vanish30 | ナノ





vanish30

 壁を指先でなでた慎也は思い出した過去に首を振って、勉強机の上に置いてある錠剤を口に入れた。あの日、葵の手によって飲まされた精神安定剤を手放せなくなった。これを飲んだらすぐに眠れる。意識がない間は苦痛もない。

 父親は何も言わないことで慎也を傷つけていたが、義理の母親は言葉という暴力で慎也を切り裂いていた。何もせず一日中部屋に閉じこもっている慎也に、彼女が怒るのは無理もない。
 慎也からすれば葵の言いつけを忠実に守っているだけだが、彼女は葵が大学へ行っている間、時おり、慎也をキッチンへ呼び、そこで説教をした。説教はヒステリックな暴言になることが多く、興奮すると彼女は慎也を叩いたり、蹴ったりした。
 暴力に怯える慎也を彼女は笑った。慎也の背丈は彼女と同じ程度しかなく、極端に細いため、力では彼女のほうが勝っていた。慎也の体に暴力によるアザがあっても、葵は言及しない。
 一度、錠剤を飲むと八時間は確実に眠ることができる。たまに夢を見て、目が覚めることがあるが、起こされない限りはずっと眠っていられた。
 話し声が聞こえて、目を開けた慎也は、それが一方的に喚いている義理の母親の声だと気づき、体を起こした。セールスでも来ているのだろうか。慎也は扉を開けて吹き抜けの階段から玄関を見下ろした。
 薬がまだ残っているのか、頭が働かない。だから、慎也は夢を見ているのだと思った。長袖Tシャツに破れたジーンズ姿の彼はオフの格好で玄関の扉を閉められまいと体を割り込ませている。かすかに体が動くたびに金色の髪がさらさらと揺れていた。
 慎也は階段を滑るように降りて、扉を閉めようとする義理の母親の体を引いた。
「ちょっと、何するの!」
 あまりにも勢いよく飛び出してしまい、慎也は要司の体を押し倒した。
「っわ」
 要司はとっさに慎也を抱き止めてくれたが、両腕をそちらへ取られ、受け身ができない。したたかに尻を打ちつけて、彼がうめいた。
「あ、ごめ、ごめん」
 慎也が慌てて、要司の上から退くと、彼は笑った。
「何だ、元気そうでな……によ、り」
 こちらを見た要司が言葉を詰まらせる。慎也はうしろを振り返った。義理の母親が玄関扉を閉めてしまった。立ち上がって、扉を引いたが、鍵をかけられていた。
「閉め出された」
 慎也がつぶやくと、要司が、「まさか」と笑う。インターフォンを押したが、彼女が来てくれるはずがなかった。慎也はガレージから庭へ回る。サンダルがあった。
 家から少し離れたところで要司が突っ立っている。慎也は家を見上げた。葵の命令に背いたら、きっとひどいことをされる。
「慎也」
 要司の声に、固まっていた慎也の足が動き出す。ほんの少しの間なら大丈夫。それに彼女に追い出されたようなものだ。自分にそう言い聞かせて、慎也は要司の元へ歩いた。
「どうしてたんだ? 携帯はいきなり現在使われておりませんとか言うし、おまえ全然顔出さないし、皆も心配してたぞ」
 慎也はあいまいに頷く。
「住所、皆で色んな奴らに聞いてやっと分かったんだ。迷惑かもしれないって思ったけど、最後に一月に会ったきりで、俺達がどんなに心配……慎也?」
 のこのこと要司の前に立ったものの、慎也は彼に顔を向けられない。葵が動画を送っているなら、なおさら自分を恥じるしかない。
「慎也?」
 だが、少なくとも要司の反応は普通だった。もしあの動画を見ていたら、きっと会いにもきてくれなかったに違いない。
「あ、あの」
「ん?」
 服の裾をつかんだ手が震える。
「見た……?」
 慎也はうつむいたまま尋ねる。要司が動いた。
「何て? 何を見たって?」
 慎也の声が小さくて聞こえなかったんだろう。要司は慎也のすぐ前に立ち、うつむいている顔をのぞき込む。慎也は首を横に振る。彼は見ていない。葵が嘘をついていただけだ。
 慎也は安堵すると同時にその場に座り込んだ。要司が慌てて一緒にしゃがむ。
「大丈夫か?」
 大丈夫、と言いたいのに、慎也の口から漏れたのはかすれた嗚咽で、あふれた涙が頬をつたった。

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