falling down8 | ナノ





falling down8

 オーブリーが教職を退くことは、ずっと前から知っていた。トビアスは彼が退職後もハウスマスターとして留まると思い込んでいた。ノースフォレスト校を去ると聞き、決して態度には出さなかったが、とても落ち込んだ。彼は妻とともに田舎へ引っ越すと言い、トビアスにはそれを引き止めることなどできなかった。
「また同じことを聞くなんて、老いぼれだと思われるなぁ」
 オーブリーは長椅子の隣に座り、真正面を見据えた。もっとも信頼している教師からの質問にトビアスはうつむく。
 夏季休暇が始まり、ほとんどの者が帰省している。トビアスもこの後、義兄エリックの手配した車で帰る。礼拝堂での一件以来、いじめはひどくなる一方だった。最上級生のプリフェクトであるビセットは進学するが、次期プリフェクトのトップにきちんとトビアスの扱いを引き継いでいた。
 つい先日も懲罰部屋へ連れて行かれた。ビセットはいつも身体的に痛めつけるだけだったが、新しいトップは違うらしい。デニスという名前の彼は、パドルで殴打する代わりに鞭を使い、トビアスを徹底的にいたぶった後、犯した。セックスはもはやトビアスにとって耐えるだけの行為になっている。正常な思考を保つため、その汚れた行為からもっとも遠い存在を憎んだ。
 レアンドロスはトビアスを見つけるたびに近寄り、自分達はさも仲よしだと言わんばかりに肩を抱き、ランチを一緒に、と声をかけてくる。ジョシュアや一部の生徒達はためらうことなくトビアスを受け入れてくれたが、それは本当にわずかな一握りの生徒達だけだ。王子の一声で、表面上はうまく付き合っているように見せている彼らは、寄宿舎でトビアスに制裁を加えていた。
 トビアスの両手首には縛られた痕がくっきりと残っている。C棟はレアンドロス達の寄宿舎から遠く、彼らはオーブリーに気づかれないように入念な準備をしてからトビアスを苦しめた。レアンドロスのせいだ。震えた拳の上に、老いた手が重なった。
「どうした? 震えてるぞ?」
 オーブリーには、いわれのない懲罰部屋行きや制裁の現場を見られたことはなかった。だが、彼はトビアスの体の傷に気づき、他の教師達へもトビアス周辺の生徒達に注意するよう促してくれていた。
「将来の夢なんか、ありません」
 前方で揺れる蝋燭の炎を見つめながら、初めて聞かれた時のことを思い出す。あの時からトビアスの夢は変わっていない。だが、それをオーブリーの前で言うことは恥ずかしかった。オーブリーは苦笑して、重ねた手を離す。
「あと二年、せめて君が進学するまでは残るべきだと思ったが、すまない」
 オーブリーの妻が胸の病気を患っていることは知っていた。彼が一生徒より妻を優先させたとして、誰が薄情だと言うだろう。トビアスは小さく息を吸った。
「いつまでも今が続くわけじゃないと、先生はおっしゃいました。俺は……」
 あなたみたいな教師になりたい、と言う代わりに、トビアスは目を閉じる。
「灯火を消されるたびに、また灯す。灯した火が引き継がれていく」
 目を開くと、蝋燭の炎がにじんだ。有名な詩人が残した言葉だった。オーブリーが最初の授業で扱ったものだ。彼も炎を眺めた。
「君も灯し続けている」
 トビアスは首を横に振った。
「でも、消され続ける。そしたら、もう灯せなくなる」
 オーブリーは懐から封筒を取り出し、トビアスの手に握らせた。その封筒に視線を落とすと、彼はほほ笑む。
「君が灯せなくなったら、誰かが必ず灯してくれる。私達には子がいないが、ここで私が灯した火を受け取り、継いでくれた生徒達はたくさんいる。君もその一人だ」
 そっと抱き締められた時、トビアスは嗚咽を漏らした。オーブリーはすぐに離れ、穏やかな笑みで別れの言葉を口にする。封筒の中には、彼の住所とピンク色のコスモスで作られた栞が入っていた。それがあまりにもきれいで、思わず見惚れてしまう。去っていく彼を追いかけて、制裁は体罰だけではないと訴えれば、彼は残ってくれるだろうか。
 トビアスは出入口のほうへ向けていた体を前方へ向ける。椅子に座り直し、オーブリーがどうして封筒を渡したのか考えた。彼らの時代から続いている理不尽な体罰に耐えている生徒、それが自分だ。休みのたびに父親ほどの年齢の男達と体を重ね、同年代の生徒達から性欲処理を言い渡される卑しい生徒だと知ったら、このきれいな栞はもらえなかったかもしれない。
 トビアスはオーブリーをだましている気分になった。自分はここで祈りを捧げている。だが、それは自分を苦しめる人間を消して欲しいという暗い願いだった。それを知ったら彼は何と言うだろう。トビアスは目を閉じ、初めて異なる祈りを捧げた。
 生まれ変わりたい。
 レアンドロスのように、清廉で誠実な人間になりたい。
 憎んでいる相手のようになりたいというのは、皮肉なことだったが、それはトビアスの正直な気持ちだった。もっとも、その祈りが届くことはないのだと、トビアスはすぐに知った。
「エリック様が車でお待ちです」
 エリックの秘書である男の声に、トビアスは色を失った瞳を開いた。

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