毒林檎はいかが?
作ってもらう時はあんなに消極的だった給仕服も、恥ずかしながら今ではすごく気に入っている。似合う、似合わないは置いといて、仕事服というのは自ずと「よし、今日も頑張るぞ」と気合が入るのだ。
もちろん服の仕立てがいいことも気に入っている理由の一つ。細部のボタンの一つまでこだわったオシャレなデザインなのに動きやすく、何よりも乾きやすいし、シワにもなりにくい。さすが王立御用達の三ツ谷様のオーダーメイドである。
丁寧にアイロンをかけた清潔感のある白いシャツに袖を通すと背筋が伸びた。ボタンを下から止めながら、今日のやることリストを脳内で優先順位をつけていく。1番上のボタンに手をかけた時、ふと鏡に映る私の首元が見えて手が止まる。噛まれた跡はすっかり消えて痛みもないのに、ソッと手を当てるとそこからジワジワと熱を帯びていった。
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あの日、夕食を食べて戻りかけたマイキー様の機嫌。しかし、少し遅れて皆さんの食事を食堂へと運ぶ際に場地様を見るとすぐにムッとした表情に変わってしまった。これ以上拗ねると面倒だと食事中に皆さんでアレやコレやと甲斐甲斐しく世話を焼くも、ムスくれた表情は全く変わらないまま。
「少し早いですけど、デザートの時間にしますか?」
「んー」
「前に食べたいと仰ってたスフレチーズケーキ用意してるんですよ」
「…食べる」
「では、取ってきますね」
「ダメ。なまえはここにいろ」
こうなったらまた食べ物で釣るしかない。今日のデザートとして朝から用意して冷やしておいたケーキ。隣の厨房に取りに行こうと立ち上がるが、腕を掴まれて動けなくなる。ジトリとした不満げな視線は私ではなく、場地様を睨みつけていた。それはまるで私にまた何かするんじゃないかと完全に警戒しているようだった。
「…そんな不満なら、ずっと抱いときゃいいだろ」
眉間に皺をよせて心底面倒臭そうに場地様が呟くと、マイキー様は今度は私を見ながら目をパチクリさせる。そして名案だというように明るく笑った顔が一瞬見えたと思ったら、勢いよく抱きつかれた。まさか寝る時だけでなく、日中までも抱き枕にされるなんて。向き合った状態で私を膝に乗せるとようやく上機嫌でニッコリと笑う。
場地様が千冬様を連れて帰ってしまわれた後も、食事の片付けをしたいと言っても、その腕の力は緩まることはなかった。代わりに後片付けをしてくれるドラケン様と三ツ谷様に申し訳なくて恥ずかしくて仕方なかったが、二人して「風呂も一緒に入って来れば?」と冗談を言われて耳まで真っ赤になる。「おい。なまえ虐めんなよ」とマイキー様が代わりに怒ってくれたが、全ての元凶のあなたが言えることではないとは口が裂けても言えなかった。
「言っとくけど、オレはなまえにも怒ってんだからな。場地くらい一人でぶっ飛ばせよ」
「ぜ、善処したいです、けど、流石に無理かと…」
急に怒りの矛先を向けられマイキー様の膝の上で縮こまる。いや、怒っているというより拗ねてるような口振り。これ以上機嫌を損ねないようになるべく口答えしたくないが、そこらの強盗に敵わないのに魔王様の仲間である場地様に勝てる訳がない。もし、たまたま不意打ちで一発当たったとしても、その後を考えたら私の命はそこまでだと思う。反撃されたらなす術はない。
「…じゃあ、俺のいないとこで怪我しないって約束しろ」
ボソボソと言葉を濁す私に返ってきたのは魔王様らしくない優しい譲歩だった。傷を発見された時のような殺気を帯びた視線ではない、気遣うような視線が首筋を見つめている。
「なまえはオレのもんなんだから。他の奴に傷なんかつけられんな」
「はい。約束、します」
「あと、これで許してやる」
そう言って口を開けると、かぷりと首を噛まれた。といっても甘噛みのような優しいものではない。痛みを感じて思わず肩を押して抵抗しそうになるが、なんとか堪えてマイキー様の服をギュッと掴む。顔を上げたマイキー様は満足そうに唇を舐めながら、ニヤリと笑う妖艶な姿に私の心臓が痛いくらいにバクバクと音を鳴らした。
恐る恐る首筋に手を当てるとくっきりと歯形がついてるのか皮膚が凹んだ感触。それも場地様につけられた跡の上に。まるで自分の物だと独占欲を表してるようだった。
