falling down44
翌朝、アルフレッドの書類を確認した後、トビアス達は空港へ向かった。アイスクリームショップへ入り、いつもはチョコミントを注文するのに、トビアスは無意識にバニラとチョコレートを頼んだ。
「ここ、前にも来たことある?」
コーヒーを飲んでいるレアンドロスは首を傾げる。
「あ、ジョシュアと一緒に食べてるかもしれないな。君が初めてイレラントへ来た時、迎えに行ったのは彼だったから」
既視感の理由が分かり、トビアスはほっと脱力した。
「そろそろ、ゲートまで移動しようか?」
レアンドロスが立ち上がる。トビアスは彼の手を握り、横に並んだ。
「トビアス!」
名前を呼ばれて、足を止めた。先に振り返ったのはレアンドロスだった。トビアスも声の主を見る。ひょろっとした背の高い青年が汗を流しながら、走ってきた。明るいブラウンの髪と同じ瞳が、必死にこちらを見つめ返す。
「誰?」
トビアスは目の前の青年ではなく、レアンドロスに聞いた。レアンドロスは握っていた手を離し、肩を抱くようにして引き寄せる。
「トミー・セルウィン、トビアス、トミーだ」
レアンドロスがこたえるより早く、トミーが言った。肩で息をしながら、両手をひざに当てる。
「レア、僕……」
分からない、と小さな声で言うと、レアンドロスは、「大丈夫」と笑みを見せた。
「トミー、知っているだろう? トビアスは記憶喪失なんだ」
レアンドロスが説明してくれる。面と向かって、あなたのことは分からない、と言うと角が立ちそうだったから、トビアスは彼に任せた。
「そんな、でも、本当に? トビアス……友達だったのに……」
トビアスはトミーの言葉を聞いて、忘れてしまったことを謝ろうと思った。誰もがジョシュアのように、友人だったことを忘れても、「また友達になりましょう」と笑って、もう一度、手を差し出してくれるわけでない。
だが、トビアスの謝罪はレアンドロスの背中に消えた。レアンドロスはイレラント語でトミーに向かって叫んだ。
「友達だったのに、だと? それは彼の言葉だろう? 君は友達だった彼に何をしたんだ? よくあの状態で放置できたな? いまさら出てきて、謝罪の言葉を吐くな」
激しく非難するような口調のレアンドロスは、怒りを隠さず、トミーを睨む。トビアスは彼の背中へ触れ、右手を握った。彼が変わっていきそうで怖くなる。家にいても、彼は時おり、電話越しに怒鳴っていた。自分へ向けられたものではなくても、怒鳴り声を聞くのは嫌だ。
「レア、家に帰ろう?」
レアンドロスは右手を見て、溜息をついた。
「そうだな。行こうか」
踵を返すと、諦めきれないのか、トミーがトビアスを呼んだ。
「待って、忘れたかもしれないけど、あなたのことが好きなんだ。だから……あんなこと、ごめん、本当にごめんなさい」
トビアスはトミーを見つめた。涙を流す彼を見ても、何も思い出せない。思い出せないことを、こんなふうに負担に感じたことはなかった。母親の死以降、トビアスは記憶を取り戻したほうがいいと考えている。だが、レアンドロスは必要ないと言ってくれた。
「ビー」
トビアスはレアンドロスの手を離し、トミーのそばへ寄る。
「あの、僕、あなたのこと、本当に覚えてなくて、僕もごめんなさい」
数歩うしろに控えているレアンドロスのほうへ戻ろうとすると、トミーが、「あいつが好きなの?」と聞いてきた。トビアスは頷く。トミーはまだ何か言いたそうに見えた。だが、結局、くちびるを結び、うつむいた。
「ビー、搭乗時間になる」
トビアスはレアンドロスの手を取った。手を振ろうと思い、振り返る。トミーはまだうつむいており、おそらく泣いていた。
「僕、彼のこと、傷つけた?」
座席に案内され、座った後、トビアスは隣にいるレアンドロスへ尋ねた。彼は頭をなでて、額へキスをしてくれる。
「……転倒した時、トミーは君のそばにいた。でも、彼はすぐに先生を呼ばなかった。君は司祭が来るまで、寒い礼拝堂に倒れたままだったんだ」
レアンドロスはそれきり、口を開かなかった。トビアスはブランケットの下で、彼の手を握る。記憶を取り戻したら、トミーを恨んでしまうかもしれない。軽い頭痛が生じ、トビアスは目を閉じた。 |