vanish29 | ナノ





vanish29

 外に出ようとした慎也を呼び止めた葵は、慎也に部屋へ戻るように言いつけた。慎也がいったん部屋へ戻ると、葵が一枚の名刺を掲げる。
「あ」
 慎也は慌てて財布を取り出し、中身を確認した。
「牧要司に会いに行くのか?」
「違う。会いに行かない。バイトの雑誌、取りに行こうと……」
 葵は名刺を手の中で潰すと、部屋の中へ入ってきて、慎也の隣に座った。腕を引かれて、ベッドへ押し倒される。
「俺が院へ行ったら、一人暮らしする予定だ。その時、おまえも一緒に連れていく」
「……」
「本当にあいつに会わないか?」
「会わない」
 慎也は葵の目から視線をそらさず答えた。会わないじゃなく、会えない。あの二人の男が要司とどういう関係か分からず、携帯電話で撮影した動画をどう使うのかも検討がつかない。
 慎也は動きようがなく、今の状態では要司に会えるわけがなかった。
「外に出ないで欲しい」
「え?」
 葵の要求が分からず声を上げると、彼の手が脇腹から肌をさするように動いた。
「外に出るなって言ったんだ」
「……何で?」
 慎也は葵がキスでごまかそうとするのを拒否することで許さなかった。拒否された彼が、右手で慎也のあごをつかむ。
「理由なんかない。俺が言ったら、おまえは頷くだけだ。そうだろう?」
 そのあまりにも酷く、温かみのない視線に耐えかねて、慎也が視線をそらした。葵しか頼れる人間がいない。だが、葵は優しくはない。結局、慎也のことを気づかってくれる人間はいない。
「それ……」
 慎也は自分がどうして泣いているのか分からなかった。
「そんなの、愛じゃない」
 涙声で放った言葉に、葵は子どもに言い聞かせるような穏やかな声で言った。
「愛だ。慎也が知らないだけで」
 葵は大きく手を振りかざした。殴られると思い、歯を食いしばって目をつむる。だが、衝撃がなく、そっと薄く目を開けた。
「かわいそうに。あいつ、血が好きなんだ。時田はおまえの顔、好みだって言ってた。また貸してって言われてるんだ。言うこときけないなら、あいつらにお仕置き頼んでいい?」
 暴力の気配に体を震わせている慎也に、葵がほほ笑んだ。慎也は彼の言葉に耳を疑う。
「俺だよ。だって慎也を合格させたくなかったから。あの動画、実は牧にも送ったんだ。もう会いに行けないだろ?」
 慎也は自分の心に沈澱していく汚物の中で静かに泣いていた。怒りが外へ向かう性格ならもっと違ったかもしれない。だが、慎也は叫び出したいほどの憤怒の中にあっても、その激情を中へと押し止めた。
「っひ、う、うぅ」
 泣くと呼吸が乱れる。どれだけ消えたいと思っても、簡単に消えないことは知っていた。慎也は諦める術だけを学んで、自分を傷つけることで最後の一線を守っていた。それを手放せば、らくになるだろうか。
「口、開けて」
 葵がシートから錠剤を一つ押し出して、慎也の口に入れる。精神安定剤だと言われていた。それを飲むと眠くなる。別に眠りたいわけじゃなかったが、少なくとも眠っている間は何も考えなくて済むから、慎也はその錠剤を飲み込んだ。逃げているだけなのかもしれない。だが、慎也には戦うための意思が消失していた。

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