首をはねよ
歩くたびにふわりと広がる柔らかいスカートの裾にもようやく慣れた頃。今日は1人街を歩く。マイキー様がいないからか、あの日よりものんびりと満喫したことはナイショにしておこう。弾む足取りで頼まれてたお店へと向かった。
「本当に1人で持って帰れるか?あと少し待てば閉店時間だし、俺も手伝えるけど」
「いえ、力仕事は得意なので任せてください!」
「はは、見かけによらずだなぁ。まぁ、家事は力仕事だもんな」
「それにマイキー様が移動用ドアを設置してくれたので大丈夫です」
以前依頼して出来上がった給仕服。それとマイキー様のお洋服がいくつか入った大きな鞄を二つも持った私に心配そうに三ツ谷様が声をかけた。たしかに普通の若い女性ならこの鞄一つで根を上げるかもしれない。でも普段から掃除・洗濯・料理と家事によって鍛えられた私にはこんなことお茶の子さいさい。それにドラケン様の背に乗ることが禁止されたおかげでお城と街を繋ぐテレポートみたいなドアを設置してもらえた。魔法というのは本当に便利すぎる。
三ツ谷様、そしてルナちゃんとマナちゃんに別れを告げてお店を出る。あの祭りの日ほどではないが、賑やかで活気のある街並み。帰るついでに市場でも見て帰ろう。通りを散策してるうちに少し細い路地に足を踏み入れると先程までの明るい街並みからガラッと雰囲気が変わる。なんだか嫌な予感がしてすぐに踵を返そうと振り返るが、にったりと笑う男が2人道を塞ぐように立っていた。
「こんにちはお嬢さん」
「…こんにちは、」
「とっても上等そうな鞄を抱えて、お使いかな?」
「そんなところです」
「お兄さんたちが届けてあげよう」
「結構です…!」
「素直に従った方がいいよ。その宝石だけじゃなく身ぐるみ全て剥がれたくなかったらね」
弧を描いて細くなった目は首元のネックレスを値踏みしているようだった。それも治安の良い王都の街にもこんな柄の悪い人たちがいるんだなぁと俯瞰して感嘆してしまうほど見るからに悪人面。いやいや、現実逃避は良くない。たった今強盗に絡まれてるんだから。日頃から魔王様と暮らしてるから危機感が欠如してるにも程がある。
落ち着いて考えるのよ私。確か、通りに曲がる前に見回り中の自警団を見かけた。相手が2人なら鞄を渡す振りをして意識を避けさせた隙に逃げれば本通りまで出れるはず。三ツ谷様には悪いけど、鞄はあとで自警団の方に取り返してもらおう。
しかし走って逃げようとする魂胆がバレていたのか、私が一歩踏み出す前に横の脇道から新たに数人増える。この人数だとどうやっても逃げられない。ネックレスだけじゃなく、ニヤニヤと私を値踏みする視線が気持ち悪い。本格的にヤバい雰囲気に、ふとマイキー様の言葉を思い出した。物は試しと口を開けた時、不機嫌そうな声が真後ろから聞こえた。
「マ、」
「邪魔」
「え、あ、すいません」
「オマエらも邪魔。群れてんじゃねぇよ」
その声の方を向けば、頭の先から足の先まで真っ黒な格好の気怠げそうに立つ男が1人。強盗たちの仲間ではないらしい。重厚感のある黒のロングコートに身を包み、スラっとしたパンツがスタイルを際立たせていた。光沢感のあるサテンのシャツは無造作に胸元まで開いていて唯一差し色である深紅のリボンが解けて今にも落ちそうに揺れている。
こちらを見下ろす冷たい視線がゾクリと背筋を冷やす。目の前の複数の強盗たちよりもこの人の方がよっぽど恐ろしい。人の見た目をしてるけど、マイキー様が前に教えてくれた高位の魔族の方だと直感した。不機嫌な時のマイキー様と同じようなオーラを放つ姿に身の危険を感じて即座に壁際へと避ける。
「オマエが邪魔すんじゃねぇ」と苛立った声で殴り掛かろうと腕を上げるた強盗が壁へとめり込むのは一瞬だった。圧倒的な力の差であっという間にボコボコにされた強盗たちが半泣きで逃げ行く姿は可哀想に見えるほど。
「あ、あの、ありがとうございました。助かりました」
「次から気ぃつけろよー」
「何か、お礼を…!いや、怪我の手当」
「怪我ぁ?ただの返り血だろ。あー、礼つうならこれで」
そう言って私の方へと屈む拍子に艶やかな黒髪が顔にかかる。それを耳にかける仕草が男性なのにあまりにも色っぽくて目を奪われた。先程までの暴力的な姿とは正反対のその美しい所作。見惚れていたせいでチクリとした痛みに首筋が噛まれたことに気づくのが少し遅れた。え、噛まれた?何で?気づいたものの、どうすることもできずに固まると「あーーーっっ!!」と私よりも焦るような声が路地裏に反響した。
「ちょっと場地さんッッ」
「あ?」
「その人はダメですって」
「んだよ、千冬。邪魔すんな」
「この人マイキーくんとこの」
「ああ、オマエがマイキーんとこの召使いか」
「は、はい」
金髪の青年が間に割り込むようにやってくると、不機嫌そうに私からゆっくりと離れる。歯が抜かれる瞬間またチクリと傷んだ首筋を咄嗟に押さえた。自分の置かれてる状況が全く分からないけれど、マイキー様の名前が出るとなんだか安心してほっと息をつく。駆けつけた青年に申し訳なさそうにハンカチを差し出され、首筋にあてられる。その顔にどこか見覚えがあって、お祭りの日に迷惑をかけた方だと気づくのにそう時間はかからなかった。
「すいません。痛かったっスよね…?」
「いえ、大丈夫です。この間のお祭りの時の方、ですよね?」
「よかった。覚えててくれて」
「あの時は失礼をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、こっちこそちゃんと説明できずにすいません。マイキーくんとは昔からの知り合いなんですよ」
「そう、なんですね」
「千冬ぅ、話終わった?早くマイキーんとこ行こうぜ」
ペコペコとお互いに社交辞令のように頭を下げ合っていると我関せずという感じで屈託なく笑う。悪気のないその姿がどことなくマイキー様に似ていた。アンタのせいで…!と言いたげな不満の色が青年の猫目からひしひし感じとれる。この様子だとすぐに案内した方が得策だろう。また目の前で先程のような喧嘩が始まったら溜まったもんじゃない。移動用ドアのある場所へと案内をして城に戻ったのだが、待ち受けていたのは更なる地獄だった。
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マイキー様は不在だったが、ちょうどドラケン様が来られており、お二人は古くからの仲間だと紹介してもらった。それも吸血鬼の一族なのだと。それでさっき噛まれたのかと納得する。いや、急に噛まれることに納得してはいけないのだけれど。
それよりも三ツ谷様も呼んで食事をするという事で大慌てで料理の準備に取り掛かかる。幸い、早めに止めに入ってもらえたおかげで出血もなく、小さな赤い跡が2つ。これなら目立つことはなさそう。窓にぼんやりと映る姿で傷を確認していると名前を呼ばれた。
「なまえ」
「マイキー様!おかえりなさい」
「ん、ただいま。つか、三ツ谷んとこ迎え行ったのになまえいなかった」
「行き違いになってしまいましたね」
「一緒に帰ろうと思ったのに。しゃあねぇから三ツ谷と帰ってきた」
ただいまとふにゃりと笑ったと思えば、思い出したように頬を膨らませた。幼い子どもが拗ねたような仕草に苦笑する。焼き上がったばかりのパンを一つ持ってマイキー様へとかけよる。マイキー様の機嫌を直すには食べ物が1番。それにドラケン様たちが来ていることを伝えればすぐに元に戻るはず。
「お庭の方にドラケン様と場地様が、」
「誰にやられた」
「え?」
一瞬だった。ドアを開ければ街から城へと瞬間的に移動するように急に声のトーンががらりと変わる。怒りが篭った低い重々しい声は空気さえ息苦しくさせた。さっきまでの機嫌が悪いなんてものじゃない。全身が殺気を帯びていて、底知れぬほど深く黒いその目に睨まれると心臓が止まりそうになる。
「首。誰にやられたのか答えろ」
「いや、これは、助けて頂いたお礼?みたいなやつで」
