あいのうた3 | ナノ





あいのうた3

 ドアベルが音を立てた。いらっしゃい、とオーナーの声が響く。
「あぁ、未来か」
「と、渡辺さん。伯父さん、俺達に何か作って」
 未来は尊の指定席の隣へ座った。カウンターの向こうには簡易キッチンがあり、凝った料理でなければある程度はカウンター内で作れてしまう。
「オムライスでいいですか?」
 オーナーの言葉に頷いた。
「何でもいいです。ここのなら、何でもおいしいから」
 尊がそう言うと、オーナーは嬉しそうに笑った。足元に置いたリュックサックへ視線を落とした後、尊は未来からの視線に気づいた。何だろうと、視線を合わせると、彼は楽しそうにこちらを凝視している。
「俺、顔に何かついてますか?」
 右手で頬やくちびるの周囲に触れる。
「ついてないです」
 店内はちょうどいい涼しさだが、汗をかいている尊は体が冷えるのを感じた。薄手のパーカーを脱げばいいだけだ。尊はひざの上で拳を握る。
「はい、お待ちどうさま」
 オムライスとハムサラダが目の前に並ぶ。グラスには麦茶が入っていた。
「いただきます」
 食欲がないわけではなかったため、尊はオムライスを瞬く間に食べた。料理するのは嫌いではない。ただ一人で暮らすようになってから味気なくなった。節約のためにと思いながら、日々を過ごしていくことを辛いと感じることもある。
 ハムサラダまで食べ終わると、オーナーが豆をひいてくれた。喫茶店は朝七時のオープンで、夜は二十時がクローズだ。店内はカウンター八席とテーブル席が三つのため、一人で回せるというのがオーナーの主張だった。十三時間も働いて大丈夫かと心配になるが、カウンターの中には椅子があり、注文がない時、オーナーはたいてい座って、彼自身もコーヒーを味わっている。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 冷えた体に熱いコーヒーは嬉しい。尊がコーヒーへ口をつけると、オーナーがお菓子を出してくれた。
 尊はオーナーと未来の話を聞きながら、心が落ち着くのを感じた。ニュースはインターネットで見るが、テレビがないため、ドラマの話にはついていけない。だが、二人のやり取りは面白く、時おり笑ってしまった。

 帰るなら途中まで一緒に、と未来に言われた。部屋に上げたことはないが、未来の家は尊の住むワンルームマンションの前を通る。そのため、彼は尊が住んでいる場所を知っていた。
「最近、寝苦しいから、クーラーばっかりつけてて、逆に寒くて風邪ひきそうです」
 マンションの前で立ち止まった未来は、話を続ける。
「渡辺さんも体調、気をつけてください」
「ありがとう」
 エントランスがあるわけではなく、各部屋の郵便受けだけが並んでいる出入口を抜けて、一階の奥の扉を目指す。鍵を開けて中へ入ってから、半分開いていたカーテンを閉めた。パーカーを脱いで、半袖のシャツだけになる。日焼けしていない白い肌が現れた。
 尊は汗を流すために、冷房を入れてから風呂場へと向かう。洗面台の鏡に写った尊の肌は腕以上に白い。だが、本人が鏡を見ることはなかった。洗顔後に顔を拭く時と寝癖を直す時くらいしか、鏡をじっくりと見ない。
 涼しくなった室内でリュックサックから薬を取り出す。テーブルの上に置いてあるピルケースへ分けて入れた。体は疲れているのに、眠ることができない。目を閉じると、三年ほど前に起きたことを思い出してしまう。
 期限のある仕事はほとんど終わっている。尊は時計を見た。まだ二十一時半過ぎだった。いつもは日付が変わるまで起きているが、今日はもう眠りたいと思った。睡眠導入剤を一つ飲み込む。テーブルを端へ押して、三つ折りにしていた布団を引っ張った。十五分と経たないうちに、まぶたが重くなる。
 目が覚めるたび、落胆するわけではない。だが、目を閉じる時はずっと眠っていたいと思った。冷房の風を弱めなければと、リモコンへ手を伸ばす。
「尊」
 愛した人の声が響く。
「仕方ないな。俺が消してやる」
 優しい声だった。尊は小さく笑みを浮かべながら、自らの手でリモコンへ触れる。電子音が響き、設定温度が変わった。

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