falling down15 | ナノ





falling down15

 トビアスは明け方近くに目覚めることがある。レアンドロスはたいていトビアスよりも遅い時間に眠るため、寝る前に会話をすることはほとんどない。端へ寄っている自分に近過ぎず遠過ぎない位置で、彼は仰向けになっていた。トビアスはそっと手を伸ばし、彼の手を握る。空調設備の整っている室内は、その音すらほとんどない。静かな空間に彼の呼吸音だけが聞こえる。
 少しくらい力を込めて握っても、レアンドロスは起きたことがないため、トビアスはいつものようにぎゅっと握った。目を閉じていても彼は美しく、薄い毛布の上からも分かるほど均整の取れた肉体を持っていた。休暇が永遠に続けばいいのに、と思うことは何度もあった。手を離そうとした瞬間、腕を引かれる。
「っわ」
 いきなり目を開いたレアンドロスはトビアスの体を抱き寄せた。
「俺に見惚れてた?」
 レアンドロスは喉を鳴らすように笑い、トビアスの髪へくちびるを当てる。トビアスはこたえなかった。頭上で彼が自分を呼ぶ甘い声が聞こえる。
「ビー」
 レアンドロスは二人だけの時、トビアスのことを、「ビー」と呼んだ。特別な呼び方は嬉しいが、表情には出さない。トビアスは彼のことをちらりと見上げた後、顔を埋めた。体温を心地よく感じたのは、彼の隣で眠り始めてからだ。いつ体を求められてもいいように、眠る前に準備をしていた。だが、今までのところ、その準備は無駄に終わっている。

 九時頃に起きると、すでにレアンドロスの姿はなかった。トビアスはベッドの上で大きく上半身を伸ばす。一人の時間はほとんど勉強をして過ごした。部屋から出なくても、食事は運ばれてくる。時々、ミルトスがやって来て、一方的な言葉を連ねていった。
 レアンドロスの弟であるミルトスは、王位を継承したいらしく、兄を慕ってはいるものの、その兄の地位を欲していた。トビアスは、そんなことをしても、周囲の不興を買うのはミルトス自身であり、彼の両親の関心を得ることはできないと本質を言った。だが、彼がトビアスの言葉を聞き入れることはなかった。
 レアンドロスの勉強机を借りて、問題集を開いていると、ノックの音が響く。
「失礼いたします。トビアス様、お母様がお見えです。応接室へお通しいたしました」
 トビアスは握っていた鉛筆を置き、立ち上がる。気持ちが沈んでいく。階下へ行き、応接室へ入った。テーブルにはすでに紅茶が置かれている。
「トビアス、ずいぶん顔色が悪いわ」
 重そうな指輪をつけた指先が頬をなでていく。
「王子はどう? 優しい?」
 頷くと、母親は満足げな表情を見せた。
「ダレンとは円満離婚ってわけにはいかないけど、アルフレッドが今、あなたのスクール卒業までの学費を出すように交渉してるの。あ、アルフレッドはレアンドロスが紹介してくれた弁護士よ。すごく優秀」
 紅茶に口をつけた彼女は、扉付近に立っていた給仕を呼びつける。
「ラベンダーって言ったじゃない」
 給仕の女性が頭を下げ、すぐに紅茶ポットをトレイに乗せる。
「あなた、本当に王室に仕えてる自覚あるの?」
「母さんっ」
 トビアスは立ち上がり、給仕に紅茶をラベンダーのフレーバーティーへ取り替えるよう頼んだ。レアンドロスが自国から連れてきている給仕の中にはこの国の言葉が分からない者もいる。中身を伴わない状態で、自分よりあきらかに身分が下の者へ権力を行使する母親が嫌いだった。席に座り直すと、彼女が疎ましそうにこちらを見てくる。
「それで、もう寝たの?」
 トビアスが視線を伏せると、彼女は溜息をついた。
「言っておくけど、ダレンは大学費用まで面倒を見てくれないわ。私がもらう慰謝料はあなたのための養育費でもないし、あなたも十八にもなれば、働けるようになる。大学に行きたいなら、王子に頼んで」
 くちびるを噛み締めて、心の内にわき起こる感情をこらえた。
「それか、エリックがあなたと暮らしてもいいと言ってたから……」
「嫌だっ」
 義兄エリックと暮らせば、自分をどう扱われるか分かりきっている。トビアスが大きく首を振り、拒否する姿を見て、母親は笑った。
「まぁ、それはあり得ないわよ。あなたの体に残る傷痕はすべてエリックがしたってことで通ってるからね」
 給仕がラベンダーの香りが漂う紅茶ポッドを持ってくる。トビアスは礼を言い、母親のティーカップへ中身を注いだ。小刻みに震える手先を、彼女が笑った。母親から愛されていないと知るのは、分かっていても辛いことだった。トビアスはずっと自分の出自について考えないようにしていたが、こうして自分を苦しめるためにやって来る彼女を見ていると、自身の存在意義が消えそうになる。
 母親を見送った後、トビアスはトイレへ駆け込んだ。こみ上げてくる胸の痛みに拳を握り締め、涙を振り払った。

14 16

main
top


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -