あいのうた8 | ナノ





あいのうた8

 自分の大学時代を思い出した。いつも彼のことを目で追いかけていた。気づいた彼から声をかけてきてくれた。あの頃は楽しかった、と思い出に浸っていると、未来が名前を呼んでくる。
「渡辺さん?」
「あ、すみません。橋口君の話を聞いてたら、大学の時のこと、思い出して」
「そうなんですか? 渡辺さんも本命の人には相手にされなかったんですか?」
 すでに部屋の前まで来ていた。
「俺は、ずっと見てたら気づいてもらえて、それで付き合えました」
 鍵をポケットから取り出そうとしていると、未来がそっと背中へ触れた。驚いて、顔を上げる。
「……今、付き合ってる人、いるんですか?」
 真剣な瞳とぶつかり、尊は正直に首を横に振る。隣人が出てきた。部屋の前でする話ではない。尊は扉を開けて、中へ入るよう促す。未来はためらいなく中へ入った。
「狭いけど、そのへんに座ってください」
 すぐに冷房のスイッチを押して、冷蔵庫から麦茶を取り出す。グラスを持って振り返ると、未来の瞳がテーブルの上に置かれたカードを追っていた。美容室からきているグリーティングカードだ。いつも指名しているスタイリストの丁寧な字で、「お誕生日おめでとうございます」と書いてあった。
「渡辺さん、今日、誕生日なんですか?」
 尊が苦笑して頷くと、未来は眉間にしわを寄せた。
「もしかして、それでケーキを買ったんですか?」
「う、うん、まぁ、誕生日の時くらいしか食べないものだと思って……」
 尊は向かいに座った。それきり無言になってしまい、妙に落ち着かない気分になる。音楽でもかけようと、立ち上がった時、未来がこちらを見た。
「俺、渡辺さんが好きです」
 パソコンの電源ボタンへ指を伸ばしたまま、尊は未来の言葉の意味を考える。誰が誰を好きだと言ったのだろう。返事もできず、未来を見つめ返した。彼はとつぜん立ち上がり、尊の肩へ両手を置いた。力は強くない。ふんわりと肩へ手を置き、ほんの少し、壁際へ押されただけだ。
 それだけのことなのに、尊はぎゅっと目を閉じた。彼の声が響く。助けることができなかった彼を、責めているのだと言われた。怯えるたび、拒絶するたびに苦しめているのだと理解した。
「すみません。いきなり、こんなこと言われても困りますよね」
 未来の言葉に目を開くと、彼は肩を落として、小さく息を吐いた。
「きっと渡辺さんなら、受け入れてくれると思ったから、色々をすっ飛ばしたけど、俺、ゲイなんです」
 何でもないように言ったが、手に汗をかいているのか、未来は何度も手のひらをジーンズに擦りつけるような仕草を見せた。
「それで、渡辺さんを初めて見た時から、その、すごく気になるっていうか」
 未来は頬を染めながらも、まっすぐこちらを見て話す。その率直さに若さだけではないものを感じて、尊は羨ましく思った。恋人と別れて以来、もう二度とこんなふうには愛せないと考えていたからだ。
「あなたのことが好きなんです」
 心が救われるような告白だった。誠実で美しい言葉だった。まだその言葉を受ける権利があると思うだけで、一人で生きていく虚しさが消えていく。だが、尊は同じ言葉を返せない。好きだと言われた瞬間、恋人と初めて手をつないだ時やキスした時のことが去来した。男はお前だけだ、という彼の声が聞こえる。彼はあのマンションで女性と暮らしていた。
 尊はそっと口元を押さえる。彼は言葉通り、自分以外の男と付き合っていない。二人で暮らしたマンションで女性と暮らし始めた彼を見て、尊はとても安堵していた。そして、安堵したと同時に胸をえぐられるような悲しみを覚えた。あふれそうになる感情を必死にこらえていると、未来が慌てた様子で屈んだ。
「渡辺さん、あの、俺、告白したけど、自分の気持ち、押しつけたいわけじゃないです。ただ、知っておいて欲しいと思ったから、あなたを困らせる気は全然ないですから」
 尊は何とか頷き、乱れる感情から適切な言葉を選べずに言った。
「今日は、もう、帰ってもらっていい?」
 自分のことで精いっぱいだった。未来は傷ついた表情を浮かべていた。
「ごめ、混乱してて……」
 決して未来のことを嫌っているわけではないと言いたかった。未来は、「はい」と小さく返事をして、「店に来てくださいね」と告げて、部屋を出ていった。ひゅっと喉から嗚咽が漏れる。我慢していた涙が頬を滑って落ちた。

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