夕暮れの遠吠え
いわゆる給仕服と言われる召使い専用の衣服のデザインの中から、なるべく動きやすそうなものを選んだ。もちろん宝石も付いてないし、丈も膝丈くらいの露出が少なく、フリルなど装飾も極力ついていないシンプルなもの。サイズを合わす為に恐る恐る袖を通す。出るとこも出てない貧相な私の身体には少し大きくて、三ツ谷様が針を咥えながら真剣な顔で仕立てていく。
「つーか、ドラケンがわざわざ人間の為に動くなんて珍しいじゃん」
「なまえ見てっとライオンの檻の中で小鼠が懸命に毛繕いしてやってるように見えて。なんつーか、憐れでよー。助けてやなきゃってなんだよな」
「あ〜、わかる気がする」
「小鼠…」
その例えに納得したように頷かれた。目の前で凄い失礼なやりとりをされてる気がするが、『ライオンと小鼠』という例えは自分でも確かになと納得してしまうから反論が出来ない。マイキー様にとって私は捕食するには小さすぎて相手にもなってないんだろうなぁ。そして薄々気づいていたが、やっぱり憐れみの目で見られていたなんて。恥ずかしくて穴があったら入りたい。
「まぁ、マイキーの世話は俺らでも手かかるから」
「そうそう。あのバカを四六時中世話すんのは誰でも出来ることじゃねぇよ」
「中身はお子ちゃま。しかも超絶自己中」
「まさに唯我独尊を表したようなやつだしなぁ」
心底嫌そうな口ぶりだが、2人の目元は優しさを帯びていてそしてどこか自慢気にも見えた。本当に仲良しなんだなぁと少し羨ましくなる。
「なまえはよくやってるよ」
「あ、ありがとうございます…?」
「よし。とりあえず仮縫いできたからこれで作るわ」
「よろしくお願いします」
「替えも含めて何着か作るから」
「え」
にこりと笑う三ツ谷様にマイキー様の我儘を認めてしまうようでお礼で返していいものかと曖昧に笑い返す。ぽんぽんと頭を撫でてくれる手つきは、先程まで一緒にいた妹さんたちにするような優しい。そのままのにっこりした顔だが「いやぁ、儲かるわ〜」と話す姿はまさに商売人の顔で。てっきり一着だけだと思ってた私はぴしゃりと固まってしまう。総額いくらになるのか怖くて聞けやしない。せめてマイキー様に相談した方が…と口を開きかけた時、店内の扉がガタンと壊れるような大きな音が鳴り響いた。
「おー、マイキー。遅かったなぁ」
「…」
「機嫌悪。何?まだ寝ぼけてんの」
「煩ぇ」
現れたのは誰が見ても不機嫌指数MAXの魔王様。それはまさに極悪非道の魔王といった雰囲気を纏っていた。殺気を帯びる姿に先程から固まったままの私の身体がさらに強張る。けれど、そんな機嫌の悪そうな様子に臆することなく、2人はいつものことと言うばかりにあっけらかんとした声で声をかけた。
「前言ってたろ?三ツ谷が服作るって」
「ほら、今着てもらってんの。どうよ」
「…」
「あ、あの似合わないでしょうか…?」
ビビる私の気も知らずに三ツ谷様によってグイッとマイキー様の元へと差し出される。何も言わないまま、少し顎を引いて金色の前髪の間から真っ黒の瞳がジッと私を射抜いた。無言が耐えられなくなり、自信なくボソボソと小声で尋ねる。こんな高級な服似合わないのは私が1番分かってる。似合わないでも何でもいいから反応が欲しい。新月の夜のような深い黒の瞳を縋るように見つめた。
「…なまえからケンチンの匂いがする」
「えと」
「あ?背中に乗せたからか?」
「なんかやだ」
ようやく口を開いたと思ったら全く予想もしない一言に全員があんぐりと口を開けた。匂い?思わずクンクンと小さく自分で嗅いでみるが全然分からない。何がきっかけか分からないが、先程の禍々しいオーラはフッと消えている。それでもまだご機嫌は斜めのようでプクーっと頬を膨らませた。
