素直になればいいのにと古森は思うが、それを口にしても佐久早は認めることはしないだろう。

「…バイ菌を擦りつけられるなんて信じられない」

「お前、ほんとさぁ…」

佐久早が吐き捨てるように言った言葉に本当に素直じゃない奴と古森は呆れて言葉がでなかった。


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