falling down43 | ナノ





falling down43

 その連絡があったのは、クリスマスの七日前だ。夕飯を取っていたら、電話が鳴った。レアンドロスがゆっくりと立ち上がり、受話器を取りに行く。トビアスは皿の上の温野菜をフォークで刺した。ニンジンを口へ運び、飲み込んだ後、ミネラルウォーターの入ったグラスを手にする。
「ビー」
 肩に手を置いたレアンドロスは悲しげな表情を見せた。
「君の母親が交通事故にあった……即死だったそうだ。すぐに君の国へ帰る手配をする」
 トビアスはその言葉を聞いた時のことを、よく思い出せない。どんな気持ちだったかも分からない。ただ、ジョシュアに見送られ、レアンドロスに手を引かれるまま、空港から車に乗り、病院へ向かった。
 母親の遺体を確認したのは、連絡を受けた当日の深夜遅くだ。トビアスは彼女の顔を確認してすぐ、レアンドロスの胸に顔を埋めた。涙は少しも流れない。
「ママとのこと、あんまり思い出せない。僕、冷たい?」
 病院を出た後、レアンドロスに尋ねた。彼は首を横に振る。
「君の母親は、あまり母親らしい人ではなかった。気に病むことはないよ」
 不思議なことに、レアンドロスが言うと、本当にそうだったと思えた。
「心配しないで。母親にはなれないけど、俺は君の家族同然だ。君は一人じゃない」
 彼は背中をなでながら、そう続けた。
 物損事故を起こした母親は、飲酒運転をしていた。現場は見通しの悪いカーブで、運転を誤り、ガードレールを壊して、左折した先の道路へ落ちた。その道路を走行していた車がないことが幸いだった。
 埋葬を終えた後、レアンドロスの知り合いだという弁護士アルフレッドが、相続についての書類を持って、彼女の遺した家を訪れた。彼の話では、彼女が赤いスポーツカーで壊したガードレールの賠償は微々たるものだったらしい。トビアスがこの家を売却するなら、その金も含めて、遺産として相続できると言われた。
 難しい話は分からず、レアンドロスへ視線を移すと、彼は頷く。
「……せっかく君の母親が遺してくれたものだ。いずれフェレド大学へ通う時にも、お金は必要になる」
 レアンドロスの言葉に、トビアスは、「相続します」とこたえた。
「家は残すかい?」
 アルフレッドに聞かれ、トビアスはレアンドロスの手を握った。
「僕、この家は好きじゃない」
 すべてを見て回ったわけではないが、家に入った時から嫌な感じがしていた。記憶がないせいかもしれない。この家で暮らした、という感覚がまったくなかった。
「では、不動産屋と相談して、売却の手続きをしよう。家具はもちろん、必要なものは君が持ち出していい」
 アルフレッドは明日、また来ると言って帰って行った。トビアスは大広間から出て、リビングやキッチンを確認する。二階へも上がった。一つずつ部屋を見ても、どこが自分の部屋だったかさえ分からない。
 階下へ行くと、穴が開いたような暗闇が見えた。地下室だ。
「レア」
 怖くなり、レアンドロスを呼ぶと、彼はその地下室から出てくる。
「ごめん、ごめん」
 地下室から出てきたレアンドロスが、すぐに手をつないでくれる。ブルーの瞳はにじみ、陰気な色にかげっていた。そのことに気づき、言葉を発しようとすると、彼が先に口を開く。
「ノースフォレストにいた時、わずかだったけれど、君の私物が寄宿舎に残っていたんだ。それは俺の部屋に置いてある。でも、残りの教科書が見当たらなかったから、ここにあるのかと思って。地下室は……ワインセラーだったよ」
 トビアスはレアンドロスを見上げた。
「今日はここで寝る?」
「いや、ホテルへ戻ろう。明日、アルフレッドの持ってくる書類を確認して、その後の手続きは郵送でもできるから、明日帰れるチケットを取ろう?」
「うん」
 門扉を出て、タクシーへ乗り込む前に、トビアスはもう一度、家を見つめた。レアンドロスと住んでいる家のほうが、自分にとっては帰る場所のような気がする。日常の中で、母親の不在を寂しいと思うこともあったのに、彼女がもう存在しないと聞いても、どうして泣けないのだろう。もやもやとした感情がトビアスを支配する。
「ビー」
 左手を握ったレアンドロスは、落ち込んでいると思ったのか、ほほ笑んでくれた。トビアスはくちびるを結ぶのではなく、ちゃんとほほ笑みを返す。彼のためにも、やはり記憶を取り戻したほうがいいのでないかと思った。

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