「…」
「あの、マイキー様…?」
慌てて首の傷を隠すように手を当てるが、それより早く腕を掴まれる。未遂とはいえ血を吸われそうになったこと、それもマイキー様の仲間の方にされたとは告げ口するようで思わず言葉を濁す。ジッと私の首筋を凝視した後、何も言わずに背を向けて去って行った。今のなんだったの…?と呆然と立ちつくしていると外から何かが壊れるような大きな音と騒がしい声。なんだか嫌な予感がする。音のする庭の方へと走って行くと、呆れたような顔のドラケン様と三ツ谷様、そして千冬様がいた。
「オマエ、ふざけてんのか?」
「だから悪かったって謝ってんだろ」
「やって良いことと悪いことの区別できねぇのか場地」
「あ?その言葉そっくりそのままオマエに返してやるよ」
そしてその3人の見つめる先にはマイキー様と場地様。胸ぐらを掴みあって今にも一触即発な空気に私は身を縮こませる。
「あの、一体何が」
「マイキーと場地の喧嘩」
「今回はまた派手にやってんなぁ」
「止めなくて良いんですか」
「日常茶飯事だかんな。ほっとけ」
恐る恐る尋ねると、あっけらかんと答えられた。仕事を終えてやってきた三ツ谷様は「さっきは悪かったな。大丈夫だったか?」と心配して声をかけてくれるが、今まさに心配しなければならないのは目の前で起きてる取っ組み合いの喧嘩じゃないだろうか。先程の路地裏での揉め事が子どものささいな喧嘩に思えてくるほど凄まじいやりとりにオドオドしてるのは私だけらしい。
「でもマイキーが理不尽な理由で怒ってねぇのは珍しいな」
「確かに。今回は場地が全面的に悪い」
「え、ドラケンくん止めて下さいよ」
「やだ。千冬行ってこい」
「あの2人に割って入るとか死にますよ俺。三ツ谷くんたい焼きないスか?それでマイキーくんをつれば…」
「千冬悪いな。今日は作ってねぇわ」
「そんな…!」
いや、私だけじゃなかった。心配そうに千冬様が喧嘩を仲裁しようと2人に掛け合う。その姿にこの人は常識人だと何故か仲間意識が芽生えてしまった。そんな私の失礼な心を読み取られたのか「たい焼きはねぇけど、もっと良いもんあるぞ」とにっこり笑う三ツ谷様と目があってしまった。
「マイキーくん!」
「何?お前も死にてぇの千冬」
「なまえがマイキーくんの大好きなオムライス作ってくれますって」
「…」
「しかもチーズ入り!ケチャップでハートも書くって!」
「ちょ、それは言ってません」
常識人だと勝手に仲間意識を抱いていた千冬様によってグイッとマイキー様の元へと差し出される。
「…痛くねぇ?」
「全然、全く、平気です!」
纏っていたスゥッと殺気が引いていくと、ボソッと小さな声で尋ねられた。本当は少し痛むがそんなこと口が裂けても言えない。先程の殺気を向けられる精神的な苦痛に比べれば可愛いものだ。
「でも跡になってる」
「もう血も止まってますし、大丈夫ですよ」
「なまえは俺のなのに。傷なんかつけやがってやっぱムカつく…!」
「すぐ治りますし、そもそも場地様には助けてもらった恩もありますし!」
ソッと優しい手つきで首に手を添えられる。急に後ろから抱きつかれたり、抱き枕代わりにされたり、私の気持ちなんかまるで考えてない何時もスキンシップとは程遠い思いやりのある行動に胸が高鳴る。宝物を触るような丁寧な手つきはまるで自分が大切にされてるような気がして。そんな訳ない。そんなの分不相応すぎる。きっと自分のオモチャが壊されてそれが気に食わないだけ。そう思うとなぜだか、首の痛みのように胸がチクリと傷んだ。
「美味しいの作りますから、早くご飯食べましょう?」
「…ん」
なんとかマイキー様の気を逸らすことに成功したようで、視界の端で千冬様が天を仰いでガッツポーズをしてるのが見えた。まだ不機嫌なマイキー様の手を引いて厨房に戻る。ハートはやっぱり気恥ずかしくて、たい焼きの絵を描いたら目がキラキラと輝いていた。恐怖で心臓が止まりそうになる痛みとは別の締め付けられる痛みは何時の間にか消えていた。