あいのうた18 | ナノ





あいのうた18

 中嶋はさらに尊の髪を強く引き、左の耳元でささやく。
「あいつに告ったら、好きな奴がいるって言われた。俺はおまえが嫌い。理由はそれだけだ」
 額を床へ打ちつけられ、鈍い音が響いた。どうして、という疑問に回答が得られたことで、尊は妙に納得していた。少なくとも嫌いだという理由は、ただ夜道を歩いていたから、という理由で犯されるより、まともな気がした。
 アナルの痛みに顔を歪めながら、尊は目を閉じる。過去を引きちぎってでも前に進むべきなのに、身をよじって歩き続けることにもう疲れていた。中嶋が射精した後、尊の臀部を軽く蹴った。せり上がってくる痛みは、喉を通ると嗚咽へ変わる。扉が閉まる音が聞こえた。

 昔は生きている意味を考えたことなんかなかった。まぶたの裏で優しい思い出ばかりが再生される。夕飯を作っている最中に帰宅した彼が、うしろから抱き締めてくれたり、バルコニーで涼みながら一緒にビールを飲んだり、触れるだけのキスをした後にほほ笑んだりした。
 尊はゆっくりと起き上がり、シャワーを浴びた。耳鳴がしてくるほど、部屋の中は静かで肌寒い。隠していたダンボールの中へ荷物を詰めた。実家に戻ると言ったら、親は決まった人がいないなら、相手を探しておくと言っていた。今は定職に就いていないから、と暗に結婚する気はないとほのめかしても、婿養子でもいいと返された。
 実家も決して安寧の地にはならないだろう。このまますべての傷を隠して、自身を偽って生きていくことに、尊は不安を感じていた。だが、他に選択はない。ピアスホールをあけなくてよかった。その勇気はもしかしたら未来を傷つけていたかもしれない。
 手を止めずに荷作りしていると、インターホンが鳴る。今日はオーナーが出かけており、クローズまで未来が店番をしているはずだ。この時間に彼が来るはずがない。尊は無視して手を動かした。もう一度、インターホンが鳴る。中嶋が呼んだ仲間だったら怖いと思い、ドアスコープ越しで確認して、ベランダから部屋を出ようと考えた。尊は扉の向こうに立つ人間を見る。
 知らない女性が立っていた。鍵を開けて、顔を出すと、彼女は軽く頭を下げる。
「未来がお世話になっております」
 未来の母親だと分かると、途端に彼は母親似だと思った。嫌な予感しかしないが、尊は中へ招き入れた。お茶を出した後、正座で座る彼女に合わせようと正座したものの、腰から背中にかけて痛みが走る。だが、足を崩すわけにもいかず、尊はくちびるを結んで拳を握った。
「引っ越しなさるの?」
 ダンボールを見た彼女の問いかけに、尊は、「はい」と返事をする。
「実家へ帰ります」
 その言葉で彼女は安堵すると思っていた。だが、彼女は小さく息を吐き、憂いの表情を見せる。
「未来は主人と折り合いが悪くて、反発するように芸大へ進学したんです。卒業したら、普通に就職して欲しいというのが、私達の願いでした」
 それは親として当然だろうと思った。
「あの子のデザインが評価されて、それを仕事にしていきたいという気持ちは理解しています。ただ、主人への反発から、あの子は家を出て、あなたと暮らすと主張して……大変失礼だとは思いますが、何とか未来の目を覚ましてやってもらえないですか?」
 人の気持ちを変えることは難しい。自分が説得しても、未来は変わらない気がした。それは自分を好きでいてくれるということではなく、彼の芯は例えばこのまま何も告げずに姿を消したとしても、折れないのではないかと考えていた。できない、と告げようとして口を開く。彼女のすがるような瞳の中に、自分への蔑みを見た気がした。
「未来は中学でも高校でも、かわいい彼女がいたんです」
 彼女のその言葉だけで、言いたいことが分かる。そして、きっとそうなのだろうと思った。未来をこの道へ引き込んだのは、あるいは誑かしたのは、自分だ。恋人もそう言っていた。干上がっていく感覚なのに、涙があふれそうになる。
「すみません」
 床へ額をつけて謝った。未来だけではなく、彼の家族まで傷つけている。尊は謝り続けて、困惑顔の彼女が部屋を出た後、ピルケースにあった睡眠導入剤を十錠、一気に飲み込んだ。

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