「やだってしょうがねぇだろ。歩いたら一体何日かかると思ってんだ」
「やなもんはやだ」
「はぁ。悪かったよ、もうしねぇ」
「なまえは俺のなのに」
「しつけぇな。謝ってんだろ」
「俺が嫌っつったらやなの」
「我儘言ってんなよ。うぜーよ」
両者の間にパチパチと火花が見える気がした。少しばかり回復傾向にあった機嫌も今の言い合いでまたイライラと顔色が曇っていく。しかもマイキー様だけじゃなくドラケン様まで。
「あ、あの大丈夫なんでしょうか…?」
「気にすんな。いつものことだから。それ脱いだらこれ着て帰って」
「いや、これ以上は」
「大丈夫大丈夫。たくさん服売りつけた方が俺は儲かるから」
目の前で繰り広げられてる睨み合い全く問題なさそうにてきぱきと手を動かす三ツ谷様。給仕服以外に普通の服までサラリと売りつけられる始末。お金を払うのはマイキー様になってしまうので、どうしようと目線を送るとばちりと視線が合う。
「なまえ」
「はいっ」
「来い」
名前呼ばれて正直助かったとホッとする。受け取った服を一旦返してマイキー様にかけよった。そしてすぐ側まで行くと何も言わずにただぎゅうっと抱きしめられる。それも自分の匂いをつけるようにぐりぐりと頭を押し付けながら。
「あの、マイキー様?」
「じっとしてて」
「はい、」
「おーい、それまだ仮縫いなんですけどー」
恐る恐る声を出すが、返ってきたのはやんわりとした牽制の言葉。首筋にかかる柔らかな蜂蜜色の髪がくすぐったいが、どうやら素直に従うしかないらしい。匂いを上書きするようにぎゅうぎゅうと抱きしめられたまま言われた通り大人しくしていると、呆れたような三ツ谷様の声が遠くで聞こえた。
「起きて、オマエがいないから。…なんか、嫌だった」
「! すいません、」
「いくらケンチンだろうと勝手にいなくなるな」
「はい」
「あと、背中に乗るのもダメ」
「それは絶対大丈夫です。もうしません」
珍しく、辿々しい話し方で喋るマイキー様に驚いて数回瞬きを繰り返す。まるで置いていかれて拗ねてる子どものような姿に胸がギュッと締め付けられるような気がした。ドラケン様に言うような強い口調じゃなく、こちらの機嫌を伺うような言い方に私の方が罪悪感を抱いて謝りたくなるくらい。それに背中に乗るのは恐ろしすぎてこちらから丁重にお断りさせていただきたいので、もう2度としないだろう。
「マイキー、そろそろ離してやれよ」
「俺の匂いつけて、誰が近づいても俺のものって分かるようにするまでこのままでいる」
「我儘ばっか言ってんなよ。愛想尽かされるぞ」
「なまえは我儘言ってもいいって言った!」
「あん?なまえ、マイキー甘やかすんじゃねぇよ。すぐつけあがんのに」
「わ、私は大丈夫なので!お気遣いありがとうございます…!」
またヒートアップしそうな言い合いに冷や汗が出る。ドラケン様は優しさから言ってくれているのだろうが、現状マイキー様の腕の中にいる私。言い争うとその分腕の力が自然と強まる。つまりこのまま怒りが再噴火したら私はペチャンコになる可能性大なのだ。生命の危険を感じて、宥めるように背中をさすると少し力が弱まった気がした。
「なまえのご飯食ってないから腹減った」
「帰ってすぐ作りますね」
「ん、」
子どもを寝かしつけるようにとんとんと優しく背中をさする。マイキー様のことだから食欲が満たされれば、自ずと機嫌も安定するだろう。急いで帰って何か好物を用意しなければ。この危機的状況から脱出するためにぐるぐると効率よくお手軽メニューを考えていたせいで「ライオンつーか、餌付けされた猫じゃん」と驚いたように呟く三ツ谷様の声は聞こえなかった。