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もうその跡は綺麗に消えてしまったけれど、今でも噛まれた場所を触ると鼓動が速くなる。最近なんだかおかしい。いつものようにマイキー様のそばにいると落ち着かなくなる。それでもいつもと変わらない距離の近さに、逃げ出したくなるくせに、離れてしまうとさみしくて仕方なくて。
「それ、好きなんじゃないの。マイキーくんのこと」
「え…?」
たまたま場地さんの手伝いで来ていた千冬くんは、眩しそうに燦々と照り上げる太陽を見上げると、大きく欠伸をしながらそう言った。千冬くんは元々人間だったらしく、場地さんと知り合って眷属になったそう。以前、道理で千冬くんに対して妙な仲間意識が芽生えた訳だ。
場地さんには「様付け気色悪ぃからやめろ」と怖い顔で言われて少し苦手意識はあるが、千冬くんは「場地さんが言うからオレも。呼び捨てがハードル高いなら普通にさん付けとか、くん付けでいいからな」とフォローを入れてくれた。やっぱり良い人だ…と祭りの日に感じた事は間違いじゃなかったらしい。
そんな訳で仲良くしてもらってる千冬くんに相談と言うような重い話ではなく雑談のように。それも洗濯を干しながらの片手間で何気なく話をしていた私は、千冬くんの言葉に鈍器で殴られたような衝撃をうける。
「だって、ボーッとしては気がついたらマイキーくんのことばっか考えちゃうんだろ?」
「う、うん」
「そんで、マイキーくんのこと考えてたら、ドキドキしてソワソワして寝れないんだろ?」
「…うん」
「そんなん恋に決まってんじゃん!」
千冬くんに話したことを要約されて尋ねられると、自ずと気持ちの整理がついていく。なんだか誘導尋問されているようで、頬杖をつきながらニンマリと笑う千冬くんの顔が直視できない。
「でも、私は…」
「でももくそもあるか!恋は恋、好きは好き。自分の感情を潔く認めろ」
魔王とは傍若無人なものだと言ったあの日の続かなかった言葉。ああ、私は好きと言いたかったのか。ふかふかのシーツでくるまって寝る姿も、毎日美味しそうに作った料理を食べてくれるのも、あったかい色が似合うと言ってくれたこともマイキー様が好きだからこんなにも嬉しかったのか。
好きと自覚した途端心臓がうるさいくらい脈打つ。身体が熱くなるのは、このお天気のせいだけではない。どくどくと脈打つ心臓からじんわりと熱くなる。そうか、これが恋なんだ。そう実感すると急に恥ずかしくなってきた。
「千冬くん」
「ん?」
「…私、どうしたらいいんだろ。恋、とかしたことないし、そもそもマイキー様相手にこんなこと思うなんて失礼なんじゃ、」
「初恋!?しかも身分違いの恋!?そんなん逆に燃えんじゃん!!」
「も、もえ?」
でも、召使い若きが魔王様相手にこんな分不相応な想いを持っていていいのだろうか。こんな奴がそばにいて不快に思われないだろうか。そう考え始めると、熱くなった身体が一気に冷めて不安が駆け巡る。
縋るように尋ねれば、私の不安を吹き飛ばすように前のめりになりながら千冬くんは興奮したように叫んだ。言った意味はよく分からないが、この気持ちを否定されたり、反対している訳ではないことはなんとなく分かった。
「いいか、なまえ。恋っつーのは、自分の気持ちが1番大切なんだ。マイキーくんを好きだと気づいてどう思った?なまえはこれからどうしてぇの?」
「私は…」
マイキー様を考えると、胸がちくちくと痛む。でも、その痛むところがじんわりあたたかくてどこか心地いい。ドキドキして、息がしづらくて。少し苦しいけど、この苦しさすらマイキー様への気持ちだと思うと、それすらも愛しく大切に思える。
「私は、一緒にいたい。マイキー様のおそばに。ただそれだけ、それだけで十分です」
マイキーさまのご飯を作って、おかえりと出迎えて、無邪気に笑ったあの顔をそばで見れることが出来るなら、これ以上の幸せはない。こんな幸せな毎日手放すことなんて出来ない。溢れかえった感情でいっぱいいっぱいの私は「応援する」と先程から私よりも嬉しそうな千冬くんに小さくお礼を伝えることしか出来なかった。