あいのうた6
尊は昼頃に起き出して、喫茶店で朝食を済ませた。誕生日もいつも通りに過ぎていく。駅のほうにある本屋まで歩き、求人情報誌を眺めた。週三日か四日くらいで八万円ほど稼げればいい。右上から順番に見ていると、携帯電話が震えた。
未来からのメールだ。渡辺さん発見、とあり、思わず周囲を見回すと、マンガコーナーの角から、未来が手を挙げた。
「体調はどうですか?」
目の前に立った未来を見上げ、尊はこれだけ身長があったら、と考えた。よみがえりそうになった記憶にふたをして、「元気です」と返事をする。彼は尊が持っている求人情報誌に視線を落とした。
「仕事、探してるんですか?」
「いや、まぁ、うん、そうかな」
在宅の仕事だけでは貯金を使わないと生活が回らなくなると続けようとしてやめた。未来に話してどうなるというのだろう。尊は求人情報誌を元の位置へ戻す。涼しい店内の出入口へ向かってゆっくりと歩くと、未来もついてきた。
「渡辺さんなら、すぐに見つかりますよ」
自動ドアが開き、外の熱気が顔に当たる。しかめ面になったら、今の言葉で機嫌を損ねたのだと思われたらしく、未来が謝ってきた。
「すみません。俺、無神経なこと言いました」
「え、あ、そうじゃなくて。暑いなって思っただけです」
尊は道路を挟んだ向こうにある洋菓子店へ目を向けた。
「俺、就活してないから、まだ内定もらってない奴に対して失礼だって言われたばっかなのに……」
未来の独白に尊は視線を上げる。就職活動をしていないというのは初めて聞いた。彼は正社員にならないつもりなのだろうか。こちらを見た彼は苦笑する。デザイン科で学び、将来もその道で、と考えているなら、就職先もおのずと絞られ、他の道へ進むよりも狭き門になる。完璧に見える未来も色々と迷っているのかと思うと、親近感を覚えた。
「ケーキ、食べたいんですか?」
信号が青に変わり、道を渡る。誕生日だと言うのは、はばかられて、何も言わずに頷いた。店のそばまで来たが、中に入るかどうか考えてしまう。尊は甘党というわけでもなく、ワンホールを買っても食べきれない。だからといって、カットケーキを買うなら、一つだけというのもおかしい。病院へ連れていってくれた礼もかねて、未来と喫茶店のオーナーの分も選ぼうと思った。
「いらっしゃいませ」
中に入ると、店員が声をかけてくる。尊は個別に売られているケーキを見つめた。
「橋口君はどんなのが好き?」
隣で同じように眺めている未来へ尋ねると、彼は、「チョコレートのが好きです」とこたえる。
「オーナーはどんなのが好きかな?」
「伯父さんですか? 伯父さんはチーズケーキが好きです」
尊は自分にアンズのタルトを選んだ。喫茶店にはケーキがない。そのため、未来はここでケーキを購入して、喫茶店へ持ち込んで食べるのだと勘違いしていた。尊が会計を済ませて部屋へ帰ろうとすると、「うちでコーヒー飲まないんですか?」と聞いてくる。
「あ、うん。あの、タルトだけ取って、残りを渡そうと思って……」
言葉が途切れたのは未来が笑ったからだ。目鼻立ちのはっきりしている彼が笑うと、思わず見惚れてしまう。
「うちで食べましょう。別に持ち込んでも怒りません」
大きな手が尊の左手を引いた。驚いた後にその力強さが怖くて、尊はケーキボックスが入った袋を落とし、右手で左手を引っ張り、振り払う。
「渡辺さん?」
怪訝な表情をした未来がこちらを向いた。目の前が暗くなる。車の中に押し込まれて、濡れたタオルを取られた。叫ぶより先に口へ何かを入れられる。飲み込んでしばらくすると、体中が熱くなった。車の中では軽い暴行を受ける程度で済んでいた。勃起したペニスをからかわれ、何度か射精させられた。
場所は今でも分からない。車は森のような場所で停まり、男達はゲームをすると言った。尊は逃げ切れず、つかまり、腕を引かれた。
「渡辺さんっ」
視線を上げると、未来が心配そうにこちらを見ている。尊は落としてしまった袋を持った。フラッシュバックを起こしても泣いたり、叫んだりしない。心配させたら、彼は疲労する。疲労すれば、誰だって刺々しくなる。自分が我慢すればいい。尊は笑った。
「ごめん、ケーキ、潰れたかも」
彼と未来が重なる。尊はすぐに気づいた。
「あ、すみません。俺……」
今まで敬語を使っていたのに、急にくだけた口調になってしまった。未来は何かを見抜こうとするかのように凝視する。尊はその視線から逃れたくて、視線をそらそうとした。だが、まるで金縛りにあったかようにそらせない。汗がうなじを流れていった。 |