vanish37 | ナノ





vanish37

「母さん、言っても言っても聞かないんだ。ごめんな、慎也」
 葵の手がくちびるの端に触れる。慎也は指先から血が抜けていく奇妙な感覚を覚えた。どんなふうに二人へ説明したのか分からないが、葵はいい義兄を演じている。葵とのことは何も話していないから、二人はきっと信じている。
「よかったな。お義兄さんが早く家を出てくれれば、おまえも一緒に出られるんだろう? こんな狭い俺んとこににいるより、ずっといい」
 タカがそう言って笑った。嫌だなんて言い出せる雰囲気じゃない。要司に視線を移すと、彼もこちらを見ていた。助けて、と訴えても分かるはずがなかった。
「いつでも遊びに来いよ」
 泣いたら、大声で叫んだら、ここにいられるだろうか。慎也は涙をこらえて、好きな人の前で強くあろうとした。泣かずに頼らずにいることが強さだと思っていた。
「俺が言うのもおかしいけど、食べてくか?」
 タカの問いかけに葵が丁寧に断りを述べる。それから、一万円札を財布から取り出して、タカへ渡した。
「慎也がお世話になりました」
 軽く頭を下げた葵が、慎也の肩を抱くようにして玄関へ向かう。慎也は涙を止めるために息を殺していた。もう会えないかもしれないと思うと、これから受ける逃げ出した罰よりも怖い。
 慎也は葵から逃げるように振り返り、要司に言った。
「壁、モスグリーンがいいと思います。あったかくて優しい色だから」
 きらきら光るピアスが揺れた。要司が数度頷いて、「準備しとくから、今度、来いよ」と言った。今度はいつになるだろう。
 何かもっと気の利いた言葉を考えようとしたら、葵が左腕をつかんだ。
「慎也、帰ろう?」
 慎也は要司の姿を目に焼きつけた。暗い夢の世界でも彼に会えたなら悪夢じゃない。

 タカのマンションの下に白い車が停まっていた。葵は免許を持っていない。だが、ぐんぐんと慎也の腕を引っ張る彼は、車のスライドドアを開けて、慎也を中へ押し込んだ。
「よぉ、久しぶり」
 赤髪の男が下卑た笑みを浮かべた。逃げようにも体が恐怖で固まっている。運転席には葵が時田と呼んでいた男がいた。葵が助手席に乗り込むと、車が発進する。
「っ……や、嫌だ、葵」
 シートにすがるように腕を伸ばすと、赤髪の男がその腕をまとめてしまう。
「おい。ここで始めるなよ」
 時田が運転しながら、ちらりとこちらを一瞥して言った。慎也は腕をひとまとめにされ、大きな手で口をふさがれる。
「分かってるって。うーん、何かいいにおいするな。あ、シャワー浴びた? こういう展開、期待してた?」
 そんなわけがない。慎也は必死に抵抗する。
「あー、うざい。葵、殴っていいだろ?」
 慎也は振り向かない葵の後頭部をすがるように見た。だが、彼は振り向かず、ただ一言、「どうぞ」と暴力行為の許可を出した。
 腕を拘束されたまま、まずは頬を打たれる。義理の母親に殴られるよりも強い力で、その拳が何度も往復する。
「おい、俺、そいつの顔、好みだって言っただろ。いい加減、顔面はやめろ。それと、血で汚したら、おまえ、殺すぞ」
 時田がそう言うと、慎也を殴っていた男は、腹を殴り始める。顔が熱く、口の中は血の味で満たされていた。慎也は抵抗すらできずに、虚ろな瞳で車体のルーフ部分を見つめた。
 血で汚さないようにという配慮なのか、突然、顔をブランケットのようなもので覆われる。暗闇の中できらきら光るものを見つけて、慎也は泣きながら笑った。もう少しで手が届くのに、ぎりぎりで届かない。

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