あいのうた28 | ナノ





あいのうた28

 大学生の時、恋人と映画を見にいった。座席はいちばんうしろだった。尊が見たいと言ったラブストーリーもので、映画の途中、恋人達がいい雰囲気になったシーンで、彼と目が合った。触れるだけのキスの後、彼が右手を握ってくれた。
「いちばんうしろだから、誰にも見られないな」
 彼はまるでそのためにこの席を指定したと言わんばかりの笑みを見せた。
 幸せだった頃の夢は久しぶりだ。目を開くと、いつもの視界よりも狭い。左手を握る手に気づいて、そちらを見ると、未来が祈るような姿勢で手を握ったまま眠っていた。喫茶店の二階にいる。尊はとても安堵していた。幸せだった夢を見る前、寒くて汚いところにいる夢を見ていた気がした。だが、それは夢ではなかった。
「みらい」
 尊は未来の艶やかな黒髪へ右手を伸ばした。自らそういうことをするのは初めてだ。眠っている未来は髪をなでても起きない。天井を見上げながら、自分の身に起きたことを思い返す。あんなことがあった後でも、未来は手をつないでいてくれる。それでもうこたえは分かっている。自分はまた同じ過ちを繰り返した。
 声を殺して泣いていると、未来の頭が動いた。
「尊さん」
 顔を上げた未来はまぶたを腫らし、充血した目でこちらを見た。一晩中、泣いていたのではないかと思う。
「ごめんなさい、俺が、守れなかったから……」
 涙声になった未来は、握っていた両手に少し力を込める。
「本当にごめんなさい。俺のせいです。お願いだから、自分を責めないでください」
 未来へ言おうとしたことを先に言われて、尊はくちびるを結んだ。一緒には暮らせないと言わなければならない。互いに傷つき、疲弊するのは目に見えている。未来にも彼のような思いをさせたくなかった。尊は少し体を起こす。
「未来君、俺達、一緒に」
「あのログハウスで、二人で静かに暮らしたい」
 最後まで言う前に、未来が泣きながら言った。
「俺は、君のこと、傷つけたくない」
 視線をそらすと、未来の手が頬に触れた。左の頬へ右手を当てられ、耳元でごそごそと音がした。耳たぶにガーゼがある。立ち上がった未来がソファベッドへ腰を下ろした。
「俺もあなたが自分を自分で傷つける姿を見たくない」
 ずっと握っていた左手が離れていく。
「あなたは何も悪くない。それに、何も失くしてない。尊さんは俺の好きな尊さんのままです」
 拳を作っていた左手を、未来が仰向けにする。指が固まっているのではないかと思うほど、尊は強く握り締めていた。何を握り締めたのか、知っている。冷たいコンクリートの床を這って、きらきら光る未来の気持ちそのものを、失わないように手の中へ隠した。自分の心が潰れても、体を汚されても、それだけは守り抜きたかった。
 ゆっくりと手を開くと、手のひらにはピアスがある。血で汚れているが、壊れてはいない。うなるような音で嗚咽が漏れた。未来の腕が体を抱き締めてくれる。
「耳の傷、すぐによくなります。でも、嫌だったら、もうつけなくてもいい。そんなものがなくても、あなたが俺の気持ちをちゃんと受け止めて、考えてくれてるって分かってる」
 未来の言葉を聞きながら、尊は左手の中のものをもう一度、握った。そして、未来の大きな背中へ手を回す。もう気張らなくていいと言われているようだった。涙を落としながら、「みらい」と彼の名前を呼んだ。
「ずっとそばにいます。二度と一人にしません」
 未来はそうささやき、頬ずりするように顔を動かした。少し顔を上げると、くちびるが触れ合う。殴られた時に切れたくちびるの端が痛んで、声が出た。未来はすぐに顔を離し、右手の指先でくちびるへ触れてくる。その瞳が優しく輝き、彼が以前と変わりなく自分へ好意を寄せているのだと分かる。尊は未来の瞳に映る自分が笑みを浮かべているのを見た。
「俺のこと、嫌になったり、辛くなったりしたら、すぐに言ってくれる?」
「分かりました」
「そうしたら、俺、すぐ」
 消えるから、と言おうとすると、未来がもう一度、抱き締めた。
「そうしたら、二人で一緒に、どうしたらお互いが楽しく過ごせるか、考えましょう」
 未来は、「消化にいいものを作ります」と言い、立ち上がった。尊は左手の中にあるピアスを見る。
「未来」
 振り返った未来は涙を隠すようにして、手で頬を拭った。尊は先ほど彼の瞳に映った自分の笑顔を思い出す。今度こそ大丈夫だと自分を押し上げてくれる温かい力を感じ、尊はそれを信じたいと思った。
「傷が治ったら、このピアス、またつけたい」
 未来が笑っている。尊は自分にもまだ誰かを幸せにできるのだけの心があると分かり、彼の笑顔を目に焼きつける。過去を忘れるためではなく、次に目を開けた時、未来とともに前を向いて歩み出すために、尊はゆっくりと目を閉じた。



【終】

27 番外編1(未来視点)

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