あいのうた16 | ナノ





あいのうた16

 喫茶店の扉を開けた未来は、音が鳴らないように手を伸ばして鐘の部分を押さえる。先に入るように言われて、真っ暗な中に足を踏み入れた。
「こっちです」
 未来は電気をつけると、二階に上がる階段へ誘導してくれる。どうしても家に来て欲しいと言い張る未来に、深夜を過ぎた時間だから、と拒否した。部屋で眠るなら、自分は外で見張ると言い出した未来に折れる形で、喫茶店なら、と尊は妥協した。二階ではオーナーが眠っているため、息をひそめて、静かに階段を上がっていく。
 二つある扉の片方を開き、未来が明かりをつけた。彼の言葉通り、ソファベッドが置いてある。時おり、家に帰らず、ここへ泊まることがあるから、オーナーが用意したのだと聞いた。彼は軽快に動き、ソファベッドの上に大判のタオルを敷いた後、毛布を取り出した。
「俺は下で寝ます」
「下?」
 下は喫茶店だ。どこに寝るのだろうと考えていると、未来はほほ笑んだ。
「尊さんはいつもカウンター席だから知らないだろうけど、テーブル席のソファ、なかなか心地いいんですよ」
「でも、それじゃ……」
「おやすみなさい」
 未来がそっと扉を閉める。すでに深夜一時を回っていた。明るい電気の下で、尊はソファベッドへ腰を下ろした。体は疲れていた。だが、横になっても、眠ることはできない。尊は睡眠導入剤を忘れていた。
 溜息をつき、体だけでも休ませようと、電気を消すために起き上がる。ブラインドカーテンからは外灯の明かりが入ってきた。
 尊は床を照らす光を見つめた。好きだから抱き締めたい、と言った未来の言葉を反すうする。爪先ほどの小さな明かりだった。とても小さいのに温かい。それにすがれたら楽だろう。だが、自分が楽になるために、未来のことを傷つけるわけにはいかない。
 明るくなっていく外を見ながら、尊は実家へ帰ることを決めた。幸い、尊の仕事はパソコンとインターネット環境さえあればできる。扉を開けて、静かに階段を下りた。テーブル席のソファに横たわっている未来を見て、くちびるを噛み締める。こみ上げてくる涙を拭いて、そっと鍵を回した。夜明けまではまだ時間がある。

 尊は部屋へ帰り、一錠だけ睡眠導入剤を口にした。窓際へ布団を敷き、目を閉じる。次に目が覚めたら、管理会社へ来月いっぱいで部屋を出ることを伝えようと思った。それから、両親へ連絡して、実家へ帰る手配を取らなければならない。中嶋が言っていた、「三十にもなって、定職にも就いていない」という言葉を思い出す。彼はそのあと何と言っていただろう。
 布団から出てパソコンのスイッチを入れる。頭痛がひどく、尊は額を押さえた。検索画面を出して、未来の名前を打ち込む。未来の在籍する芸術大学の名前や未来の名前と有名なジュエリー会社が出てくる。受賞、という言葉にマウスを当て、その記事を読んだ。一年以上前のものだが、そこにはジュエリー会社が募集したアクセサリーデザインの大賞に未来の作品が選ばれたとある。
 未来自身の写真はないものの、その時の作品から完成したネックレスとそろいのピアスがジュエリー会社の商品として記載されている。検索結果へ戻り、ブログ記事を選んだ。ブログは未来が作成しているホームページの中にあり、記事数は少ない。最新の記事は尊の誕生日後だった。そこには、「大切な人の誕生日だったので、ピアスをデザインしました」と、ピアスのデザイン画がアップされている。
 画面がきらきらと輝く。涙をあふれさせた尊は布団の中で小さく丸まる。愛されたいと願った。未来と普通に恋愛がしてみたいと思った。だが、自分は普通ではない。相手を疲弊させ、苦しませる存在にしかならない。冷たい海の中へ落ちていくような感覚だった。
 徐々に強くなる眠気にまぶたを閉じる。肩へ手を置いただけの恋人の手に驚いて、それを振り払った。悲しみに顔を歪ませた彼が、本当に怖いのか、と聞いた。慣れてしまえば、忘れるだろう、と言われた。何に慣れろと言うのか、尋ねる前に、彼は力ずくで尊を押さえ込んだ。
 尊は悲鳴を上げながら、起き上がった。テーブルの上で携帯電話が音を立てている。何も覚えていないが、嫌な夢を見た後のように、気分が悪くなった。クライアントからの連絡かもしれないと思い、携帯電話へ手を伸ばす。
「もしもし?」
 喉が乾いていて、声がかすれた。
「尊さん! 中にいるんですか? ドア、開けてください」
 切羽詰まった未来の声に、尊は玄関扉を見た。とんとん、とノックの音が聞こえる。携帯電話を持ったまま、鍵を開けると、未来が中に入ってきて、抱き締めようとしてきた。尊は携帯電話を落として、彼の胸を押し、拒絶する。彼は少しだけ視線を伏せた後、「すみません」と謝ってきた。謝るのは自分のほうだ。尊は首を横に振る。
「起きたらいなかったから、慌てました。こっちで寝てたんですか?」
 眠り始めてから三時間ほどしか経っていない。だが、一度起きてしまうともう眠くはなかった。

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